急に怒り出したり泣き出したり。子どもたちも、コントロールできない自分の感情に戸惑っているはずです

 3人の子どもの不登校を経験し、不登校の子どもやその親の支援、講演活動などを続ける村上好(よし)さんの連載「不登校の『出口』戦略」。今回のテーマは「『学校に行きたくない』と言われたときにできること」です。

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 この連載の1回目では、私の息子が不登校になったときに起こった「事件」についてお話ししました。そこに私が書いた、息子が学校に行かなくなったときの兆候は、多くのお子さんに当てはまるのではないかと思います。

 おおむね10歳前後から始まると言われる思春期も手伝って、ティーンエージャーの子どもたちは本当に不安定です。私たち親にもそういう時期はあったはずですが、そんなことはきれいさっぱり忘れてしまっているんですよね。大人からみると、生意気だし口答えはするし、腹が立つこともしばしばですが、思春期の脳の発達を知ると、不安定なのもある程は度仕方がないと思えるようになります。

 思春期には、体と共に脳も成長します。まず、生存に関係する部分が先に成長し、その後、感情などをつかさどる部分が成長する、という過程をたどります。だから、この時期の子どもたちが、感情むき出しになって急に怒ってたり、そうかと思えば急に甘えてきたり、イライラしたり、逆に不安が強かったりするのはこのためです。

 子どもたちも生きるために必死で、わけのわからない自分の感情と向き合っています。なぜこんなにイライラしたり不安だったりするのか、その背景を家族も本人も理解することで、家庭内は少なからず平和になるのではないでしょうか。そんな気持ちで、親御さんたちにはいつもこのことをお伝えしています。

 さて、不登校の兆候としてよくあるのが、朝になると「おなかが痛い」「頭がいたい」「気持ちが悪い」などと体調不良を訴える、ということです。親としてはとても悩ましいことだと思います。本当に具合が悪いのかどうか。医者に連れて行くべきなのか。こういう判断をするのは母親であることが多く、子どもが不調を訴えることが続くと、数々の判断を同時に、そして割と瞬時にしなければならなくなって、母親もだんだんと不安や焦りでストレスを抱えていくことも少なくありません。

 とはいえ、母親だからこそ感じ取れる感覚もあります。本当におなかが痛いのか、学校に行きたくなくて言っているのか。母親なら、ちょっとした言い方、しぐさ、表情で読み取れるということもあると思います。当たってほしくないと思いながら、直感で「うちの子、学校に行きたくないんだな……」と分かってしまったときのショックは、私自身、今でもはっきりと思い出すことができます。

つい、「なんで?」「どうして?}と理由を訪ねがちですが、まずはイエスかノーかで答えられる質問から photo iStock.com/smolaw11

 休ませて少し充電させるべきか、それとも最初が肝心だからこそ頑張らせて行かせるべきか。とても悩むと思います。お子さんにとって、休みたいと親に伝えるのは勇気がいることに違いありません。学校に行きたくないとはっきりと言える子はともかく、体の不調を訴えてくる子は、言い出しにくい何かがあることが多いと感じています。

 この時期の子どもたちは自分の気持ちを言語化する能力が未熟です。「なんか嫌」「うまく言えないけど学校は無理」「あからさまにいじめられたわけじゃないけど避けられている感じがする」など、頭の中にぐるぐるモヤモヤしているのもがあるにもかかわらず、うまく言葉にできないのです。

 日本人は幼い頃から自分の気持ちを言語化することに慣れていません。日本人の自己肯定感の低さはたびたび報道されていますが、思春期の子どもたちの自己肯定感は、世界的にみても低いのです。問題は、諸外国ではそれは一時的なものなのに、日本の子どもたちの自己肯定感はその後もあまり上がっていかないということです。

 自分の気持ちを自分自身が受け入れることができない、自分でも自分の気持ちがわからない、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまう、といったことが原因で、友だちとの距離感がわからなくなってしまったり、人と関わることが怖くなってしまったり、体の不調へとつながったりするケースも少なくありません。

 実際私は、都内の中高一貫の男子校で不登校の支援をする中で中高生の悩みを日々聞いていますが、彼らは初対面のときには大変緊張感が強く、目も合わせられない、ということもあります。

 コミュニケーションの語源はラテン語の「communis」と言われており、「共通の」「共有する」「分かち合う」という意味があるようです。つまり相手がいて、一方通行ではなく双方向にやりとりをするのがコミュニケーションなんですね。

