昨今、社会人が大学や大学院に通いなおしたり、MBAなどの資格を得たりする動きが起こっています。しかし、得た資格がどのような役に立つのか、大学院を修了した学生の処遇について疑問が呈されています。ここでは社会人学生の抱える問題点と実学志向を強める大学側の問題点を考えます。(加藤博章)

●なぜ社会人の学び直しが活発になったのか

大学で社会人の学生を見ることは今や当たり前となっています。この背景には、社会人の高度技能化を促す社会的な傾向と、少子化による大学進学者数減少を受け、社会人の学び直しによる進学者確保を狙う大学側の思惑があります。

一方でMBAなどの学位を取得することが何の役に立つのか分からないとする意見も見られます。具体的に言えば、就職や昇進にどのように結びつくか不明、MBAなどを取得してもしなくても大して変わりはない、学位の有無ではなく、勤続年数の方が重要、大学院を出た方が就職には不利になる。

このような意見が良く見られるのも事実です。MBAなどの実務に役立つと言われる社会人向けの講座は、同じ大学でも他の研究科と比べて高額となっています。その分だけ、学位を取った後のキャリアパスが不透明な現状に憤る人が多いのも頷けます。

●実学志向がもたらした大学院強化と実務家教員の受け入れ

社会人学生の増加だけでなく、大学では元実務家の教員を多く抱えるようになりました。こうした実学志向が強化されたのが、1990年代から始まった大学改革の結果です。1980年代、60年代の大学紛争による混乱が終結した一方、大学は安定期を迎えていました。

一方、象牙の塔と称されるように大学と社会の乖離が大きいとする意見も強くなっており、大学教育の見直しを求める意見が出されます。こうした中で1987年に大学改革を行うために大学審議会設置等に関する学校教育法改正が成立し、大学審議会の答申をもとに90年代に大学改革が行われました。

この大学改革の中で打ち出されたのが大学院の強化と実務家教員や社会人学生の受け入れといった社会に開かれた大学づくりです。大学は社会に役に立たない空理空論を教えている場所であり、学生は入ったは良いが、ほとんど勉強していない。こうした現状を変えるために改革が推し進められました。その結果、大学には企業や官庁を退職した実務家教員が多く雇用され、MBAなど実学と結びついた学位習得を目指す専門職向けの大学院が増加していきます。

●修士すらもたない「学士」だけの実務家教員も

大学改革の結果、大学では実学志向の動きが強化されていきました。実学とは簡単に言うと、役に立つ学問を指します。大学という象牙の塔にこもった学者たちが教えている社会の役に立たない学問ではなく、経験や技術といった実証性を踏まえ、直ぐに役に立つ学問を教えるべきだ。それが実学です。

新しい大学教育では、こうした観点から社会人学生に大学が開放されました。一方で、その分野で働いているなど、実体験を学生に教えるという必要性から実務家教員と呼ばれる人たちが多く雇用されました。彼らは企業や官庁のOBなどから選ばれています。

こうして実学志向の改革が行われてきましたが、そこには大きな問題が含まれています。社会人向けの即戦力養成講座や実務家教員を呼んできて授業をさせるのは良いですが、多くの場合、学問として教えるのではなく、個人の体験談を語るだけになってしまっています。

大学教員は資格なしでもなれると言われています。最近では少なくなりましたが、人文科学系や社会科学系でも修士のみ、学士しか持っていないという教員も珍しくありませんでした。かつて、博士号とは何か大きな研究を成し遂げた人に与えるべきであり、大学院を出ただけで与えられるものではないとされていたからです。東京大学法学部などでは、将来研究者として有望な学生は大学卒業後、そのまま助手として採用(学卒助手)という制度もあります。

●大学が企業や官庁とのコネクションを求める側面

海外を見ると、博士号を持っているのが当たり前です。海外との比較という点だけでなく、大学改革の中で大学教員の質を担保すべきという意見が強くなりました。こうして大学院修了、博士号を持っていることが望ましいという風潮になっていきます。

