「タモリ論」改め、「タモリ老」
2024年3月9日、「ブラタモリ」の番組終了が発表された。
「ブラタモリ」がスタートしたのは2008年。タモリさんが63歳になってからだった。
筆者には「ブラタモリ」が、晩年に諸国漫遊に出かけた水戸光圀と重なる。
もちろん「水戸黄門」はフィクションだ。しかしタモリという存在もかぎりなくフィクションに近い。
そもそもタモリさんは奇跡のような存在だった。
“インド独立の父”であるガンジーについて、アインシュタインは、「後世の人々は信じられないのではないか」と評したことがある。
タモリさんについても、後世の人々は信じられるだろうか。
お昼のテレビの生放送を32年間続けてノイローゼにもならず、気も狂わなかった男がいたことを。
「生放送単独司会 世界最長記録」とギネスから認定されても偉ぶることはなかった。本人もおそらく忘れているだろう。
筆者はかつて拙著『タモリ論』で、氏を「絶望大王」と定義づけた。「自分にも他者にも期待していない」と。
その『タモリ論』が発売された3ヶ月後に、「笑っていいとも!」の終了が発表された。
翌年のグランドフィナーレはダウンタウン、とんねるず、爆笑問題、ウッチャンナンチャン、明石家さんまといった禁断の顔ぶれが揃い、「怪獣大戦争」さながらとなった。
しかしあのような華々しい幕引きは、タモリさんにとって居心地が悪かったのではないか。
「タモリ倶楽部」は淡々と終了
昨年の今頃、やはり41年という長寿番組だった「タモリ倶楽部」の最終回は、いつもの回とまったく変わらず、淡々と終わった。
「大騒ぎしてほしくない」という思いは、タレントにあるまじき姿勢かもしれないが、そっとしておいてあげてほしいと思う。
先日、伊集院光(タモリと黒柳徹子の後継者筆頭)が深夜放送で「タモリ倶楽部」について語っていた。
「『タモリ倶楽部』の凝り方って言うか、お金結構かかるって言うか、意外に地味なところにこういうテーマでやるのに人を探すことに関してもリサーチ会社が相当優秀でないと。リサーチャーも『この人タモリ倶楽部なら生かせると思うんですよ』。それは『タモリ倶楽部』だし、タモさんだから。制作会社のハウフルスだから。復活させるのは難しい」
テレビで見かけるたび、小学2年生の息子とゲラゲラ笑ってしまうほど好きだが、ジョニー志村が代わりにやればいいというものではない(この原稿を書いている最中、「ラヴィット」がジョニー志村で「いいとも!」を再現していた)。
誰もタモリ不在の欠落を埋めることなどできない。
そして今年、「ブラタモリ」も終わる。
テレビで見ない日がなかった男が、ゆっくり店仕舞いをしようとしている。
そもそもタモリさんはこれ以上働く理由はない。一生使いきれないほどの財産を築いてきた。
早晩、ここ数年、視聴率ひと桁の「ミュージックステーション」も終わりを迎えるかもしれない。
タモリさんが近年正当な評価を受ける契機になったのは、「ミュージックステーション」で小沢健二と共演したことだった。
後日、「いいとも!」のテレフォンショッキングで、「俺、長年歌番組をやってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、“左へカーブを曲がると光る海が見えてくる。僕は思う。この瞬間は続くと。いつまでも”って。俺、あそこまで人生を肯定できないもん」
ああした奇跡のシーンも無くなると覚悟しなければならない。
タモリの終わり、森田一義の始まり
今後、タモリさんはどうなるのだろう。
毎日何をして過ごすのか。
かつて「休みの日は何をしてますか」とSMAPに訊かれて、
「休みの日は、起きたら歯を磨く前にビールを飲む」と答えた。
「いいとも!」終了後はおそらく毎朝ビールを飲む習慣にも飽きて、別のルーティンを見出しているかもしれない。しかし私生活は謎に包まれたままだ。
番組が終了しても、タモリさんはサングラスを外してひっそりとあちこちを散歩するだろう。
見かけても気づかないふりをして、声をかけないほうがいい。彼はもう「タモリ」ではない。福岡から上京し、「タモリ」を演じてきた多才なインテリ、森田一義に戻ろうと準備している。
寂しい気持ちはみんな同じだ。しかし、タモリさんを見て育った世代にはこう言いたい。
いつまでもあると思うな、親とタモリ。
赤塚不二夫の葬儀の際、タモリさんは「私もあなたの作品の一部です」と締め括った。
赤塚不二夫の最高傑作は、そう遠くない将来、バカボンのパパやニャロメと同じポジションに並ぶ。永遠に生き続ける。
教わった「あるべき下山」
タモリさんだけではない。彼より歳上の関口宏さんも37年間続いた「サンデーモーニング」のMCをこの春降りる。
タモリと双璧のビートたけしも、長年の親友である黒柳徹子も、テレビで見る限り、すっかり老け込んだ。盟友井上陽水も近年は見かけない。
年老いた親を看取ることは不幸ではない。
我々は団塊の世代を見送る義務がある。
見送った後は自分たちの番だ。
驚き、戯れ、諦念、崇高……タモリさんは多くのことを教えてくれた。最後は「あるべき下山」だ。
樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
作家。出版社勤務を経て、09年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。著書に『タモリ論』『雑司ヶ谷R.I.P. 』『民宿雪国』『テロルのすべて』『二十五の瞳』『ルック・バック・イン・アンガー』『さよなら小沢健二』『アクシデント・レポート』『中野正彦の昭和九十二年』などがある。
デイリー新潮編集部