カタールで開催されたU-23アジアカップは、日本の劇的な優勝で幕を閉じた。このアジアカップは2013年にスタートし、第1回大会はオマーンで開催された。16年より2年ごとに開催されるようになり、カタールで開催された第2回大会より五輪の予選を兼ねるようになった。

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 18年の第3回大会は中国、20年の第4回はタイ、22年の第5回はウズベキスタンで開催。このうちタイの大会は東京五輪の予選を兼ねた。

 しかし森保一監督率いるU-23日本はチームの完成度が低く、グループリーグで敗退。ホストカントリーとして五輪出場権を確保していたものの、その後は横内昭展コーチが長らくチームを指揮するなど、A代表と五輪代表の監督兼務の難しさを露呈した。

 なお、ウズベキスタンでの第5回大会で日本は準決勝で敗退したものの、3位決定戦でオーストラリアを3−0で下して3位入賞を果たしている。

 そして今回の第6回大会は再びカタールでの開催となったが、当初は24年1月に開催予定だった。それが思わぬ形、アジアカップの代替開催が決まったことで4月に延期となった。

 日本がアジアカップの本大会に初めて出場したのは1988年のカタール大会だった。しかし国内リーグを優先したため大学生主体(筑波大の井原正巳や中山雅史ら)で臨み、4試合で1点も奪えずグループリーグで敗退した。

 ところが4年後の92年広島大会ではオフト・ジャパンが初優勝を飾る。96年UAE大会は準々決勝でクウェートに0−2と完敗したものの、続く00年レバノン大会と04年中国大会は連覇を達成した。

9大会中、5回が中東開催

 07年は東南アジアのインドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムの4か国による共催で、日本はベトナムでグループリーグを戦い予選は簡単に突破したが、準決勝でサウジアラビアに2−3と惜敗した。

 11年は再びカタールで開催され、ザック・ジャパンが決勝でオーストラリアを倒して4度目の優勝を果たした。

 15年は初めてオーストラリアで開催されたが、日本は準々決勝でUAEにPK戦の末に敗退。そして19年UAE大会は森保ジャパンの初陣となる大会で、グループリーグから苦しい戦いが続いたものの何とか決勝戦に進出。しかし決勝ではカタールに1−3と完敗した。

 こうして簡単に近年のアジアカップを振り返ったが、9大会中5回が中東での開催となっている。極東で開催能力があるのは日本、中国、韓国の3か国くらい。東南アジア諸国は単独での開催は難しいだろう。必然的に大会は中東諸国での開催が多くなり、カタール、サウジアラビア、UAEらが有力な候補になる。

 そして23年大会は、前回がUAEだったため東アジアでの開催が決まっていた。中国と韓国、インド、インドネシア、タイらが立候補の意向を示していたが、中国以外は立候補を取り下げたため中国での開催が決定した。

26年と27年はサウジ開催

 ところが22年5月、新型コロナウイルスが流行した影響で中国が開催を断念。同年10月、AFC(アジアサッカー連盟)は理事会で代替開催国をカタールに決定した。

 カタールにとっては22年のW杯に続くビッグイベントの開催だが、23年2月にカタールサッカー協会はアジアカップの開催日程を24年1月12日から2月10日と発表。それと同時に1月に開催予定だったU-23アジアカップを4月開催へと変更した。

 この変更に伴い、1月ならともかく4月はヨーロッパのリーグ戦が佳境を迎えるため日本は“海外組”の招集がより困難になり、なおかつ日中の最高気温が35度を超える猛暑での大会を余儀なくされている。

 そして気の早い話だが、2年後のU-23アジアカップ2026と、3年後の27年アジアカップ2027はサウジアラビアでの開催が決定している(いずれも初の開催)。

 アジアカップ2027は経済成長の著しいインドと中東の雄サウジアラビアが立候補していたものの、インドが取り下げたため23年1月のAFC総会でサウジアラビアでの開催が決定した。

 ちなみに現在進行中の26年北中米W杯アジア2次予選はこのアジアカップ2027の予選を兼ねていて、開催国のサウジアラビアの他に2次予選を突破して最終予選進出を決めている日本、カタール、イラン、イラク、UAE、ウズベキスタン、オーストラリアの7チームはすでに出場権を獲得している。

