過去に世間を騒がせたニュースの主役たち。人々の記憶が薄れかけた頃に、改めて彼らに光を当てる企画といえば「あの人は今」だ。今回紹介するのは、今から19年前、瞬く間に世界中の関心の的となった謎の男「ピアノマン」の知られざるその後である。

 ***

 ピアノマンは、今もこの近くで元気に暮らしていますよ――。

 そう話すのは、ピアノマンが生まれ育った町で働く、さる新聞記者である。

 今から19年前、瞬く間に世界中の関心の的となった「ピアノマン」。

 彼がイギリス南東部で発見されたのは、2005年4月7日の夜。雨が激しく降るケント州の海岸で、傘もささずびしょ濡れのスーツ姿でとぼとぼと歩いていたところを警察に保護されたのだ。

 浮浪者か、それとも自殺志願者のたぐいか……。男性を保護した警官も、単なる「一時保護」で終わると考えたに違いない。

世界を巻き込む「謎解き合戦」に

 しかし警察でも、その後に収容された病院でも、男性は一言も言葉を発さず、身元も不明。身分証を所持しておらず、衣服のメーカーラベルやタグまでが切り取られていた摩訶不思議。当局もお手上げである。

 困り果てた病院関係者は「筆談ならば」といちるの望みを懸けて、メモ用紙とペンを置いて病室を後に。翌朝見ると、与えたメモ用紙には精緻なグランドピアノとスウェーデン国旗の絵が描かれていたのであった。

 驚いた医師や看護師は、この男性を病院の礼拝堂にあるピアノの前まで連れて行った。すると、それまで人と目も合わせようとしなかった男性が、人が変わったように鍵盤をたたき始め、チャイコフスキーの「白鳥の湖」や、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」を、4時間にわたって繰り返し弾き続けたのだ。

 プロのピアニストかと思われたが、病院がヨーロッパ中の楽団に問い合わせるも、該当者はなし。仕方なく病院は男性の写真を公表し、世界を巻き込む「謎解き合戦」が幕を開けたのである。

あっけない幕切れ

 報道は過熱し“フランスの大道芸人説”や“ゲイのポルノ男優説”から“1999年にカナダで保護され、その後行方不明になっている身元不明人「ミスター・ノーバディ」だという説”、さらには“設定が酷似している前年の映画「ラヴェンダーの咲く庭で」の宣伝説”まで、さまざまな仮説が入り乱れた。

 しかし、幕切れはなんともあっけないものだった。

 半ばあいさつと化していた、看護師からの「今日は何か話してくれるかな?」という毎朝の問いかけ。保護から約4カ月がたった8月のある日、ピアノマンは突然、この質問に「はい、そうします」と口を開いたのだ。

 果たして、世界中の注目を集めた「ピアノマン」の正体は、アンドレアス・グラッスルという名の20歳のドイツ人青年であった。

 当時の報道によれば、ピアノマンはチェコとの国境に近いドイツ南部のプロズドルフという農村の出身。乳牛40頭を飼う大農家の長男だった。学業優秀で、高校卒業後は精神障害者施設で働いた後、家族に「パリに勉強に行く」と告げたまま、音信不通になったという。

ピアノマンのその後

 家族はドイツとフランスの警察に捜索願を出していたものの、母親ですら、ひげをそって髪形が変わった息子の姿に気付かなかったという。であれば、他人である警察ならなおさらである。

 騒動後、「詐病ではないのか」「本当にピアノは弾けるのか」などいくつかの論争も起きたが、結局、真相は藪の中。ピアノマンのその後も、「スイスに留学した」と報じられたことがあった程度で、詳細はほとんど明らかになっていない。

 なおもミステリアスなピアノマンは現在、どこでどう暮らしているのか。在欧ジャーナリストの坂井明氏に郷里周辺を探ってもらった。坂井氏によれば、

「彼が生まれ育った村は人口100人足らず。人の数より乳牛の数の方が多いような村ですから、少し聞き込みすれば、すぐに分かると思ったんですが……」

言葉を濁し始めた地元記者

 ピアノマンの帰郷後、父親は2人の弁護士を雇ってマスコミに対応。その時の弁護士の一人に話を聞いてみたものの、

〈もう大昔のことですからね。約20年前に弁護士としてピアノマンを担当したのは確かですが、その後、彼がどうなったかは、まったく知りません〉

 と、つれない反応だったという。

 坂井氏が続ける。

「それならば、と地元紙記者に連絡をしてみたんです。すると、当初は『一時期、スイスに行っていたのは事実だけど、今はこの地域で健康に暮らしているよ』と話してくれた。それどころか、『彼の現在をよく知る人物に心当たりがあるから話を聞いてみる』とさえ言う。ところが、数日たって送られてきたのは、『役場の人たちも“グラッスルさんの息子のことは何も分からない”って言うんだ……』という期待外れの内容だったのです」

 地元記者が突然、言葉を濁し始めたことをけげんに感じた坂井氏は、思わず「本当に彼は今も生きているのか」と聞き返した。

「彼は『ピアノマンは病気ではないし、健康に生活している』と明言はするものの、それ以上は語りたくないといった感じでした」

街ぐるみで記憶にふたを?

 しかし、「その代わりに」とばかりに彼の口から語られたのは、この件に関する村人たちの“トラウマ”だった。その内容は大要、次のようなものだったという。

〈ピアノマンの現在を誰も知らないわけじゃないんだ。でも、当時はこの静かな農村に世界中から数百人の報道陣が殺到して大騒動に発展した。

 こんな小さな村だからホテルはあっという間に満杯になる。それで、牧草地にマスコミ各社がテントを張りバーベキューや飯盒炊爨(はんごうすいさん)などを始める始末。普段、真面目な報道機関として知られるドイツの日刊紙や週刊誌までもが、恥も外聞もかなぐり捨てて、競い合うようにグラッスルさん一家を追いかけまわしたんだ。

 ピアノマンの父親は地元の消防団のメンバーでもあり、村では尊敬される人物。そんな一家がホラーさながらの散々な目に遭った。あんなことはもう懲り懲りで、誰もあの悪夢を思い出したくないのさ〉

 坂井氏が言う。

「『居場所も消息も不明』だと言いながら、『間違いなく健在だ』と明言する。さらにこの記者は後日、『どうして19年も前の話を今さら聞いてまわるのか』と探るように私に尋ねてきたのです。ひょっとしたら、街ぐるみでピアノマン騒動の記憶にふたをしようとしているのでは、と思いました」

 ピアノマンのように、村人もいずれは口を開いてくれないものか。

「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載