阿南光(徳島)は28日、大会第9日の準々決勝第1試合で、昨秋の明治神宮大会優勝校の星稜(石川)と対戦。0―5で敗れ、再編統合前の新野(あらたの)時代を含め初の4強進出は果たせなかった。

 阿南光は、右横手投げの大坂将太投手(2年)が先発。初回は打たせて取る投球で1失点でしのいだものの、二回に4連打を浴びて降板。エース右腕、吉岡暖(はる)投手(3年)が救援し、低めに変化球を集めて1失点に抑えた。

 打線は三回、奥田日向汰(ひなた)選手(3年)が左前打で出塁。犠打などで2死三塁の好機をつくったが、後続を断たれた。その後は相手投手の好投に阻まれ、三塁を踏めなかった。(吉田博行)

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 (28日、第96回選抜高校野球大会準々決勝 阿南光0―5星稜)

 身長182センチの長身から、しなやかに右腕を振り下ろし、精度の高いボールをリズムよく繰り出す。

 準決勝進出をかけた一戦。阿南光(徳島)の吉岡暖(はる)投手(3年)は、二回無死一、三塁のピンチに、2番手としてマウンドに上がった。

 昨秋の明治神宮大会優勝校の星稜(石川)の強力打線に対し、変化球を低めに集め、後続を併殺と三振に打ち取った。四回に適時打を浴びて1点を失ったものの、96球を投げて最少失点に抑えた。

 昨秋に準優勝だった四国大会から、制球や球威が一層向上した。その理由の一つに、今年から解禁された、投球動作の途中で上げた足を上下する「2段モーション」を取り入れたことがある。吉岡投手も大会中、「前から自分に合うと思っていた。投球のリズムがいい」と手応えを語っていた。

 今大会初戦の豊川(愛知)には11奪三振で完投勝利、2回戦の熊本国府(熊本)にはさらに波に乗って14奪三振、無四球で相手打線を完封し、阿南光で初めての8強に進出。伸びのある直球に、フォークやカットボールなど新たに習得した変化球もさえわたった。

 高橋徳監督は吉岡投手について「新しい球種を習得するのに普通は2カ月くらいかかるが、吉岡は2週間くらいで身につけてしまう」と舌を巻いた。

 吉岡投手には、入学以来、毎日続けているルーティンがある。学校やグラウンドなどでのごみ拾いだ。その理由について大会前、記者に「日々運をためるために、ごみを拾うんです」と語っていた。

 日々積み重ねた努力と素質、さらには運も味方につけた吉岡投手が、夢の大舞台で躍動し続けた。

 試合後、報道陣の取材にすがすがしい表情で語った。

 「大舞台で全国の強豪と戦って、自分は全然まだまだと感じた。もう一度、自分を見つめ直して、この舞台に戻ってきたい」

 甲子園の土を持ち帰ることなく、もう一回り成長した姿を夏に見せると誓った。(吉田博行)

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 2年前、自分が甲子園に立っていることは想像していなかった。

 藤崎健(つよし)選手(3年)は今大会で25人中20人のベンチ入りメンバーに選ばれ、「ベンチキャプテン」として甲子園の舞台を踏んだ。

 「本当に夢みたい。信じられないですけど、幸せです」

 水泳部だった中学3年生のとき、夏の甲子園に阿南光が出場した。「地元の高校が甲子園に出ているのを見て、かっこいいと思った」

 小学生のときにプロ野球・阪神タイガースのファンクラブに入り、甲子園には父哲三さん(56)と何度も試合を見に行っていた。プロの選手が活躍する舞台で、地元の選手が白球を追う姿にあこがれた。

 野球の経験は小学2〜4年に地元の野球チームに所属していた3年間だけ。しかも軟式の経験しかない。それでも、阿南光に入学後、担任だった岩前涼也部長(29)に「野球部の体験に行きたいんですけど」と切り出した。

 岩前部長は最初は驚き、諭した。「硬式は頭に当たったら大けがをするから、相当強い気持ちがないと入れさせられない」。哲三さんが「本人がやりたいなら」と背中を押してくれ、練習に参加できるようになった。

 入学時は体重42キロと細く、筋力トレーニングのベンチプレスで使う重さ20キロのバーベルを持ち上げることも難しかった。

 母ゆかりさん(54)は、野球選手用の食事メニューの本を買ってきて、毎日カロリーを考えながら食事を準備。藤崎選手はジムに通い、筋トレにも励んだ。体重は61キロまで増え、昨秋の徳島県大会で悲願のベンチ入りを果たした。

 甲子園ではベンチキャプテンとして、誰よりも声を出し続けた。星稜との準々決勝は5点を追う展開となったが、最後まで「あきらめるな!」とベンチで声をからした。

 「甲子園(の練習)でノックを受け、目標だった校歌も歌えた。野球を教えてくれたチームメートのことが誇らしい」

 この日、スタンドで応援した哲三さんは「野球を通して息子は成長し、たくましくなった。帰ったら『お疲れ様』と声をかけてあげたい」と話した。(室田賢、吉田博行)