米アカデミー賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』で注目を集めた濱口竜介監督。最新作はヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)に輝いた、人間と自然の共生をテーマにした異色のドラマだ。

昨今の邦画とは一線を画す作風

『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したことで、その才能を広く世界に知られるようになった濱口竜介監督。フィクションでありながらドキュメンタリーのような手触りをもった彼の作品は、もともと昨今のメインストリームの邦画とは一線を画すものだったが、独自の作風は新作『悪は存在しない』でも変わることはない。

映画の舞台は、豊かな自然に囲まれた長野県水挽町。この地で娘と暮らす巧(大美賀均)は、水を汲み、薪を割りながら、自然と共生する日々を送っている。そんなある日、この町でグランピング場の建設計画が持ち上がる。東京の芸能事務所が政府からの補助金欲しさに計画したものだが、その内容は、森の環境や町の水源を汚染しかねない杜撰なものだった……。



予期せぬ展開

実はこの作品、企画の成り立ちからして異色である。『ドライブ・マイ・カー』の音楽を手掛けた石橋英子が、自身のライブ・パフォーマンス用の映像制作を濱口監督に依頼。それを受けた監督が、まずは一本の長編映画を完成させ、そこからライブ用の映像をつくることに決めたのだという(ライブ用の映像は『GIFT』というサイレント作品として完成した)。そんな経緯でつくられたこともあり、『悪は存在しない』で流れる石橋の音楽は、作品で描かれた美しい自然と調和しながらも、どこか不穏な空気を漂わせた、強い印象を残すものとなっている。

物語自体は、グランピング場の建設に懸念を示す町民たちと、彼らを説得するために派遣された芸能事務所の社員2名の対立と交流が描かれていく。人と人とのコミュニケーションをテーマに据える濱口作品らしく、見知らぬ者同士が、互いを知り、そして歩み寄っていく姿が綴られていくが、ラストにかけて映画は、まったく予期せぬ驚きの展開を見せる。

このエンディングの解釈は人によって異なるだろうが、濱口監督は時に人間に対して牙をむく自然への畏怖を、幻想的でありながら、最もショッキングな形で提示する。生と死が宿る森のイメージが、いつまでも頭から離れなくなるような、静謐な怖さを秘めた作品である。



■『悪は存在しない』:本作の撮影は、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』や『偶然と想像』の時と同じく、スタッフ10人程度の少人数で行われた。自然と共生するミステリアスな男、巧を演じるのは大美賀均。当初はスタッフとして参加していたが「何を考えているか分からないよい顔」と感じた監督のたっての希望で、この役に抜擢された。なおこの作品がヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したことにより、濱口監督はカンヌ国際映画祭(『ドライブ・マイ・カー』)、ベルリン国際映画祭(『偶然と想像』)を含む、いわゆる三大映画祭に加え、米アカデミー賞をも受賞した、黒澤明に次ぐ日本人映画監督となった。106分。配給:Incline 全国公開中

文=永野正雄(本誌)

(ENGINE2024年6月号)