相双地方伝統の国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は25日、3日間の日程で開幕する。今年は従来の7月から5月開催への日程変更という大きな節目を迎えた。新時代の野馬追に臨む関係者の思いを追った。
 昨年7月30日、猛暑の南相馬市原町区を相馬野馬追の行列が進んでいた。総大将の下で騎馬武者を指揮する軍師の門馬光清さん(67)も、重責を感じながら馬上にいた。「危ないですよ。熱中症でしょう」。間もなく本祭りが行われる雲雀ケ原祭場地に到着しようとする頃に、沿道の客から声をかけられた。甲冑(かっちゅう)姿の門馬さんの姿は、左右に揺れていた。
 「大丈夫だ」。門馬さんに自覚はなかったが、馬から下ろされ、救護所に運ばれた。「祭事に出なければ」と焦る中、手がつってきたことで脱水状態にあると気付いた。水分を十分に取って休息し、再び野馬追に参加した。暑さに体を慣らすため2カ月前から冬物のジャンパーを着て乗馬するなど準備してきたが、長い騎馬武者人生で初の熱中症だった。
 当初は25年変更
 野馬追は江戸時代、旧暦5月中(なか)の申(さる)(現在の6月下旬〜7月上旬)に行われ、1874(明治7)年からは新暦7月での開催が続けられてきた。しかし、熱中症で救護される人馬が増えた状況を受け、相馬野馬追執行委員会は昨年6月、猛暑を避けるための日程変更の議論を始めることを申し合わせた。時期としては、最短でも2025年の変更という青写真を描いていた。
 その1カ月後の野馬追では猛暑で門馬さんをはじめ救護者が相次ぎ、馬2頭が死んだ。危機感を強めた執行委は、日程変更を24年に前倒しする方向にかじを切り、8月には有識者の意見も踏まえつつ「5月最終土、日、月曜日」とする案が固まった。梅雨や農繁期を避けることができる上、旧暦と新暦では異なるが「5月」で古式に近いという解釈ができることも影響した。
 大きな異論なく
 門馬さんは「世界的な気候を見れば、これから7月が涼しくなることは考えられない。人馬にとって日程を変えなければ駄目な状況にある」と感じていた。多くの関係者も同様の考えだったとみられ、日程変更の議論は文化庁の理解も得て大きな異論なく決着した。
 現在の相双地方では夏を感じるような日もあるが、門馬さんは「やはり7月とは日差しが違う」と語る。体に染み付いた7月開催という周期が変わったことで「あれ、あと少しで野馬追なんだよな」と不思議な感覚になる時もあるという。
 ただ、自宅にある甲冑に目を転じると、門馬さんの表情が引き締まる。「騎馬武者としてやることに変わりはない。武具の準備を怠らないことだ」。変わりゆく気候の中、新たな日程で伝統をつなぐ騎馬武者たちは、威風堂々の進軍を思い、心静かに出陣の時を待つ。
 26日に神旗争奪戦
 相馬野馬追は25日、旧相馬中村藩領の五つの郷から騎馬武者が出陣するほか、南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地で宵乗り競馬が行われる。26日は祭場地で甲冑(かっちゅう)競馬や神旗争奪戦が繰り広げられ、27日には同市小高区の相馬小高神社で神事「野馬懸(のまかけ)」が行われる。
 相馬野馬追執行委員会によると、今年は昨年(361騎)を27騎上回る388騎が出場を予定している。このうち初陣騎馬は、記録が残る2016年以降で最も多い38騎となる見通し。5月開催を巡り、当初は集客への影響が懸念されたが、受け入れ準備は順調に進んでいる。神旗争奪戦などの観覧指定席が例年を上回るペースで完売し、自由席の売れ行きも好調だ。