サウジは34年のW杯も立候補

 前述したように、近年のアジアカップはカタールが3回、UAEが2回ほどホストカントリーになっている。

 中東の盟主でもあるサウジアラビアが開催に消極的だったのは、インフラの遅れもあるが、国際大会を開催できるスタジアムが圧倒的に少ないからだった。

 ところがサウジアラビアは27年のアジアカップだけでなく、34年のW杯開催にも立候補。日本サッカー協会も23年10月19日の理事会で34年W杯を招致しているサウジアラビアを支持することを決定した。

 すでにご存知のように、26年のW杯はアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国で開催される。

 4年後の30年はヨーロッパでの開催となり、ポルトガルとスペインに加えジブラルタル海峡の対岸にあるモロッコで開催されることが決定(正式承認は24年下半期のFIFA総会で30年と34年大会の開催国を承認予定)。

 さらに2030年はウルグアイで第1回W杯が開催されてから100周年ということで、30年のW杯に立候補していたウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイでも開幕戦の1試合が開催されることになっている。

田嶋名誉会長もサウジを支持

 そして4年後の34年は再びアジアでの開催となる。そこで当初はサウジアラビアの他にオーストラリアとマレーシア・シンガポール・インドネシアが共催での招致を目指したものの、サウジアラビア以外は立候補を断念したため、サウジアラビア開催が事実上決定した。

 22年カタールW杯では8万人と6万人収容のスタジアが各1つ、4万人収容のスタジアムが6つ用意され、いずれもサッカー専用のスタジアムだった。

 34年のW杯でも8万人以上収容のメインスタジアムの他に6万人収容が2つ、4万人収容のスタジアムも複数必要という条件があり、今年7月までに政府保証(日本の場合は閣議決定)と合わせて書類を提出する必要があった。

 FIFA理事も務める田嶋幸三JFA名誉会長は「もう少し準備の時間があると思っていたが、あまりにも短く間に合わないと判断。ベースとなる基本のもの(スタジアム)がないため諦めざるをえない。時間をかけて環境整備を進めたい。機会はもう1回ある。今回はサウジ支持が一番近道になる」と2050年までに再びW杯を単独で開催するという目標に期待を込めた。

 現在サウジアラビアには8つのスタジアムがあるものの、W杯の開催条件を満たしているのは6万9000人収容のキング・ファハド国際スタジアムと、6万2000人収容のキング・アブドゥッラー・スポーツシティ・スタジアムの2つしかない。

本気を出すサウジ

 しかもキング・ファハド国際スタジアムは陸上のトラック付きだ。その他にある6つのスタジアムは2万3000人〜3万5000人収容で、半数が陸上トラック付きの多目的スタジアムとなっている。

 現状のままのスタジアムではW杯の開催条件を満たしていない。しかしカタールがハリファ国際スタジアム以外の7つを2019年から2021年にかけてオープンしてW杯に間に合わせたように、サウジアラビアが上記の開催条件を満たしたスタジアムを建設することは想像に難くない。なにしろまだ10年の余裕があるからだ。

 2011年にカタールで開催されたアジアカップを取材した際に、移動手段はバスかタクシーしかなかった。しかし11年後の22年には各スタジアムを結ぶ地下鉄が3路線も開通していたし、都市の様相もモダンになりガラリと一変していた。

 サウジアラビアはアジアカップの予選で紅海に面した都市ジェッダへ行ったことがあるが、ここはイスラム教の聖地メッカへの玄関口でもあり(約73キロ)、中東有数の世界都市でもある。

 ここと首都リヤドが34年のW杯の際はどのように様変わりしているのか想像もつかない。自他共に認める“中東の雄”だけに、カタールをしのぐ規模でW杯を開催するのではないだろうか。

 オイルマネーによる国際イベントの招致は、いましばらく中東勢の独壇場が続くことだろう。残念ながら日本には、国際大会を招致する財政的な余裕もなければ機運も高まっていないのが現状である。

六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。法政大学卒。「サッカーダイジェスト」の記者・編集長としてW杯、EURO、南米選手権などを取材。その後「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。

デイリー新潮編集部