とはいえ、博士号が絶対に求められるようになったのかと言うと、そこは場合によります。実務家教員の場合、学位よりも経験が重視されます。実務家でない志願者であっても、学位が絶対条件という訳ではなく、望ましい人材と思われたら採用となります。大学教員の採用過程では大学が望む人材であることが重視されます。

実学志向に伴い、多くの実務家教員が採用されてきました。実務家教員の採用増となったのにはほかにも原因があります。実務経験を教えてもらうということもそうですが、企業や官庁とのコネクションを求めてという場合もあります。

失われた30年と呼ばれる長期の景気低迷の中で、学生の就職は難しくなっています。有力大学でさえも、就職活動が厳しい中、中堅や地方大学はさらに厳しいのが現状です。そうした中で学生の就職に少しでも有利となるように実務家教員を採用するという大学が増えています。企業もそうですが、元自衛官や元警察官のように大量に雇用される公務員のOBも多くなっています。

元自衛官や元警察官の教員は公務員試験の対策授業や元職場とのつながりから、学生に体験講座をしたり、就職後のキャリアプランの説明会などにもかりだされます。私も防衛大学校で研究員をしていたことがありますが、その際、京都の公務員予備校の説明会で講演を頼まれたことがあります。その時は自衛隊槽候補生対策講座、下士官試験の対策授業を受けている学生が対象でしたが、京都大学、同志社大学、立命館大学など、京都近辺の大学の学生が勢ぞろいしており、各大学に志願者がいるものだなと思った記憶があります。

●授業のやり方を体系的に学べる機会も乏しい

話を戻しますが、長期の経済不況により、学生が大学を見る指標として就職率が重要となってきました。これを反映して、実務家教員が多く雇用されてきたという訳です。しかし、ここで問題だったのが、実務家教員の人達が何を教えるのか、そして研究とは何かを知らずに入ってきたということです。

ここに大学教育の抱える問題がありました。90年代以前、大学教員となることを想定した大学院生や学生は授業のやり方、下手をしたら研究のやり方すら教わっていないということもありました。まだ徒弟制が根強く残っていた時代ですので、指導教授の方針にお任せという時代でした。90年代以降、大学院機能の強化ということでカリキュラムが整えられ、研究手法についての授業が開かれます。一方、授業のやり方などを教わるようになったのはここ最近の話です。私は2018年に大学院を修了しましたが、この頃になっていくつかの大学で大学院生向けに大学教員養成講座のようなものが始まりました。

大学院生でもこうなのですから、実務家教員にこうした機会はほぼありません。大学教員にはOJTもありませんから、一から作っていかなくてはなりません。この結果自然と増えたのが、自分の過去の経験だけを語る授業の増殖です。

実学志向で言われている実学とは、体験や技術を学問として昇華させる必要があります。学問とは何かといえば、ある事象、今回取り上げている実務家教員であれば、個人の体験を複数集めることにより、集合知としていく過程です。しかし、多くの場合、個人の体験談を述べるのに終始するか、過去の経験のみを語るようになってしまい、最新のトレンドには対応できなくなってしまいます。

実務家教員の中には体験ではなく、学問として昇華させ、研究もバリバリやっている人も少なくありません。しかし、大半の教員は思い出話のみを語って終わりとなっています。大学改革が意識していた質の低い教員を増殖させる結果となってしまいました。

もちろん、これは実務家教員に限った問題ではありません。実務化枠でない教員であっても、質の低い教員は多くいます。学問を教えるというのは難しいのです。

●学位ではなく、どの大学を出たのかばかりを気にする日本企業

実務家教員以外にも大きな問題があります。それが、社会人向けの講座やMBAなどの大学院を修了したとしても、肝心のキャリアパスに役に立つかが分からないことです。MBAコースなどに出願する人々は自身のキャリアパスにプラスになるという理由で出願してきますが、それが何の役に立つのか分からないのであれば、来る意味がありません。

これは日本社会の構造が変わらなかったというのが大きく作用しています。日本は体験、言い換えれば経歴が優先される社会です。良く学歴社会という言い方をしますが、本来学歴社会とはその人の持っている学位の種類を問うものです。

