<前編のあらすじ>

美香(47歳)は、両親が残した莫大(ばくだい)な遺産と家のおかげで20年以上無職で遊ぶだけの生活をしてきた。最近はマッチングアプリで知り合った20歳以上年下の俳優の卵との「ママ活」を楽しんでいた。

ある日、その男性からCMの最終オーディションに進んだと連絡を受け、1人でワインを開けてアロマキャンドルでお祝いをしていた美香は途中で眠ってしまい、アロマキャンドルの火が原因で火事を起こし、家が全焼してしまう……。

 

命以外はすべて失った

病院に搬送された美香は治療を受けたが、思ったほど煙も吸っておらず、奇跡的にやけどもなかった。しかし命以外のものはほぼ全て失った。

家が燃えた原因はアロマキャンドル。

美香は火災保険に入っているから問題ないとタカをくくっていたが、アロマキャンドルをつけたまま寝てしまったことが原因だったため、火災保険は1円たりとも下りなかった。重大な過失により火事を引き起こしてしまうと、火災保険の保証の範囲外となってしまうのだ。

さらに悪いことに、美香が起こした火事は周りの家にも燃え移り、大きな被害を生んでいた。その損害賠償も本来はしなくても済むもののだが、重大な過失による火災である今回は、美香が全て賠償をしなくてはならなかった。

貯金のほとんど全てをその賠償に使い、さらに足りない分は土地を売ることで賄ったから、借金が残ることはなかった。しかし美香は本当に全てを失ってしまった。

もう高級ホテルに泊まる余裕はない

美香はすぐに男たちに連絡を入れた。

その中で、凌久がすぐに捕まり、ホテルで会うように段取りをつけた。高級ホテルに泊まるような余裕はなく、駅前のビジネスホテルを予約した。

凌久の顔を見て張りつめていた気持ちの糸がほぐれた美香は、ベッドに寝転びながら自身に起きた出来事を事細かに話した。優しい凌久ならば慰めてくれると思った。イヤなことを全部忘れさせてくれるよう強く抱きしめてほしかった。

「そうなんですね、すいません、俺のせいで」

「何で凌久が謝るのよ。凌久は何も悪くない。でも、火災保険が一切下りなかったのは本当に許せない。どれだけお金を払ってきたと思ってんのよ」

「それは大変でしたね」

そう言いながら凌久はとある店の画像を見せてきた。明らかに高級そうな店構え。シェフの名前も聞いたことがあった。

「ここ、知ってます? 先輩の役者から教えてもらったイタリアンの店なんですけど、めちゃくちゃおいしいらしくて。悲しいことがありましたし、おいしいものでも食べに行ってパーっとやりましょうよ」

凌久の軽口に美香の返事が一瞬遅れる。

「美香さん、どうしました?」

「今はイタリアンの気分じゃないの。もう寝るわ」

美香は逃げるようにベッドにもぐり、凌久に背を向けた。極度の疲労も手伝って、すぐにまどろみがやってくる。意識が途切れる瞬間、あるいは夢のなかで、凌久がため息を吐くのを聞いた気がした。

しかし美香には確かめる術がなかった。朝起きると、凌久はいなくなっていた。

窮地におちいった美香に助け船を出したのは…

「……だから言ったじゃない」

喫茶店で一部始終を聞いた摩耶はため息をついた。

凌久へ送ったLINEに既読がつくことはなかった。凌久以外の男も同様だった。美香に金がないことが分かると、まるで最初からいなかったみたいに連絡が取れなくなり、会ってくれなくなった。

しょせんはお金でつながれていただけだった。

「……もっと強く言ってくれれば良かったのに」

「見下している相手からの助言を素直に聞けたの?」

美香ははっとする。

「な、なんで? 気付いていたの?」

「あんたはね、昔っから感情が顔に出すぎなのよ」

「じゃあ、な、なんで会ってたのよ? 私みたいなヤツと……」

「さあね。でもほっとけなかったのよ。昔からの付き合いだから」

ぶっきらぼうな言葉に美香は思わず顔を伏せた。

「楽しいんでしょ? 私みたいなヤツが転落してるのを見るのが」

「……そうかもね。でも、私はその男連中と違って見捨てたりはしないわ」

「え……」

見捨てたりしない。その言葉に必死に閉じていた感情があふれる。

「私、これから、どうすれば……」

文字通りの泣き言だった。みっともない、惨めだと分かっているがこれ以外出てくるものがなかった。

「あんたはどうしたい? 何かやりたいこととかないの?」

「分からない。やりたいこととか考えてこなかったから。何をやっても、お金で解決できてたから。それさえあれば、何もいらないと私はずっと思ってた」

でも必要だったと今になって思う。夢や目標、友人、知人、そのどれもが人生に欠かせないものだと今このときになって思い知った。

「だったら、いきなりやりたいことをやれって言うのも酷よね」

美香は何度もうなずく。

「頼れる人はいないの? 親戚とか」

「誰もいなくなった。お金が手に入った途端、近づいてくる連中が全員金目当てに見えて、それで全員との連絡を絶ったの」

「それじゃあ、今更助けてなんて言っても無理よね」

思えば、両親が死んだとき、人間関係を断ったのは全員が金目当てに見えたからだ。それなのにいつしか、金で近づいてくる男ばかりと遊ぶようになっていた。

「……私はいったい、今まで何を」

「後悔するのは自由だけど、それは1円にもなりはしないから」

「だけど、どうしたらいいか……」

摩耶は美香を鋭い目で見る。

「働く、それだけよ。取りあえず食べていかないといけないの。どんなにつらくても、悲しくても、関係なく食べて行くしかないのよ」

美香はうつむく。

よく磨かれたテーブルに映る自分の顔をまじまじと見る。

醜かった。親の遺産によりかかるだけだった中年の女の顔には、空っぽな中身が透けていた。

「……こんなオバさんを雇ってくれるところなんてどこもないよ」

「じゃあ、死ぬの?」

「いや、絶対にいや」

「じゃあ、仕事を探しなさい。どれだけばかにされても、見捨てられても関係なく仕事を探し続けるしかないのよ」

摩耶の言葉には、実体験が伴っているように思えた。その言葉には気おされるだけの迫力がこもっている。

「私の知り合いにスーパーの店長がいてね、その人の店、人手が足りないんだって。紹介してあげるわ」

「え……」

「別に紹介だけ。採用されるかどうかまでは保証しないから」

初めての仕事探しに怯えている美香への気遣い。そんな暖かな優しさを美香は感じ取った。

「あ、あり、がとう……」

感謝の言葉を言ったのは何年ぶりだっただろう。それなのに、あふれる涙でうまく言葉にならなかった。摩耶は何も言わず、美香が泣きやむのを待っていた。

47歳、初めての自立

無事に紹介されたスーパーでパートを始めた美香はアパートを借りた。

47歳にして初めて自立をしたのだ。

立ちっぱなしでレジを打ち、接客を行う。肉体的にも精神的にも美香は感じたことのない疲れを覚えた。

これで1時間、1200円。こんな額は違法だと思った。美香はすぐにネットで最低賃金を調べた。するともらっている時給は最低賃金をわずかに超える額だった。美香はその現実にがくぜんとした。

月末になり美香はコンビニのATMに向かい、振り込まれた給料を確認する。15万という数字。それは1カ月間、死ぬ気で働いた報酬だった。

自分にはこれだけの価値しかないと言われたようだった。

しかしくよくよしている暇はない。美香はこれもいい経験だと割り切ることにした。庶民の生活をサバイバルしながら、生き抜いてやるのだ。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。