「オリックス3−5ヤクルト」(14日、京セラドーム大阪)

 道しるべはない。ヤクルト・奥川恭伸投手(23)が選んだ道は暗く、険しい道だったかもしれない。「この2年という中で…」。最後は言葉にならなかった。瞳に収まらないほどの涙があふれ、こぼれる。決して一人だけでは立てなかった舞台。最後に野球の神様は、そっとほほ笑んでくれた。

 眠れない日々だった。待ち焦がれた1軍マウンドを目前に、「ストライクが入るかなとか」。いいイメージは、すぐに不安に打ち消された。立ち上がりには2球続けてボール。それでも最初のアウトを、右翼・丸山和の好捕に救われて奪った。

 そこから味方のミスや痛打されるなど、ピンチは連続だった。それでも生還は許さない。「気持ちで負けないように」。自分と誓い、立ったマウンド。四回には杉本に被弾したが、5回7安打1失点で980日ぶりの涙の復活勝利だ。

 空白の2年間。与えられたのは、成長するための試練だ。時に、神様は非情だった。21年にリーグ優勝&日本一に貢献する9勝を挙げ、さらなる飛躍を誓った22年。本拠地開幕戦、4回で緊急降板した。「天から地」と振り返るほどの急降下だ。右肘痛だった。

 一進一退を繰り返す日々。高津監督からも病院を紹介された。群馬、横浜、東京、大阪…。肩肘のスペシャリストと呼ばれる病院は何県も回った。トミー・ジョン手術も選択肢の一つ。その他の手術も多数提案され、保存療法でもやり方を複数提示された。リハビリ中も寮の自室に戻ってからも常に考え、悩み抜き、奥川は言う。「最終的に決めたのは自分です」。後悔のない選択を、保存療法を自分で選択した。

 「初めての挫折」と呼ぶ2年間。振り返れば右肘痛、右足首の捻挫、左足首骨折、椎間板炎、右脇腹痛。一難去って、また一難。「何で野球やっているんだろう」。辞めようと思った夜もある。それでも「もう一度、戻りたい」。帰りたい場所は一つしかなかった。

 「自分が歩んできた道が間違いじゃないことを証明したかった」。野球の神様は苦難も、幸福も運ぶ。だか、つかみ取ったのは奥川自身の力だった。