中国は日本と同じように学歴社会と言われますが、内実は全く異なります。中国の大学で教えたこともありますが、中国では学位を持っているかいないかで処遇が変わります。一番わかりやすいのが給料です。博士号持ちと学士しか持っていない人では初任給に違いがあります。博士号持ちであれば、7500元(日本円で15万円くらい)のところ、学士しか持っていない人だと5500元(11万円くらい)というのも珍しくはありません。

日本の場合には学位の種類ではなく、どこの大学に居たのかという体験を問います。メディアでは、大学中退や在学中の人であっても、大学を出た人と同等に扱います。良く出てくるコメンテーターにはそうした人々も少なくなりません。彼らは学歴で言えば、高校卒業にしかすぎません。メディアからしたら、そんなことはどうでも良いのでしょう。

●東大中退のエリート外交官は、海外の感覚では単なる「高卒」

こうした問題は海外と比べてみると良く分かります。そして問題になったこともありました。かつて日本には外交官試験がありましたが、外交官試験を通った後で中退してそのまま就職するという人が多くいました。外交官試験という難関を突破することに意味があったという訳です。

しかし、外務省入省後に問題が生じます。外交官は入省後海外の大学院に研修に行くことになっています。当たり前ですが、いくら東京大学中退であっても中退は中退ですから、一般には高校卒業とみなされます。留学の際に苦労したとも言われています。

21世紀に入りましたが、体験を重視する傾向は変わっていません。終身雇用制が徐々に崩壊してきていますが、まだ新卒採用が重視され、ようやく中途採用が始まったという状況です。

MBAなどは欧米で始まった制度です。欧米ではジョブホッパーという言葉があるように短期間で仕事を移るのが普通です。就職の際に見るのは、この人にどのようなスキルがあるのかという点です。MBAなどは就職の際に持っている資格として意味があったのです。

もちろん、MBAコースを受講することで経営についての幅広い能力を養うことはできたでしょう。しかし、体験を重視する日本では資格よりもどういう経歴かが重視されます。おかしな話ですが、国会議員として1期のみ務めた人、官僚として数年務めただけの人が、その道のプロとして処遇されるのが日本という社会です。

●なぜ大学改革が繰り返されているのに、成功しないのか

ここまで実学志向の経過と問題点を紹介してきました。2024年現在でも教育改革に対する機運は高まっています。主に経済界からそうした意見が挙がっています。しかし、彼らの意見は行き当たりばったりと思い付きのままに言っているものが少なくなりません。

彼らは教育の専門ではなく、彼らの体験から語っているにすぎません。かつて大学はレジャーランドと呼ばれていましたが、今は単位習得に厳しくなっています。学生は就職活動に忙しく、遊んでいる暇はありません。しかし、経済界の認識は変わっていません。

今後も実学志向は変わらないか、さらに強くなっていくでしょう。企業は効率化が求められ、企業で行っている教育にもお金をかけられなくなっています。そうした中で即戦力としての人材が求められています。

求められる人材像は30年も変わっていないのに、どうしてそうした人材が供給されないのか、日本の大学は衰退していると指摘されていますが、数多くの改革にも関わらず、なぜそれが成功しないのか、その原因を追究しないままであれば、教育と人材の不一致は続くと言わざるをえません。

<参考資料>
井下理「「実学」再考―教育改革の動向」『高等教育研究』第4号(2001年4月)。 黒羽亮一「日本における1990年代の大学改革」『学位研究』第3号(1995年6月)。 吉田文「大学改革は何をもたらしたのか―臨時教育審議会からの総括」『高等教育研究』第12号(2009年5月)。

【著者プロフィール】加藤博章。1983年東京都生まれ。名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻環境法政論講座単位取得満期退学後博士号取得(法学博士)。現在は関西学院大学兼任講師。専門は、日本政治外交史、主に日本の国際貢献、安全保障政策。主著に『自衛隊海外派遣』ちくま新書、2023年、『自衛隊海外派遣の起源』勁草書房、2020年。