 思春期を過ごしている子どもたちは、コミュニケーションが消極的になったコロナ禍を過ごしたことで、十分に双方向のやりとりができずにきてしまい、双方向のやりとりをハードルが高いものと感じている可能性があるのではないか、と私は感じています。

 最初は、緊張感から双方向の会話が成り立たず、質問に対して「はい」か「いいえ」の答えしか返ってきません。ですから、段階を踏んで様子を見ながら、さまざまな角度からアプローチをしていきます。

 緊張感の強い最初の時期は、クローズドクエスチョン(「はい」または「いいえ」で答えられる簡単な質問)です。例えば、「今日は朝ごはん食べてきた?」「昨日はよく眠れたかな?」などです。反応を見ながら、今度はオープンクエスチョンで(「はい」または「いいえ」以外で答える質問)へと進めていきます。「何を食べてきたの?」「ちなみに何時に寝て何時に起きたの?」などですね。そこで「パンです」と返ってきたら、「へ〜。私も今日はパンだったよ」などと共感する言葉を続けます。そこから「パンは何パン?」などと少しずつ深掘りして行くか、横に展開して「パンには何をつけたの?」「パンと一緒だとどんな飲み物飲むの?」などと広げていったりします。

 共通点や共感ポイントがあると、だんだんと「この人は親近感が湧くな」とか「一緒の部分があってうれしいな」という気持ちになって、心を開いてくれると、やがて双方向に会話が進んでいくようになります。

 また、生徒の話を途中で遮ることはせずに、最後までとことん聞き切ることも心がけています。そうすることで信頼感が生まれます。頭ごなしに否定せず、まずは最後まで聞き切って、そこから「へ〜、〇〇くんはそう思うんだね。私はこう思うよ」と続けて、生徒とは違う私の意見も、しっかり伝えていきます。

 自分の意見を大切にして人に伝えることで、「伝えていいんだよ」という意思表示をする。そして、相手の話を最後まで聞くことで、「相手の意見もしっかり受け止める」という姿勢を示す。こうすることで、コミュニケーションが少しずつスムーズにいくようになるのです。

 これは、親子間でも全く同じです。なぜそれが言い切れるかというと、「お母さんに話をしても、聞いてくれない」「途中で否定するか遮られる」「お母さんの持っていきたい方向にもって行かれて自分の意見が通らなくなる」「だから言わない」と、多くの子どもたちに聞いてきたからです。幼い頃からそうされてきて、自分の意見を自分自身が分からなかったり、自分の意見を言う機会がなくて練習の機会を得られないまま、言語化する力がついていなかったり、ということもあるでしょう。

引きこもっていた長男が、ハロウィンのときに作ったお菓子。指(!)ですね。意外とおいしかったです

 お子さんが何らかの体の不調を訴えて、たびたび学校を休むようになったときには、まず「うちの子はしっかりと自分の気持ちを言えているだろうか?」と振り返ってみてください。「なんかあった?」とオープンクエスチョンで聞いてもなかなかすぐには答えられない場合が多いので、まずはクローズドクエスチョンで「昨日の給食は全部食べた?」や、「昨日は寝れた?」「おなか空いてない?」などの質問で会話を始め、様子を見てから、その後の言葉をつないでいくと、少しずつ話してくれるようになります。

 そして、お子さんの気持ちを引き出す質問に答えてくれた、お子さん自身が言語化できた、というときには「話してくれてありがとう」「言うのは勇気がいったよね、その勇気すごいよ」とねぎらってあげることで、お子さんは自分の気持ちを少しずつ表現して伝えられるようになります。

 その際に、「自分で抱えるとどんどんたまってしんどくなるから、いつでも聞くよ」「お母さんに話すのが嫌だなと思ったら紙に書き出しても頭がスッキリするからやってみるといいよ」などと、ため込まない方法を伝えてあげるのも手です。

 親だから子どもの苦悩を全部解決してあげる必要はないですし、いずれは自分で解決方法を見つけないと自立できませんから、不登校はある意味、成長のチャンスでもあるのです。そう捉えることで不登校のお子さんを持つお母さんやお父さんも、少し肩の荷を下ろせると思います。

 言語化や表現力は急には身につきません。不調でお休みしているときは、ゆったりと親子の会話の時間をつくってみてくださいね。

 次回は5月21日配信。「そのとき、子どもの頭の中で起こっていること」をテーマにお話しします。