入り江たか子のプロダクションから



『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』第2号表紙

 1934年12月26日、のちの巨人軍、「大日本東京野球倶楽部」が創立。2024年はプロ野球90年の節目の年となる。

 今回、小社ではプロ野球90年を記念し、歴代のトッププレーヤー1500人超をポジション別に分けた『月刊プロ野球ヒーロー大図鑑』を企画。第2号が4月23日に発売された。

 全30巻で基本的にはポジション別にセ、パ1冊ずつだが、数の多い投手のみ、先発右投手、先発左投手、リリーフなど、さらに細分化している。

 2号目のテーマは三塁手セ・リーグ編。今回も未掲載選手を紹介する。

 登場するのは、伊勢崎商から日活太秦、全大宮、奉天日満実業を経て36年秋に大東京入りした柳沢謄市(やなぎさわ・とういち)。大東京は37年秋からライオンになっているが、これはライオン歯磨のネーミングライツだ。現在のDeNAにつながる系譜である。

 柳沢は日活の大部屋俳優だったらしいが、のち女優・入江たか子の入江プロダクション入り。そこにあった草野球チームで四番ショートだったという。

 大東京入りは、俳優に見切りをつけたか、自ら顔見知りの小西得郎監督を訪ね、「入れてください」と直談判。小西監督は面白いヤツと思ったか、テストもせずに入団となったらしい。

 柳沢は俳優だけあって顔はいいが、やや胴長短足。ただ、グラウンドでちょこまか動く姿に愛嬌があり人気者となった。

 芸人だけに遊び好きで(失礼!)夜遊びで試合に遅刻したこともあったという。

 成績的には特筆するほどのものはないが、37年8月29日に1イニング3盗塁の記録がある。

 入江たか子の大ファンだった巨人・千葉茂は、柳沢を見るたび、「あの入江様のご尊顔を毎日拝していたのに違いない。いや、お言葉をかけてもらったかもしれん」と思い、柳沢が憎くてたまらなかったとか……。