5月22日、警視庁に詐欺容疑で逮捕された芸能マネジメント会社役員の小倉輝美容疑者(78)。「映画を作りたい。お金は土地を売って返す」と70代の女性から現金約1000万円を詐取した疑いだ。小倉容疑者は宝塚歌劇団の元トップスターで、1992年の東京佐川急便事件では1億3000万円の返済を命じられたことで話題になった過去がある。

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 彼女には4つの名前がある。本名である小倉輝美、宝塚時代の大滝子(だい・たきこ)、東京佐川急便事件の当時は大多喜子(読みは同じ)、そして現在の芸名である光原エミカだ。公式ページのプロフィールにこうある。

1963年に宝塚音楽学校を首席で卒業。
1973年に初演主演「ベルサイユのばら」でフェンゼルを演じ空前の大ヒットとなる。
1976年に宝塚を退団。
退団後は数々のドラマや映画に出演。
ディナーショーは1978年以来毎年開催している。

 過去の記事を見ると確かに宝塚のトップスターだったようで、76年の退団時にはいくつかの雑誌のインタビューも受けている。もっとも、その後は「週刊宝石」(88年11月18日号)で横山やすしとの対談に出た程度だ。なぜやっさんとの対談に応じたかといえば、この頃、彼女が吉本興業に移籍したためだ。

 そんな彼女が突然メジャーとなったのは92年、金丸信氏をはじめとする政界への不正な資金提供が問題視された東京佐川急便事件だった。当時、「週刊新潮」(92年12月3日号)は「『佐川醜聞』で初めて知った『宝塚大スター』」の記事で、彼女についてこう報じている。

佐川清との対面

《「本当に久しぶりに名前を聞きましたよ。昔は何度か記事を書いたけど、宝塚を引退後は音沙汰無し。いいとこの奥さんにでもなっているかと思っていたのにね。若い記者は誰一人、彼女のことを知りませんでした」/とスポーツ紙の芸能デスクを驚かせたのは、元宝塚女優の大多喜子(四七)。この十八日、東京地裁は彼女に、東京佐川急便の渡辺広康社長から提供されていた、一億三千万円の返済を命じる判決を出した。》

 すでに30年以上も前の時点で、彼女の名は忘れられていたようだ。1億3000万円という金額にも驚かされるが、なぜそんな大金を借りることができたのか。彼女は当時、「週刊文春」(92年12月3日号)の取材にこう答えている。

《「私が佐川清です」/京都・南禅寺に近い“細川別邸”の何十畳もある大広間でのことです。初対面の、私のような者を上座にすわらせて、佐川会長はにこやかな表情で会釈をされました。》

――佐川清とは宅配業大手の佐川急便の創業者で当時の会長、また芸能人のタニマチとしても有名だった。

《お食事をしながらのお話は私には驚くことばかりでした。/「田中角栄の金脈なんて大騒ぎをしたけど、角さんの金脈というのは、何を隠そう、この私なんですよ」/もちろん、芸能界のお話もいろいろ出ました。/「……みんな、私が面倒をみている。私が呼べば、誰だってすぐに飛んで来ます」/そこで出た名前は紅白歌合戦だって簡単にひらけそうな豪華な顔ぶれでした。》

――そこで彼女は、宝塚退団後、芸能活動を続けてきたが、累積赤字が1億3000万円に上ることを打ち明ける。

「持って帰りなさい」

《「ああ、そんなこと。苦しくても歌を捨てちゃいけません。東京に渡辺という男がいる。明朝一番に電話をしておくから、彼のところに行きなさい」/一昨年(九〇年)の九月六日のことでした。》

――渡辺とは東京佐川急便の渡辺広康社長のことだった。翌7日、彼女は早速、東京佐川急便を訪ねた。

《渡辺社長のお話も想像を絶するようなことばかりでした。/「あなたはやって来るのが遅いよ。歌手も俳優も、芸能人はみんな来ている。あなたと同じ宝塚の人も大勢来ていますよ」(中略)「会長直々のお声がかりだから、大さんは特別扱い。お金の方は用意しておくから、明日またいらっしゃい」》

――さらに翌日、再び東京佐川を訪ねると2つの手提げ袋が用意されていたという。

《「これ、一億三千万円あるから。持って帰りなさい」/えーっ! 仰天しました。二重に重ねた手提げ袋の中には一万円の束がぎっしりと収められていたのです。》

 ろくに知りもしない相手に、1億3000万円をポンと出す……。もちろん、こんな経営が長続きするわけがない。92年2月、渡辺社長らは東京佐川急便に952億円の損害を与えたとして、東京地検特捜部に特別背任容疑で逮捕された。事件は国会でも取り上げられた。92年2月19日の衆議院予算委員会では、社会党の和田静夫議員がこんな質問をしていた。

田中角栄に1億円

和田:田中角栄元総理を支援する政治団体である政経調査会が、1985年に佐川急便から約1億円の寄附を受けられた。普通なら政治資金規正法の規定に基づいて報告をしなきゃならないのでありますが、この1億円を佐川急便グループ100社に分けて、1社100万円ずつ100社からの寄附にした。これなら届け出る必要はない。/しかし、国民から見れば、田中角栄氏の政治団体が1億円もらったことは見えないことになるわけであります。国民の常識、国民感情から見て、このような法規制の現状が妥当なのかどうか。

 なにやら政治資金規正法の改正案で揉めている今の自民党とよく似た話だ。和田議員は佐川の金の流れにも言及する。

和田:猪木参議院議員が代表する新日本プロレスリングに9億、アントン牧場に12億、古葉竹識さんが代表のテイクワンに35億(中略)など合計1454億円。これも恐らくもう警察庁、国税庁は把握をしていると私は思うのでありますが……。

 そしてこの年8月には、竹下派(経世会/現・平成研究会)会長で自民党副総裁の金丸信氏が佐川から5億円の闇献金を受けていたことが発覚し、政局となっていく。ちなみに、金丸氏は政治資金収支報告書への記載漏れを認め、東京地検特捜部は政治資金規正法の量的制限違反として罰金20万円の略式起訴。刑の軽さに世論の怒りは沸騰し、特捜部が入る九段第1合同庁舎の「検察庁」の表札に黄色のペンキが投げつけられたのを覚えている方もいるだろう。

 その東京佐川急便事件の一環で、同社からお金を受け取っていた芸能人やスポーツ選手らが明かされていった。そしてタニマチ社長のいなくなった東京佐川急便は、失った1億3000万円を取り戻そうと大を訴えたのだ。ではなぜ、彼女だけが訴えられたのか。それを「女性セブン」(92年12月10日号)が報じている。

《大によれば、「税金対策のため」といわれて、借用書を書いたが、それが今回の判決の証拠となったわけで、「黙ってもらっておけば、こんなことにならなかったのに……」と悔やむことしきり。》

「ごっつぁんです!」ともらっておけば、請求されなかったのだ。そして「アサヒ芸能」(92年12月3日号)はこうまとめた。

《判決の1週間前には“敗訴”を予期してか、東京・成城の豪華マンションを引き払ったという元ヅカガールだが、彼女にとってこの年の瀬は何とも暗く厳しいものになるに違いない――。》

 あれから30余年を経て小倉容疑者は逮捕された。詐取した1000万円については「成城の土地を売ってお返しします」と話していたとも報じられている。だが、東京佐川急便事件の時にはすでに売り払っていたようだ。騙し取った金は生活費や活動費に充てたとみられ、彼女は「お金は返すつもりだった」と供述しているという。

デイリー新潮編集部