名人2連覇を目指す藤井聡太八冠(21)に豊島将之九段(33)が挑む将棋の第82期名人戦七番勝負(主催・毎日新聞社、朝日新聞社)の第2局が、4月23、24の両日、千葉県成田市の成田山新勝寺で行われ、激戦の末に藤井が豊島を126手で下して連勝した。この一局でかつて大流行した「ひねり飛車」が飛び出した。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

かつて人気だった「ひねり飛車」

 ひねり飛車は豊島の師である関西の名棋士・桐山清澄九段(76)が全盛期によく使った戦法だ。「現役最年長棋士」として奮戦した桐山九段は22年4月に惜しまれながら引退。節目となる通算1000勝には一歩届かなかった(通算996勝)。若き日の彼が「中原(誠)名人(76)を倒す」と言っていたのを覚えている。名人にこそなれなかったが、棋聖3期、棋王1期、名人戦A級在籍が14期という強豪だった。

 ひねり飛車は江戸時代末期に成立したとされる居飛車での戦法だ。先手番なら2筋の歩を取り込んで「2四」へ進んだ飛車が歩で蓋をされて追い払われる。その時に飛車が自陣まで下がらずに横の「3四」の歩を取ってから6段目に下がり、その後、7筋や8筋に飛車を振って攻撃の機会を探る戦法。横へ飛車を振るので「振り飛車」に似ているが、振り飛車は基本的に自陣で左右に振るという違いがある。

 昭和40年代ごろ非常に人気があり、升田幸三名人(1918〜1991)、丸田祐三九段(1919〜2015)、加藤一二三九段(84)、勝浦修九段(77)、桐山九段らが使い手だった。だが、対応策が発達するにつれて廃れていった。

利点と欠点

 ひねり飛車は以下の利点がある。

(1)振り飛車がまず受けになるのに対して、飛車が最初から攻撃で使える
(2)相手が歩を持たないうちに自分が歩を手持ちにでき、攻撃の幅が広がる

 その反面、飛車が狙われやすいといった欠点もある。確かに「ひねった」飛車が死にやすい。あっと思っているうちに上がってきた相手の銀などに「虎の子」の飛車が取られてしまう。飛車は居並ぶ自陣の歩の前にいるので、歩の一つが上がると左右に動きにくくなる上、取りに来られても自陣に避難できないからだ。

 最近は使い手があまりいないが、若手では大橋貴洸七段(31)らが多用している。

 さて、先手の豊島がこのひねり飛車を見せたので、ABEMAで解説していた佐藤紳哉七段(46)と阿部光瑠七段(29)も驚いた。そして、後手番の藤井も「8四」に飛車を据え、双方がひねり飛車模様の展開となった。

一進一退の攻防

 ゆっくりとした展開となったが、藤井が30手目に盤の中央「5五」に角を進める。34手目に「8五」に桂馬を跳ねてきて急戦模様にも見えた。35手目に「豊島九段が『6五桂馬』と跳ねれば一挙に急戦模様です」と解説の伊藤真吾六段(42)が話したが、そこは「3九玉」と守りを固めて、じっくり構えた。藤井は「7七」に桂馬を早々に成り込ませて、ここに跳ねていた豊島の桂馬を取り、豊島がこれを銀で取り返す。この日は激しいぶつかり合いには至らず、39手目という少ない手数で豊島の封じ手となる。

 翌25日の朝、立会人の森内俊之九段(53)の手で開封された封じ手は「2七歩打」。歩の守りがなかった危なっかしい2筋で早めに自陣に蓋をした。なんだか昔のオーソドックスな将棋に戻った印象だった。

 そして豊島は41手目に「7六飛車」とした。これに対して藤井は93分の長考に沈んだ後、「5四歩」とした。

 豊島の飛車は動ける範囲が狭隘(きょうあい)で狙われやすい状況だった。結局、飛車は桂馬で取られたが、その飛車を藤井は「1五」に打つ意表の手を見せた。通常、手持ちの飛車は好機に相手陣に打ち込み、横から攻撃することが多い。敵陣に打ち込み、一手動かせば、強力な竜になる。

 ところが、そうではなかった。2日目の解説をした中川大輔八段(55)は「『1三』にいる嫌なと金を払うことと1筋からの攻撃の2つの目的ですが、私には全く思いつきませんでした」と驚いた。中盤、中川八段は「駒得は藤井さんのほうがずっと上回るが、形勢としては互角」と見ていた。藤井は歩を切らせると、香車を打たれたら今度は自身の飛車が詰んでしまうリスクもあった。

 その後、一進一退の攻防を見せるが、59手目に自陣下段に角を戻す「5九角」という渋い手を見せる。この角を効かせて香車で藤井の飛車を追い込んでいったあたりでは、かなり優勢だった。しかし、その後、豊島が攻めあぐねるうちに形勢は藤井に傾き、最後に藤井玉が「8二」に逃げられて万事休した。

「意外」な戦法

 勝った藤井は、豊島の「1四桂」を50手目に香車で取った「1四同香」を苦戦の原因と分析した上、「第1局、本局もどちらも中盤でミスが出てしまっているので、そこを改善していかないといけない」と話した。勝ちが見えてきた局面を訊かれると「『2四桂馬』と打って寄せの形が見えてきた」とした。それは豊島の投了のたった6手前のことで、難しい将棋だったのだろう。

 連敗した豊島は「金をかわしたのが変だったですかね」と藤井の「7二銀打」とした守りに対して、117手目に「3六金」とした手を例示したが、どこが悪かったのか測りかねている様子だった。第1局のような明らかな失着こそなかったが、優勢だった戦局が終盤に徐々に逆転されていた。藤井の強さと言ってしまえばそれまでだが、豊島が肉薄していることは明らかだった。

 中川八段が「50年くらい前、『先手の必勝型があるとすれば、ひねり飛車だ』と言われるほど猛威を振るった」と話すひねり飛車戦法を、今の名人戦で見るとは思わなかった。中川八段も解説中、盛んに言っていた通り本当に「意外」だった。

「教えた記憶もあんまりない」

 ひねり飛車の名手・桐山九段に電話で話を伺った。

「もちろん、『ひねり飛車を使いたいのですが』などと豊島君から相談を受けたわけでもありません。ひねり飛車は中盤にいる飛車がどうしても狙われやすいリスクがあります。豊島君が子供の頃に、特にこの戦法を教えた記憶もあんまりないんですよ」

「今回の名人戦でこの古い戦法が復活したようですけど、昔の戦法のままではなく本人が新たな工夫を加えて研究して臨んでいましたね。今回、ひねり飛車を採用したことが悪くて豊島君が負けたわけでは決してありません。ずっと(中継を)見ていましたが、最後まで形勢が両者に振れる非常に難しい将棋でした。次に期待したいと思います」

 5月8、9日の両日、羽田空港第1ターミナル(東京都大田区)で行われる第3局で豊島は後手番になる。まずは一矢報いることに期待したい。
(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「『サハリンに残されて」』(三一書房)、「『警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」』(ワック)、「『検察に、殺される」』(ベスト新書)、「『ルポ 原発難民」』(潮出版社)、「『アスベスト禍」』(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部