2004年ニューヨークのシネコックヒルズGCで開催された第104回全米オープンは予選ラウンドの2日間、丸山茂樹がトップを走ったためご記憶の方も多いはず。結局丸山は4位タイに終わり、優勝を飾ったのは南アフリカのレティーフ・グーセンだった。強風が吹き荒れコースがカラカラに干上がった最終日。アンダーパーがひとりもおらず平均スコアは78.7と苛酷なコンディションのなかポーカーフェースで勝ち切ったグーセンとの人柄に迫る。

南アフリカの幼馴染アーニー・エルスと最終日最終組を回ったグーセンは最終ホールでパーをセー
ブすると帽子のツバに軽く手を添え静かに会釈した。

猛チャージを見せたフィル・ミケルソンに2打差をつけ最高峰のメジャーで2勝目を挙げたというのにガッツポーズもなければ笑顔もなし。

派手な優勝シーンを期待しグリーンを囲んでいたカメラマンたちが「えっ? それだけ?」「全然絵にならないな」と拍子抜けするほどドラマチックとは真逆な幕切れだった。

優勝のあと来日したグーセンになぜガッツポーズをしなかったのかを尋ねた。すると彼は「疲れ過ぎてガッツポーズする余力がなかった」と答えた。

20年後の今年4月、再会した彼に同じ質問をした。すると「実はね」と本当のワケを話はじめた。「あの日は台風並みの風が吹いてグリーンにボールを止めるのさえ至難の技だった」

実際グリーンに乗った球が風に流され転がり続けたため主催のUSGA(全米ゴルフ協会)がやむなく7番グリーンをはじめ数ホールに水を撒く異例の措置を取っている。

そんななか同組のエルスが80を叩いて急降下。ミケルソンが15番&16番連続バーディを奪い一時逆転されたためグーセンは「てっきり負けたと思って」、ウィニングパットを沈めてもガッツポーズをしなかった。

「優勝してたなんてまったく気づかなかったからね(苦笑)」

これがノーガッツポーズの真相だった。

02年のマスターズではタイガー・ウッズに敗れ2位に終わった。特にマスターズでは2位が2回、3位が3回と優勝のチャンスが多かったが本人は「タイガーに負ける気分? その瞬間は落ち込むけどワインを1ケース(1本ではない!)くらい飲めば悔しさなんて吹き飛ぶよ」と笑った。

試合中のポーカーフェースからは想像できないような陽気な笑顔だった。

人生最後にプレーしたいコースは故郷南アのピータースバーグGC。

「思い出がたくさんあるからね。雷に打たれたのもそこだった」

87年友人とゴルフをしていたグーセンは雷に打たれ、一緒にいた友人の証言によると「一瞬で服は焼け焦げ彼は裸のまま地面に横たわっていた。死んでいるように見えた」という。

瀕死の重体だったがそのときの記憶は本人にはない。

ただ手首に食い込んだ時計のベルトの跡と聴力を失った左耳が雷の凄まじさを表している。

それでもこのコースで人生最後のゴルフをしたいと思っている。

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