NHKが鳴りもの入りで復活させた大型ドキュメンタリー番組「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜」。18年ぶりの放送にあたって、“失われた30年と言われた今の日本を元気にするヒントを届ける”(3月28日の放送前スペシャル番組より)との触れ込みだった。

 つまり、世界第2位の経済大国からは転落したものの“まだ団結して頑張ればやれる”“日本人の底力はまだ捨てたものじゃない”と元気づけるコンセプトである。自信を失いがちなわれわれを励まし、低迷する日本経済の立て直しにつながるヒントを与えてくれる物語が期待されていた。

 4月の放送開始以降、東京スカイツリー、カメラ付き携帯電話、三陸鉄道の復旧、明石海峡大橋などのプロジェクトに関わった人々の汗と涙の物語を特集してきたが、5月18日に放送された第7回は、日本人を元気にするどころか「おいおい」と突っ込みを入れたくなるような内容だった。(水島宏明・ジャーナリスト/上智大学文学部新聞学科教授)

感動的な技術開発の物語

 それは、2010年に電気自動車(EV)の量産化を世界で初めて成功させた日産自動車の開発秘話を描いた「友とつないだ自動車革命〜世界初!5人乗り量産EV〜」の回。おなじみ田口トモロヲのナレーションは、次のように解説する。

「今、世界は100年に一度の自動車革命のただ中にある。充電プラグを差し込みチャージ。ガソリンを一切使わない電気自動車EV。世界の販売台数は1,000万台を超える。ヨーロッパや中国では新車の2割近くとなった。急速にEVシフトが進んでいる。その先駆者となったのはある日本の車だった。電気自動車LEAF。世界で初めて量産化に成功した5人乗りのEV(電気自動車)だ」

「開発したのは日陰部署にいた技術者たち。夢物語といわれた時代から一途に信念を貫いた。そこには思いきりぶつかり合い、そして、わかり合った仲間たちがいた。これは友と力を合わせ、前人未踏の壁を突破した技術者たちの執念の物語である」

 筋書きをまとめると次のようになる。

 日産自動車は、米カリフォルニア州の大気汚染対策強化に対応すべく、電気自動車を開発する「EV開発部」を結成した。50名の部署で、主力の開発部門から異動させられたメンバーの中には「左遷」と受けとめる者もいた。他部署からも「日陰部署」「げてもの」と揶揄されたが、入社4年目の「電池開発チーム」の枚田典彦は自ら志願してやって来た。

 9年がかりでバッテリーの性能やモーターのパワーを向上させたものの、バブル期の設備投資のつけで、日産は経営破綻危機に見舞われる。「コストカッター」カルロス・ゴーン氏は不採算部門を問答無用で解体させ、EV開発チームもこの対象となる。技術者たちは散り散りになったが、部署を転々としながら研究を続けた。彼らは日本で開発されたリチウムイオン電池に目をつけていたが、発火しやすく自動車には無理だと言われていた。

随所に登場するカルロス・ゴーン。しかし多くは語られない…

 方針を転換したゴーン氏の鶴の一声で、枚田らはEV開発を進めることになった。3年という短期間で量産化しろという、トップダウンの命令である。こうして枚田は17年間の「流浪の民」を経て、量産車開発の舞台に立つことになった。

 だが「チームワーク」が課題になった。生産技術リーダーの岸田郁夫は、実験重視で生産計画さえ決められない枚田たちに「何なんだ、こいつら」と怒りを示した。

 量産化の“納期を守る”の役割を課せられた岸田は、製造工程表を作り枚田ら開発陣に突きつける。そこでは、24時間かかると枚田が説明していた電解液の注入作業も「0時間」と見積もられていた。当然、彼は強く反発。「開発」グループと岸田たち「生産」グループの関係は険悪だったという。「電池開発パック」の責任者だった平井敏郎は、

「(枚田と岸田が)毎日にらみ合っていた。とっても良くない雰囲気で」

 と述懐している。

 開発中の事故も頻発し、技術的に未解決の課題も山積していた。しかし2009年、ゴーン氏はEV車を「LEAF」と名付け、1年後に販売すると発表してしまう。リチウムイオン電池で動く画期的なものとしてプレゼンで解説されたものの、社内ではまだ電池の材料も工程も決まっていなかったという。

