昭和後期が舞台の1つであるTBS「不適切にもほどがある!」(金曜午後10時)は若い世代の視聴率が高い。「昔を懐かしむ昭和世代ほどよく観ており、令和の若者は脱落した」という声もあるが、実情は異なる。なぜ、このドラマは若い世代にウケるのか?【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

コア視聴率では1位に

 このドラマは若い世代ほどよく観ている。4年前からテレビ界の標準値になった個人視聴率を見れば分かる。まず、高齢者から子供まで合わせた個人視聴率(全体値)の順位は次の通りである。

1位:TBS「さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜」(日曜午後9時)
第8回までの平均値6.63%
2位:日本テレビ「となりのナースエイド」(水曜午後10時)
第8回までの平均値4.48%
3位:TBS「不適切にもほどがある!」
第6回までの平均値4.41%。

 これを13歳から49歳に調査対象を絞ったコア視聴率に置き替えると、順位が引っ繰り返る。1位:「不適切にもほどがある!」(平均値3.55%)、2位「さよならマエストロ」(同3.31%)、3位「となりのナースエイド」(同2.81%)の順である。

 コアの調査対象の上限である49歳を74〜75年生まれとすると、「不適切にもほどがある!」の主人公・小川市郎(阿部サダヲ・53)が暮らしていた1986年には小学生。昔を懐かしんで観ているわけではないだろう。

視聴者は割り切っている?

 さらに個人視聴率を細かく見てみると、このドラマを最もよく観ているのは、昭和期を全く知らない若い女性であることが分かる。F1(女性20〜34歳)と呼ばれる視聴者層である。F1層の個人視聴率は4%前後と極めて高い。「さよならマエストロ」のF1層の約2倍もある。

 令和の若者はこのドラマから脱落したという声がSNSにあるが、その根拠は「市郎の古い価値観に若者は嫌気が差したから」といったものである。しかし、データを見た限り、そう考える視聴者は多くはないのではないか。市郎の価値観は昭和期のものだと割り切って観ているはず。最初からタイムリープ作品と謳われているのだから。

 ほかの作品に置き換えてみると分かりやすい。女子高生が太平洋戦争末期にタイムリープし、出撃を間近にした特攻隊員と恋に落ちる映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(23年)の場合、全編に軍国主義が垣間見える。

 これに嫌気が差し、作品への評価を下げる観客はいないだろう。過去に存在した価値観と割り切ったはず。どのタイムリープ作品も同じなのである。観る側は現代と過去を区別しているはずだ。

昭和に市郎のような男がいた「事実」

「不適切にもほどがある!」の場合、現代に慣れていなかった第1回時点の市郎は、女子高生に向かって「パンツ見えそうなスカートを穿いて、痴漢してくださいと言っているようなもんだぞ」と口にした。秋津真彦(磯村勇斗・31)の会社の人間に対しては「頑張れって言われたら、1カ月会社を休んでいい時代なのかよ」と毒づいた。モラハラ、セクハラ、パワハラのオンパレードだった。

 第2回でも「(女性の)部屋に上がった時点で(行為の)合意みてーなもんだろ」と、とんでもない考え方を口にした。正に不適切。しかし、市郎は過去の男なのだ。

 過去や未来の価値観や文化、文明を描くのがタイムリープ作品である。市郎のような男が昭和期に存在したのは事実。それを描かなかったら、歯ごたえのないドラマになってしまう。

 脚本を書いているクドカンこと宮藤官九郎氏(53)は、おそらく市郎の言動に対し、反発の声もあることを読んでいた。だから脚本内に反発に対する返答と受け取れるセリフを盛り込んでいる。

進化した市郎

 第6回。市郎はバラエティ番組「常識クイズ 令和Z世代VS昭和おやじ世代」への出演を依頼されたが、最初は断る。

「ダメだろ、オレなんて。口を開けば不適切だぜ」(市郎)

 しかし、脚本家の江面賢太郎(池田成志・61)に背中を押され、考えをあらためた。

「だから、いいんだよ。今つまんないじゃないテレビ。当たり障りのない奴ばっかでさ」(江面)

 この江面の言葉にクドカンの思いが込められていると見る。批判を怖れてばかりでは表現の幅が狭まると考えているのではないか。

 また、お気づきだろうが、市郎は進化しつつある。回が進むに連れ、問題発言が減った。現代の常識を少しずつ身に付けている。だから「ダメだろ、オレなんて。口を開けば不適切だぜ」という自嘲気味の言葉も口にするようになった。TBS「JIN−仁―」(09、11年)の主人公・南方仁(大沢たかお・55)が、タイムリープ先の幕末の生活に少しずつ馴染んでいったようなものだ。

