新曲「コロンブス」のMVが強い批判にさらされ、公開からすぐに配信停止となった人気バンド、Mrs.GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)。コロンブスの描き方に注目が集まりがちだが、「共演」のベートーヴェンに関しても問題あり、という指摘も――ベテラン音楽ライター、神舘和典氏のレポート。

 ***

文明人と非文明人という構図

 うーん……という印象だ。日本の3人組バンド、Mrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のMV(ミュージック・ビデオ)がネットを中心に批判の標的になっている。所属するレコード会社、ユニバーサルミュージックはMVの公開を停止し、バンドの公式ホームページに謝罪文をアップした。

「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。

 当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」

 このMVでは3人のメンバーがそれぞれ、コロンブス、ナポレオン、ベートーヴェンに扮して、南の島のようなところに行く(設定としては時空を超えた旅なのだろう)。ある家に入ると、類人猿風のおそらく先住民族が6人、バナナやリンゴやピザやショートケーキを囲み、ホームパーティーを楽しんでいる。

 メンバー3人は6人とともに歌い、踊り、記念写真を撮影する。さらに、ピアノを教えたり、人力車を引かせたり、乗馬を教えたり。文明人と非文明人という構図を描いてしまった。

「深くお詫び申し上げます」

 公開直後からネットには批判が殺到した。

 先住民が猿人のように描かれていること、文明人が先住民に一方的にモノを教え、また労働を強いているように見えること等々が「植民地主義」そのものではないか、というのが批判する側の意見である。

 事態を受けて、メンバーの大森元貴さんも謝罪と反省のコメントを発表した。

「『コロンブス』のMusic Videoを製作するにあたり、年代別の歴史上の人物、類人猿、ホームパーティー、楽し気なMVという主なキーワードを、初期構想とし て提案しました。しかしながら、意図とは異なる伝わり方もするかもしれないと思い、スタッフと確認し合い、事前に特殊メイクのニュアンス、衣装、演じ方のフォロー、監修をしていたつもりでおりましたが、そもそもの大きな題材として不快な思いをされた方に深くお詫び申し上げます」

コロンブス評価の変化

 長年、クリストファー・コロンブスは1492年にアメリカ大陸を発見した英雄とされていた。しかし近年、その評価はかなり変わっている。そもそも「発見」というが、アメリカ大陸は無人島だったわけではなく、すでに住んでいる民族はいた。その先住民族からの強奪、大量虐殺、レイプ、植民地化、奴隷化……。

 これを無視してコロンブスを讃えるのはおかしい、という考えが広く共有されるようになった。ネイティヴ・アメリカンや黒人差別の根源にある白人至上主義そのものではないか、ということだろう。そのため、全米各地にあったコロンブスの像は破壊されたり、海に捨てられたりしている。

 そのあたりの認識が制作時には、メンバーには欠けていたのだろう。MVに映る彼らから悪気は感じられない。あまりにも明るく、無邪気に「歴史上の偉人」を演じている。

 現場には多くのスタッフがいたはず。類人猿の衣装やバナナや人力車を調達したスタイリングのスタッフもいただろう。なぜ誰もやめさせなかったのか――。コレ、やっちゃいけないんじゃないかな? と感じたスタッフもいたはずだが……。

 楽曲「コロンブス」はコカ・コーラのキャンペーン・ソングでもあったが、日本コカ・コーラ社は6月13日に楽曲を使用したすべての広告素材の放映を中止したという。コロンブスという存在そのものが前述の通り、かなり微妙なものとなっていることを考えると、大企業であるコカ・コーラもまた随分無邪気だったんだなと思う。

搾取から生まれたという批判も

 コロンブスもさることながら、ベートーヴェンが先住民にピアノを教えるというのも、悪い意味でかなり刺激的なものだったと思う。アメリカの歴史や社会的な流れに無知であったとしても、ポップミュージックの歴史を考えると無神経だと批判されうる描写だった。

 もともとロックは、ブルースやソウルから生まれた。ロバート・ジョンソンやオーティス・レディングらはみな黒人。マイノリティの人たちから生まれた音楽だ。

 初期のロックンロールも、チャック・ベリーやリトル・リチャードなど黒人のミュージシャンが生み出したものだ。その後に登場したビートルズやローリング・ストーンズやエリック・クラプトンのような白人のビッグネームの多くは黒人の音楽を愛し、憧れ、リスペクトした。

 ロックについて「黒人文化の搾取によるもの」という批判すらある。最近ではラップでもそうした見方をする向きもいる。

 だが、実際にはミュージシャンたちは多くの場面で仲良く、人種の壁を越えて交流、共演してきた。それは前提にリスペクトがあったからだ。

ルーツへのリスペクトを示したホール&オーツ

 筆者はホール&オーツにインタビューしたことがある。彼らもまたソウル・ミュージックにルーツを持つ人気デュオだ。アルバム「ドゥー・イット・フォー・ラヴ」の発売に合わせてセッティングされたインタビューの際、こんなことを聞いてみた。

「新作の中にはソウルの匂いがプンプンする作品がある。私は、あなたたち2人が自分たちの原点を再確認しているように思える。その原点を教えてほしい」

 この質問に、2人は次々とお気に入りのアーティストと曲を挙げ始めた。アイク&ティナ・ターナー、スピナーズ、テンプテーションズ、オージェイズ、サム&デイヴ、マーヴィン・ゲイ等々。

 そのほとんどがいわゆる黒人音楽だった。ダリルはこう語っていた。

「しかたがないよ。僕たちはドゥー・ワップやR&Bが盛んなフィラデルフィアで生まれたんだからね。フィリーは、特別な町なんだ。60年代にだって、僕たちの周りは、大ヒットしていたビートルズにも、ローリング・ストーンズにも、誰も強い関心を持たなかった。誰も彼もが、ドゥー・ワップやR&Bを聴いていたんだよ」

 こんな発言もあった。

「日本のリスナーの多くは、僕たちの80年代のヒット曲をポップなものだと思っているみたいだけど、実際はソウル・ミュージックの影響がかなりある。『マンイーター』のギターのリフやドラムなんて、明らかにモータウン・サウンドだっただろ?」

 発言の端々からルーツへのリスペクトが感じられたのである。

ルーツとの距離

 今の日本のロックは、ロックの起源からの距離が遠くなってしまったのかもしれない(もちろんすべてとは思わないが)。ロバート・ジョンソンやチャック・ベリーをビートルズやストーンズがリスペクトし、そのビートルズやストーンズにオアシスやコールド・プレイが憧れ、彼らの音楽を日本の若いバンドが聴き込み、そうした日本のバンドに影響された世代が、今新しい音楽を作っている。

 ロックのルーツから遠く離れたからこそ、日本だからこその新鮮な音が生まれている面があるのも事実だ。Mrs. GREEN APPLEも独自の魅力ある音楽を制作している。

 ただ、ロックの本質は薄まってもいるのかもしれない。本来マイノリティの味方だったはずのロックが、そうともいい切れないかたちになってしまっているのかもしれない。ルーツへのリスペクトも薄まりつつあるのかもしれない。今回のMVがそれを象徴する現象の一つだとすると寂しい気持ちになる。

神舘和典(コウダテ・カズノリ)
ジャーナリスト。1962(昭和37)年東京都生まれ。音楽をはじめ多くの分野で執筆。共著に『うんちの行方』、他に『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数(いずれも新潮新書)。

デイリー新潮編集部