「内輪もめはやめよう」

 枚田は、岸田と平井に対し、今後はこの3人で全てを決定しようと話し合う。役員にもそれを談判し、毎日、部下を帰した後に集う「8時だヨ!全員集合会議」という会合を続けた。そして販売まであと半年に迫る中、電池の寿命を飛躍的に伸ばす工夫もあって、間一髪で販売にこぎつける。2010年12月に、世界初の量産型電気自動車LEAFは発売された。そして翌年の「カー・オブ・ザ・イヤー」を日本や欧州、米国で総ナメにした――。

 こんな感動物語なのだが、ゴーン氏と日産の関係についてはあまり深く説明されなかった。同社を再建したカリスマ経営者が、その後、特別背任などを会社側に告発されて逮捕され、保釈中に国外に逃亡したのは知られた通り。

 日産を取材するゆえの制約もあったと想像するが、日本企業が外資の経営者に蹂躙された末に海外逃亡を許したという「事件」をNHKは深追いしていない。むしろ経営的にはゴーン氏の不正をどうやって暴いたのかを描くだけでも、興味深い「プロジェクトX」を作れたはずだ。

定番の「後日談」では友情の物語!?

「新プロジェクトX」では、成功までの苦労話がひととおり語られた後、エンディングに向けた「後日談」のエピソードが加えられる流れがお決まりだ。今回は、電池の開発部門だけを社内に残し、生産工場は他社へ譲渡したことがここで明かされる。中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」に合わせて、こんなナレーションが流れる。

「LEAFの発売後、他のメーカーも続々と参入し、EV時代の幕が開いた。今、販売数でトップを走るのは中国とアメリカのメーカー。日本メーカーは大きく後れをとっている。しかし、大きな誇りがある。販売数70万台に迫っても電池の発火による人身事故はゼロ。安全性は世界で高く評価されている」

 開発の中心になった3人の“その後”も紹介される。

「枚田典彦さん。今も日産に残り、電池開発のトップとなった」

 他の2人は日産を離れた。

「平井敏郎さんはベンチャー企業を立ち上げ。小型EVの開発を進めている」

「岸田郁夫さんは中国へと渡り、電池を生産する会社を設立した。今年新たな工場を設立し、生産を開始する予定だ」

 3人がバーで語り合う場面も流れる。

「岸田さんは日本に帰国するたび、楽しみにしていることがある。3人で再会し語らうことだ。思い出話と仕事の相談。互いに頼り合う姿は今も変わらない」

 3人が互いに肩をたたき合う映像が流れる。エンディングで曲の余韻が広がる。

 言ってしまえば、「男たちの友情の物語」としてまとめられていた。友情は確かに事実なのだろうが、「それだけなのか?」という物足りなさを感じる。先のゴーン事件への言及だけではない。たとえば、世界に先駆けたEVの開発の成果は、日産自動車、あるいは日本社会にどのような影響を与えたのか。番組はそこには触れていない。日本のEV開発は、中国や米国に大きく後れを取っている。世界に先駆けていたはずの日産はなぜ覇権を取ることができなかったのか。そこについての情報がまったくない。何が課題になったのか。視聴者にはさっぱり伝わってこないのだ。

「かつて」の「部分的な栄光」に焦点を当てるだけの番組を放送し、肩をたたき合って「あの頃は頑張った」と過去を懐かしむ日本人。この友情物語を「大型ドキュメンタリー番組」として放送するNHK。おいおい……これでいいのだろうか?という疑問はぬぐえない。

 制作側の事情もわからないではない。苦労した末のプロジェクトが友情で成功したことを強調すれば強調するほど、その後のグローバル競争に負けてしまった企業や日本の“ダメぶり”は際立ってしまう。だが、一時的には世界に先駆けることはできるものの、世界にその成果をすぐ奪われてしまう日本の「弱さ」を考えさせることができるテーマでもある。「開発の日々で3人が得たのは一生分の友情」という結末は結構だが、日本社会がどんな教訓を得たのかはきちんと描いてほしい。視聴者が期待しているのもこの点のはずではないか。むしろ「その後のエピソード」にこそ日本を再興させる「大切なヒント」があるはずだ。

 日本が、その後どうして負けてしまったのか。それを描くことで個々の企業の課題に留まらず、日本という国の“弱点”に、視聴者の目を向けることができるはずだ。NHKはそれをあえて避けているのだろうか。今回のような、「友情」に収斂させて小さくまとめる回が続いていては、放送も長くは続くまい。その後の「負けたエピソード」こそ、深掘りしてほしい。昔話を懐かしむノスタルジー番組で終わってしまわないうちに。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部