◇記者コラム「Free Talking」

 最後の晴れ舞台で、どうしてもお披露目したいものがある。

 昨年の名古屋場所限りで引退した、愛知県春日井市出身で元幕内明瀬山の井筒親方(38)が、6月2日に東京・両国国技館で断髪式を行う。

 その後にパーティーを開くが、そこで飾ることになっているのが「染め抜き」。夏場の夏場所、名古屋場所、秋場所に場所入りする時に着用する華やかな着物だ。

 断髪式用のポスターには、その染め抜きを着用した写真が使用されている。場所入りを忠実に再現するため、こういうポスターには珍しく普段通りのメガネ姿だ。だが何かが足りない。染め抜きには、しこ名以外にそれぞれ好みのデザインが描かれるものだが、それには「明瀬山」というしこ名しかないのだ。

 背中にしこ名が染め抜かれているので、正面から見ると普通の着物にしか見えないが、それには理由があった。

 2021年初場所で史上4位のスロー再入幕を果たし、見事に勝ち越しを決めた。次の春場所は負け越したものの夏場所の幕内残留は確実となったため、幕内力士に許される染め抜きをギリギリのタイミングで注文したからだった。

 「前面に柄を入れると間に合わないと言われたので。名前だけならということで」

 いつかは染め抜き姿でお客さんの前を通って場所入りしたい。そんな夢があったが、コロナ禍で同年の夏場所は地下駐車場からの場所入り。翌7月の名古屋場所では十両に陥落した。

 本当は、どんな柄を入れたかったのか。「コイだったかもしれません。コイっていつか竜になるじゃないですか」

 激流の滝を登り切ったコイは竜になるという伝説がある。十両への昇進回数は7回を記録。21年初場所の再入幕は実に28場所ぶりだった。現役時代にコツコツと努力を重ねてきた親方は、きっと人生で竜を描く日が来るだろう。(相撲担当・岸本隆)