ライトニングでは30年の歴史の中で、時にド直球に、時にマニアックにアメリカンモーターカルチャーをピックアップしてきた。30年の間に巻き起こったムーブメントやカスタムの流行などを踏まえながら、それぞれの時代をクルマとバイクで振り返る。ここではライトニングの兄弟誌であるハーレーダビッドソン専門誌『クラブハーレー』の編集部員であり一時期ライトニング編集部に在籍していた経歴をもつ、ペキン沼尾とポイズン雨宮に語ってもらった。

クルマやバイクがあることで、夢ができたり人生が豊かになる。

ペキン沼尾(以下・ペ)/2022年から分かれていたクラブハーレーとライトニングですが、2024年2月に合流しました。その1発目の特集が「ショベルヘッド」でしたが、かなり反響がありましたね。

ポイズン雨宮(以下・ポ)/ショベルってファンが多いよね。乗っている人もそうだけど、憧れているって人も多いんじゃないかな。

ペ/確かに。それこそライトニングが創刊した1994年ごろってショベルが特に人気があったころじゃないですか?

ポ/そうそう。今でこそかなり高価になってしまったけど、当時はかなり安く手に入ったから、カスタムベースにする人が多かった。ちなみにオレのカマロも買った当時は100万円台。今じゃ考えられない金額だったよね。

ペ/旧車の価値が今と当時だとけっこう違っていたんですね。

ポ/ただ、そのころは、インチキなお店もあったのも事実。外観はきれいなんだけど、機関はテキトーなところもかなりあったと思う。安く買っても修理に倍以上かかるとかも普通だった。ちゃんとした車両を見分ける審美眼が、必要だったね。

ペ/ボクも初めて買ったスティードが速攻で壊れました。

ポ/カマロはエアコンなしでドラムブレーキだったから、それからかなりかけて直したけど、なんだかんだで20年近く乗っている。29歳の時に30歳までに夢を叶えようと買ったクルマなんだけど、もう手放せないね。

ペ/雨宮さんはやっぱりかなり昔からハーレーやアメリカ車好きだったんですか?

ポ/アメリカ車はカマロが最初。バイクは中学生のころに興味をもって、16歳でもう乗ってたよ。

ペ/早! それこそボクはライトニング創刊の1994年にちょうど13歳の中学生でしたが。そのころはバイクに乗るなんて思ってもみませんでした。免許を取ったのもクラブハーレー編集部に配属になってからなので、当時のことってあまりわからないんですが、30年前ってほかにどんなスタイルが流行ってたんですか?

ポ/やっぱりダートトラッカーだろうね。スポーツスターにアップタイプのスーパートラップのマフラーを付けて渋谷界隈を走ってる人がいたんだけど、かっこよかったな〜。

ペ/そのころってスポーツスターはソリッドマウントでビッグツインはエボの時ですよね。ちょうどFXRが終わったぐらいですね。ボクの初めてのハーレーは1992年のFXRだったので。

ポ/FXRってめちゃめちゃ不人気車だった。当時はダサいって言われてたよ。

ペ/それが2000年代になると逆に人気が出始めて、いまではかなり高価。乗ると軽快だし速いし、いいバイクでしたよ。

2005年 Lightning 03月号の特集は「VWビートルと一緒にアジな暮らし」。「乗る」以外にも愉しみ方の幅が広い特別なクルマ、ビートル。単なる乗り物を超えて、生活にひとアジつけてくれるビートルの魅力に迫る特集。本誌でおなじみの東洋エンタープライズの亀屋さんのビートルグッズコレクションも公開 2003年 Lightning 11月号の特集は「ハーレーに跨ってワイルドで行こう!」荒々しいハーレーを豪快にねじ伏せるタフな俺……なんて憧れるけれど、いきなり背伸びも無理がある。そこで提案するのが“ちょこっとワイルド”なハーレー乗り。そんなワイルドな一面を見つけたオーナーたちのライフスタイルに密着

こだわりの強い偏愛な人たちが作り、支えてきたカルチャー。

ポ/FXRが再評価されるきっかけは、やっぱりクラブスタイルが流行ったからだろうね。

ペ/そうですね。高いライザーにカウルを付けて、サドルバッグを付けるスタイル、あこがれましたもん。そのバイクでレースに出たりしましたし。

ポ/レースといえば、日本のハーレーシーンはけっこうレースも深く関わっているよね。たぶん最初はスポーツスターカップ。2000年ごろかな。スポーツスターで本格的なロードレースをするんだけど、ディーラーのスタッフなども参加したりして、かなり話題になったよね。でも徐々に下火になってしまった。

