テレビでみかけなくなると、「あのタレント終わった」と思う人もいるかもしれません。ギャル漫画家としてバラエティ番組に連日出演していた浜田ブリトニーさんは、自身の人気を一過性だと実感し、みずからテレビの舞台から姿を消しました。そして、自分で選択した歩みが、その後の人生で花を咲かせるのです。(全5回中の1回)

アポなしで出版社に持ち込むと雑誌掲載が決まり

── 漫画を描いたことがないのに漫画の専門学校に通い始め、初めて描いた漫画で学校の最優秀作品賞に選ばれたそうですね。

浜田さん:すごく嬉しかったし、「未経験から始めて半年で最優秀作品賞に選ばれるなんて、私すごくない!?」と調子に乗ったんです。それで出版社に持ち込んでみることにしました。

小学館の「ビッグコミックスピリッツ」に持ち込みをしたんですが、当時の私は典型的な渋谷のギャル。見た目も言動も、漫画なんか絶対描きそうもない雰囲気でした。だから受付でも「すごいギャルが、なぜか漫画を持って来た」ってちょっとした騒ぎになったみたいです。

『20世紀少年』などで有名な浦沢直樹先生の担当編集者の方が「僕、原稿見ますよ」と言ってくれました。そのときに「君は自分自身のことを描いたほうがいい」とアドバイスをくれたんです。

助言をもとに2006年に描いたのが『ハイパー探偵リンカ』という作品で、ギャルが探偵をする話でした。それが編集さんにウケて「この子をデビューさせたらおもしろいんじゃない?」となったらしいです。『ビッグコミックスピリッツCasual』に掲載されることになりました。

── とんとん拍子ですね。ご自分ではどう思いましたか?

浜田さん:「私の漫画が雑誌に載るんだ!」と、びっくりしました。当時は漫画の専門学校に通い、キャバクラでも働いていたから、人に会うたびに雑誌に掲載された作品を見せて「これ私が描いたの。読者アンケート書いて!」とお願いしていました。キャバクラではお客さんがおもしろがってくれたし、まわりの人は「すごいね」と応援してくれました。

みんなが読者アンケートを書いてくれたおかげもあってか、2007年から『ビッグコミックスピリッツ』で、ギャルのことを描いた『パギャル!』という作品の連載が決まったんです。

「ホームレスギャルマンガ家」として一世を風靡していた頃

── いきなり連載を手がけるのは大変だったのではないでしょうか?

浜田さん:最初の読みきりから連載開始まで少し時間があり、その間に連載用の漫画を少し描きためていたんですよ。だから、最初の1〜2年はわりとラクでした。

でも、ストーリーは作れてキャラクターは描けるけど、背景が描けないんです。だから、風景写真を撮ってトレースしたり、学校の先生に手伝ってもらったりしていました。周囲の人たちみんながたくさん協力してくれたと思います。