運用上の課題が指摘されている共同親権。立場によって賛成・反対、それぞれの意見が渦巻き、議論が尽くされたとはいえない状況だが、2年後には施行される可能性が大きい。

■課題が指摘される「共同親権」、当事者は……
もっとも大事なのは「子の利益と幸福」なのだが、両親は、すでに関係が破綻しているから離婚する。子の利益より相手への憎悪が優先するような事態になったらどうするのだろう。あるいは親のエゴが炸裂し、どちらかが子どもを人身御供にする恐れもある。

憎み合う前に離婚できれば、冷静に子の利益を話し合うこともできるだろうが、DVで逃げた場合、そしてそこに物的証拠がない場合はどうなるのか。

他の先進国が共同親権を導入しているから日本も導入しなければという理屈で先走った民法改正案のような気もするが、そもそも日本における結婚の歴史と人々のメンタルは、欧米のそれとは違う。そこがないがしろにされたまま施行されることに恐怖感と嫌悪感を抱く当事者たちは多いのではないだろうか。

賛成派と反対派、それぞれの立場でそれぞれの意見がある。

■共同親権に期待を寄せる「賛成派」の意見
現状では、離婚後、離れて暮らす親には子との面会交流権がある。ところが養育費はきちんと払っているのに会わせてもらえないと嘆く親も少なくない。

「離婚したとき子どもは3歳でした。養育費は払っていますが、その後、3年間、子どもに会えていない。小さいから私の存在などもう覚えていないかもしれません。面会交流をしたいと申し入れてはいますが、元妻は嫌がらせのように会わせてくれないんです。

私も仕事がありますし、いちいち家裁に申し立てるのも時間的に難しい。そうこうしているうちに3年経ってしまったんです」

サトルさん(40歳)の場合、息子が3歳のとき、元妻が息子を連れて突然、実家に帰ってしまったという。特に家庭生活に問題があるとは思っていなかったのだが、元妻に言わせれば「あまりに家庭に非協力的」だということだった。そのときは謝り倒して戻ってきてもらったが、現実としてあまりに多忙で、やはり平日は家事育児にコミットするのは難しかった。

■息子の幸せを思い、裁判を思いとどまった
「その後、再び妻が家を出て離婚話が勃発。妻はすぐに弁護士を入れました。専業主婦だから家事育児くらいやれと私に言われたと妻は泣いていましたが、私はそんなことを言った覚えはない。むしろ私自身が早く帰って子どもと一緒に過ごしたかった。

それができなかったから、休日はめいっぱい家族で楽しもうとしていました。でも妻は弁護士を通して、夫は家族を遺棄していた、と。裁判をしてもよかったけど、それは結局、息子にも負担をかけることになる」

あとから、どうやら妻の両親が「私たちが面倒を見るから、孫だけ連れて帰ってらっしゃい」と妻を扇動したらしいと、妻の友人から聞いた。

「そのときは怒りが沸き起こってきましたが、息子が幸せならそれでもいいと思うしかなかった。ただ、親権はともかく面会だけはしたい。言われた養育費は一度も遅れることなく払っています。それなのに会えないのはつらい。共同親権になればと、私は少し希望を抱いています」

今回の改正案では、すでに離婚していても共同親権を選択できることになっている。

■共同親権が子の利益になるか?「反対派」の意見
幼いときに両親が離婚、親権を持つ母と同居していたが、定期的に父親にも「会わされた」というナオミさん(32歳)。

「私が5歳のとき父がいなくなりました。これからはお母さんとふたりで暮らそうねと言われたのを覚えています。母方の祖母が同居するようになり、母は必死に働いていたんだと思う。でも父親にも定期的に会っていました。小さいころは母が付き添って3人で食事をしたり遊園地に行ったり。ただ、あまり楽しかった記憶がないんですよ(笑)」

離婚直前、両親はよく怒鳴り合っていた。それが怖くて、ナオミさんは家からこっそり出ていったこともある。近所の人の通報で交番に保護されたこともあった。

■正直、離れて暮らす「父に会う意欲」はない
「だから父がいなくても平穏な空気の中で暮らせることがうれしかった。父に会うと、また両親が怒鳴り合うんじゃないかと怯えていたのかもしれません。小学校に入ってしばらくして、なんとなく親が離婚したこともわかってくると、今度は父に会うのが億劫になった。もともと父を好きだったわけでもないし。

だからといって母の味方というわけでもなかったけど。私は冷めた子だったんでしょうね」

ピアノやスイミングを習っていたので、習い事にかこつけて「今回は会えない」と母に言ってもらったこともあった。中学生になると、ますます父に会う意欲はなくなった。面会は自然と減っていき、いつしか会わなくなっていた。

「ところが高校2年生のころ、急に父に会いたくなったんです。高卒で苦労しながら自分の会社を興した父に、将来の不安を聞いてもらいたくなった。意見がほしいわけじゃない、ただ話したかった。

母は『大学に行きたいなら、父親のところで談判してきて』というくらい、私の勉強には興味がなかったから。そのころは祖母が病気がちで、私は家事も引き受けていましたから、少し疲れていたんでしょうね」

父に連絡をとると、父は満面の笑みで待ち合わせ場所に現れた。ナオミさんの話を聞き、進学を後押ししてくれた。祖母の件についても自治体の福祉とかけあってくれた。一緒に過ごした時間が少ないから娘にはかっこつけたかっただけだよと父は笑ったが、そのとき初めてナオミさんは、父の優しさを実感したという。

「両親が離婚するのはやむを得ないことだと思う。大人同士、愛もないのに一緒にいられても子どもとして困る。だけどその後、親と子がどう関わっていくかはケースバイケースですよね。無理矢理面会させられても私は楽しくなかったけれど、高校生になってから会ったときは父に救われました。

制度云々も大事だと思うけど、子の利益というなら子がはっきりと意思を持てるようになるまで見守ってほしいとも感じています」

今は自立して仕事をしているナオミさん、父とも母ともいい距離を保ちながら付き合っていると言う。

▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

亀山 早苗(フリーライター)