大阪で同居女性を夜通し殴り続け、床に広がった血をすすらせながら殺害した22歳の男は、反省の色もないのに、12年後には刑期を終えて社会に戻ってくることになった。一方福岡では、少年院を仮退所した翌日に殺人を犯すという事件も起きている。海外に比べ「加害者に甘い」と言われる日本。我が国の刑事罰と矯正教育は、このままで本当に良いのだろうか。

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 昨年、大阪府泉佐野市で、同居女性を暴行し死亡させた罪などに問われていた山中元稀被告(22)。その控訴審が4月16日に大阪高裁で開かれ、1審と同じく懲役12年が言い渡された。社会部記者によれば、

「被告は、同居していた当時18歳の女性に対し、夜を徹して暴行を続け死亡させたとして、傷害致死などの罪に問われていました。犯行は、全身を殴り続け、エアガンを連射し、床に広がった血をすすらせるなど、1審の裁判長から『拷問ともいうべきもの』と指摘されるほど凄惨なものでした」

 一連の行為は、引きちぎった髪の毛で血を拭き取らせ、その束を口に含ませるという強要行為にまで及んでいた。さらに、毎日放送の取材に対して被告は、「十数年の懲役なんてごくわずかで痛くもかゆくもない」「30代に大きく飛躍してBIGになる」といった趣旨の発言をしていたというから、反省の色さえ見られないのである。

加害者ばかりが甘やかされる

「これで懲役12年とは、刑が軽いとしか言いようがありません」

 そう指摘するのは、刑事法学者で、常磐大学元学長の諸澤英道氏。

「ここまでの残虐な行為で一人の命を奪っておきながら、反省どころか、ご遺族の心情を逆なでするような発言までしている。それでも12年経てば社会復帰ができてしまうとあれば、本人のみならず全国の“犯罪者予備軍”が『こんなものか』と高をくくってしまうのは、わかりきったことですよね。こうして加害者ばかりが甘やかされる司法制度のままであるからこそ、日本の再犯率は高止まりしたままなのです」

 法務省が公表している「犯罪白書」によると、2022年の再犯者率(刑法犯検挙人員に占める再犯者の人員の比率)は47.9%。ここ数年にわたってほぼ横ばいの数字が続いているのだ。諸澤氏が続ける。

「一度は深く後悔の念を見せていたとしても、時の経過とともにその気持ちが薄れ、再犯に及ぶ者だっています。まして本件の被告の場合、犯行直後から反省の色は一切ないわけですからね……。行為の残虐性から見ても、再犯の可能性は高いと言わざるを得ません」

 一部では、「被告は恐喝や婦女暴行などを働いた過去がある」という知人証言まで報じられている。そんな人物とあれば、たった12年の刑期で善人に生まれ変わるとは、到底考えられないのである。

「出所後に身近に接する人たちの安全が保証できるのでしょうか。ましてご遺族の心情を思うと、本当にいたたまれない気持ちになります。しかし、これが今の日本の司法の限界なのです」

矯正教育の問題点

 そうであるならば、刑事施設の中で、本当に適切な矯正教育が施されているのかという点にも目を向けなければなるまい。諸澤氏は、

「そこにも大きな問題をはらんでいます。言ってみれば、“考慮すべき事情の上に殺人を犯した人”も、“残虐な犯行を繰り返してきた人”も、基本的には同じ基準で更生させようとしているということです。後者の矯正がマニュアル通りにいかないことは言うまでもありません。この視点が抜けているからこそ、一部の“常習犯”が凶悪な事件を繰り返すことになっているのが実情です」

 近年、このような矯正教育の在り方が注目された事件が、福岡でも起こっている。

「2020年、福岡市内の商業施設で、15歳の少年による殺人事件が起きました。あろうことか、少年院を仮出所した翌日に、万引きしたナイフで面識のないショッピング中の女性(当時21歳)を刺殺したのです。ご遺族は、『少年院が適切な矯正教育や情報共有などを怠った』として、その責任を問う国賠訴訟を23年に提起しています」(社会部記者)

 少年犯罪という特殊性もはらむものの、“加害者に甘い司法”によって、防げたはずの悲劇が現実になった事案といえよう。国賠訴訟を起こした原告の代理人弁護士によれば、

「16年には『再犯防止推進法』が施行され、今や再犯を防ぐことは国や地方自治体の責務になっています。同法に基づき定められた『再犯防止推進計画』に照らせば、少年院側には、個人の特性に応じた指導や、関係機関との適切な情報共有が必要とされていたはずです。しかし本件では、少年の粗暴性や衝動性などの特性に応じた指導がなされていなかっただけでなく、何より仮退院時に、関係機関を招集してケース会議を開催するなど、少年の再非行化を防ぐために重要な対応がとられていなかった結果、このような惨劇に繋がってしまった。同様の事件を繰り返さないために、現在の矯正施設の問題点、さらには関係機関の連携の不備などを明らかにしたいと考えています」

性善説では……

 犯人の少年は幼い頃から家庭内暴力の絶えない家庭で育ち、それゆえか、自身も小学校から中学校にかけて暴行を繰り返しては、施設への入退院を繰り返していたという。だからこそ、十分な処置が施されないままに放免されてしまっては、“起こるべくして起こった”と言わざるを得ないのである。先の諸澤氏は、

「少年と成人で事情は異なるとはいえ、誰しもに対し、性善説のもとに更生を期待する我が国の刑事手続きに問題はないのか、見直す必要があるのではないでしょうか。場合によっては、年齢にかかわらずより厳しい対応が必要なケースもあると思うのです。もちろん、その線引きや人権的配慮などの問題も生じてくるでしょうが、まずはそういった議論から逃げないことが大事。その意味でこの訴訟も、判決の内容だけばかりが取り沙汰されるのではなく、矯正教育の在り方が論じられるきっかけになることを期待しています」

 福岡の事件現場で、発生時に同じフロアにいたという女性は、「一歩間違えたら自分も被害に遭っていたかと思うと今でも恐ろしい」と話す。再犯による被害は、誰もが他人事ではないのだ。過去の悲劇は、きちんと教訓にせねばなるまい。

デイリー新潮編集部