「ふてほど」を構成する7要素

 次に、どうして若い世代のほうが惹き付けられるかというと、ギャグ満載で青春ドラマの色合いもあるからだろう。このドラマをあらためて見直し、分析したところ、大きく分けて7つの要素で構成されている。ほかのドラマは大抵がせいぜい3〜4要素だから、かなり多い。7要素は次の通りである。

1:市郎、小川純子(河合優実・23)、犬島渚(仲里依紗・34)、ゆずる(古田新太・58)による家族の物語
2:秋津睦実(磯村・2役)、向坂キヨシ(坂元愛登・15)、純子らの青春物語
3:EBSテレビのカウンセラー・市郎と同プロデューサー・渚、同リスクマネジメント部長・栗田一也(山本耕史・47)らによるギョーカイ物語
4:ギャグ
5:昭和後期と現代の文化・文明のギャップ
6:同じく価値観ギャップ
7:社会風刺

 要素がこれだけあると、構成は難しくなるが、観る側を飽きさせない。青春物語にはキヨシの中学の同級生で不登校を続けるS君こと佐高強(榎本司・13)も加わったので、ますます見応えが増しそう。おまけにミュージカル付きで、遊び心もある。

哀しい話でも笑わせる高度なギャグ

 ポップスやロックもよく使われることがあってか、日本人はミュージカルが苦手な人が多いとされる。しかし、このドラマのミュージカルのベースは大半が日本人の好む歌謡曲。これによって視聴者に受け入れられたと見る。

 第3回でセクハラ問題が歌われた時には故・桑名正博さんの「セクシャルバイオレットNo.1」(79年)が使われた。思いっきりダジャレだった。

 ギャグのセンスも抜群。これも若い世代を惹き付ける理由に違いない。第5回。市郎がショックを受けるのを避けるため、渚とゆずるが純子の死を隠した際のやり取りはまるで古典落語だった。ゆずるが目に入るものを使って次々と下手なウソをついた。笑わせてくれた。哀しい話で笑わせるのは高度なギャグである。

 家族の物語も若い世代を引き込んでいるのではないか。家族に対する思い入れがあまり強くない若い世代はホームドラマを観ない傾向が強いが、このドラマは別格と見る。家族の描写がリアルだからである。

ドラマの核心になるのは「家族」か

 純子は「チビで薄毛のおっさん」と市郎を罵りながら、彼のために自発的に好きなテレビ番組を録画し、焼きうどんをつくる。市郎も純子に対し「ブス」と言い放ちながら、彼女のお宮参りの写真とヘソの緒を大切に持ち歩いている。ドラマにありがちなスマートな家族、あるいは甘いだけ、あるいは厳しいだけの親子関係とは異なる。世間の家族関係も単純ではないはずだ。

 最終的にドラマの核心になるのも家族だと見ている。昭和後期と現代で激変した価値観、文化・文明を描きつつ、いつの時代も変わらない家族愛を表すと読む。自分と純子が1995年1月の阪神・淡路大震災で亡くなることを知った市郎がどう動くのか。

「オレはいいんだよ。いつ死んでも。だけど純子が。まさか26歳でなぁ……」(市郎、第6回)

 市郎の純子への愛は若い世代の胸も打つのではないか。

タイムリープ作品の大半は若い世代向け

 そもそもドラマも映画もタイムリープ作品は大半が若い世代向けなのだ。発想が柔軟で、夢にあふれた世代だから、非現実的な世界も受け入れやすい。

 映画で一例を挙げると、「時をかける少女」(83年、ドラマ化もあり)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ(85年〜)、「バタフライ・エフェクト」シリーズ(04年〜)、「もしも昨日が選べたら」(06年)、「きみがぼくを見つけた日」(09年)、「君の名は。」(16年)。ことごとく若い世代向けなのである。

 このところ、日本テレビ「ブラッシュアップライフ」(23年)やTBS「ペンディングトレイン―8時23分、明日 君と」(同)などタイムリープを扱ったドラマが増えた。タイムリープ作品の増加は世界的なトレンドだが、日本のドラマ界の場合、若い世代の視聴者が見込めるからだろう。すると各局が重視するコア視聴率が高まる。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部