50年前の七夕豪雨を機に合併前の旧清水市と旧静岡市内の電柱に取り付けられた「洪水痕跡表示板」を県が設置以来初めて付け替えることが29日までに分かった。洪水の高さを示す表示板は、もともとのブルーの色がすっかり剥げ落ちている。電柱が新しくなり表示板そのものがなくなっている箇所も多くある。何割程度が残っているかも不明。まず現況把握から始め、年度内に復活させる方針。
 静岡県が開示した資料によると、洪水痕跡表示板は被災直後に県が測量した結果を基に、1985年度までに静岡市内で113カ所設置された。縦15センチ、幅30センチ程度の金属製のプレートには「洪水痕跡 昭和49年7月7日」と書かれ、被災の深刻さが体感できるように地面の高さからの浸水の深さ(浸水深)に矢印が記してある。113カ所のうち7割以上は、巴川水系の氾濫で洪水被害が深刻だった旧清水市(現在の清水区)。2メートル以上の高さの地点も多い。
 県静岡土木事務所によると、9月ごろからどの程度残っているか調査を進める。同事務所の望月一弘河川改良課長は「数年前から復活させようという機運があった。七夕豪雨50年を機に更新を決めた」と話す。異常気象により河川の氾濫などは増えていて、かつて「10年に1回」と言われた災害がさらに短い間隔で起きているという。県河川企画課の担当者も「災害を自分事として捉えるきっかけにしてほしい」と訴える。
 国土交通省河川環境課によると、洪水痕跡表示板の取り組みは福島県の阿武隈川や愛知県の庄内川などにもあるとされる。同課の担当者は「災害の風化防止に加え、危機が迫っていることが一目で分かるので、避難行動を早められる」と効果を指摘する。
  ■7月6日、静岡でシンポ 水害どう備える
 1974年7月の七夕豪雨から間もなく半世紀を迎えるのを前に、「流域治水シンポジウム 七夕豪雨から50年」(県主催)が7月6日、静岡市駿河区のグランシップで開かれる。「あの水災害を自分事に」をキーワードに洪水被害にいかに備えるかについて考える。参加無料。
 大河ドラマで時代考証を手がける静岡大の小和田哲男名誉教授が「戦国一の治水名人は誰だ〜信玄、清正、それとも」と題して講演する。気象キャスターを務める気象予報士の伊藤麻衣さんも登壇する。
 豪雨以降の河川行政の取り組みの紹介があるほか、併設の展示ブースでは麻機遊水地保全活用推進協議会などが出展する。定員400人で、事前申し込み締め切りは3日まで。問い合わせは県河川企画課<電054(221)3035>へ。