ペ/その後はドラッグレースですね。仙台にあったドラッグレース専用のコースを使って2005年からかと思いますが「ドラッグゲームス」というイベントがあり、ストリートユースのハーレーで直線約400mをどれだけ早く走れるかを競うレースですが、ロングフォークチョッパーや、レーサーまで幅広いスタイルが最速を競うのが面白くて、ボクも何度か参加しました。

ポ/行ってたね。そんなに速くなかったみたいだったけど。

ペ/みんな速かったんですよ。震災でコースの一部が崩れちゃって、修復したものの、存続が難しくなって仙台のコースはなくなっちゃったんですが、「VDA(Vツインドラッグアソシエーション)」という組織ができ、シーズンマッチ形式でレースをするようになったんです。各地のコースで走ったの楽しかったな〜。

ポ/今はサンドフラッツが人気だよね。

ペ/そうですね。石川県の千里浜や茨城県の大洗でやっています。砂浜を旧車で爆走する姿は迫力満点ですよ。

ポ/AVCCとかもそうだけど、旧車でレースってすごいよね。最初にも話したけど、今旧車の価値がかなり上がってる。だから、ハーレーやアメリカ車はより趣味性の高い乗り物になっているよね。レースに使うのも、ツーリングメインで使うのも、このバイクじゃなきゃとか、このクルマじゃなきゃってこだわりを持って乗る。そんな偏愛な人たちがカルチャーを作ってきたんだと思う。

ペ/そういう読者にライトニングもクラブハーレーも支えられてきているんですね。

2004年 Lightning 03月号の特集は「ジーンズとアメリカ車がアタマからはなれない」。巨大なボディに巨大なエンジンを積んだアメリカ車。いつまでも少年の心を忘れない大人にとって憧れの存在であると同時にアメリカでは日常的に使われているクルマでもある。そんなTシャツとデニムが似合うアメリカ車の魅力に迫る 2009年 Lightning 02月号の特集は「バイク乗り、それぞれの主張」。ただ移動するだけならクルマの方がラク。それでもあえてバイクに乗るのは、ひとそれぞれにしっかりした理由があるはず。渡米して3年ほど経った「チャボエンジニアリング」の木村さんをはじめ、バイクに乗って人生変わった人たちの主張

常にオーナーのライフスタイルに寄り添うバイクやクルマ。誌面をプレイバック!

2003年 Lightning 02月号 Vol.106より抜粋「ハーレーに跨って人生、変わった!」

いつかは乗ってみたい憧れのバイクであるハーレー。この特別なバイクに跨ったことで、ドップリとその世界にハマってしまった人たちを紹介。現在はアメリカで活躍している、当時「ゼロエンジニアリング」の木村信也さんも登場。

2007年 Lightning 10月号 Vol.162より抜粋「クルマだってファッションの一部。」

ファッションは個性を表現する手段のひとつ。クルマも同じでどんなスタイルを選ぶかで乗る人の個性を表現する。そんなクルマを楽しむ人たちを紹介。大のクルマ好きとして知られるクレイジーケンバンドの横山剣さんも登場してくれた。

2010年 Lightning 11月号 Vol.199より抜粋「東海道五十三次をハーレーでゆく。」

アメリカの伝説的ハイウエイ「ルート66」があるように、日本にも列島を横断するルート「東海道」がある。この道を当時最新のハーレー2011年モデルに乗り、街道沿いのアメリカンなスポットをめぐるという異色なツーリング特集。

2004年 Lightning 09月号 Vol.125より抜粋「ワーゲンバスが夢をカタチにしてくれる。」

周囲の視線を集める個性的なスタイルながら、オーナーそれぞれの個性を引き出してくれる不思議な魅力を持ったクルマ、ワーゲンバス。キッチンカーにキャンパー、トランポとワーゲンバス生活を楽しむオーナーのライフスタイルを紹介。

2005年 Lightning 12月号 Vol.140より抜粋「日曜日はボクらのハーレー満喫時間」

日曜日ごとにダートトラックレースに参加する熱い男たちのドキュメンタリー映画『ON ANY SUNDAY』のように、ダートラにガレージ、ツーリング、カスタムショーとハーレーとともに過ごす休日を堪能するオーナーたち。

2012年 Lightning 04月号 Vol.216より抜粋「ロックmeetsホットロッド」

ホットロッドとアメリカンロックは密接な関係にある。1960〜’70年代に全盛期となった「マッスルカー」は、大排気量のハイパワーなエンジンでドラッグレースなどにも積極的に参加。こうしたレースが音楽にも影響を与えた。

(出典/「Lightning 2024年5月号 Vol.361」)

著者:Lightning 編集部