バドミントンの男子シングルスで元世界ランキング1位の桃田賢斗(NTT東日本)は18日、国・地域別対抗戦、トマス杯(27日開幕、中国)を最後に日本代表から引退すると発表した。「自分の口から感謝を伝えたい」との桃田自身の意向で都内で会見を開いた。

 会見の一問一答は以下の通り。

 ―代表引退を決断した理由は。

 「(20年1月のマレーシアでの)交通事故から苦しいこともたくさんありましたし、自分の中で思うようなプレーだったり、試行錯誤してやってきたつもりですけど、気持ちと体のギャップというか。このまま世界一を目指そうというところまでいけないと判断した。また、自分が動けるうちに(子供たちと)もっと羽根を打つ時間がほしいなと思って、決意しました」

 ―14年トマス杯優勝から代表活動はどんな経験か。

 「代表に選んでいただいてから、約10年間、ほとんどがしんどいことだらけだったけど、すごく貴重な経験をさせてもらいましたし、充実した代表期間だったなと思います」

 ―トマス杯を最後にした理由は。

 「僕自身、団体戦がすごく好きで、トマス杯に一緒に参加するメンバーにも本当に何回も相談したり、話を聞いてもらって、僕自身、また頑張ろうと思えたのも、今のメンバーがいたから。そのメンバーの力に少しでもなればと思い、個人戦ではなく、団体戦を選びました」

 ―五輪の舞台は。

 「バドミントンを始めてから五輪は憧れの舞台でしたし、その五輪で結果を出せなかったのはすごく悔しい気持ちでいっぱいですけど、日本代表を引退して、五輪を目指さなくなることに関しては、今はもう後悔はないです」

―20年1月の交通事故をどう捉えているか。

 「事故に遭った当初は何で自分なんだろうなというのは、思っていないと言えばうそになります。正直、本当にしんどいことだらけ、つらいことだらけだったけど、そのつらいことを事故のせいにしたくなかった。それすらはじき返したかった。その気持ちだけでした。周りの人たちの心強いサポートのおかげで、ちょっとだけ踏ん張ることができたかなと思います」

 ―事故による目の手術後は、プレーに影響はあったか。

 「目の手術をしてから思うように見えなかったり、これまで疲れない練習量でも疲労を感じたり。(その後も)僕なりにトライはしたんですけど、ちょっともう、世界のトップの人たちと戦うレベルには、もう厳しいかなと思いました」

 ―パリ五輪に出場するメンバーへエールは。

 「僕の立場から偉そうなことは言えないけど、一度五輪を経験した立場から言わせてもらうと、いつも通りのことを、いつも通り発揮する難しさを痛感した。一発勝負なので、結果を考えることなくいつも通り出し切ってもらいたい。バドミントンが大好きなので、僕自身も試合を見届けたい」

 ―今後の活動は。

 「バドミントンが大好きなんです。代表は引退しますが、NTT東日本のバドミントン部としての活動は続いていくと思うので、チームの練習だったり、地域貢献活動も積極的に貢献していきたいです。バドミントンの楽しさを感じてもらえるイベントをどんどん発信していきたい。活性化じゃないけど、いろんな人にバドミントン、スポーツの楽しさを感じてもらえるような活動をしたい」

 ◇桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年9月1日、香川・三野町(現・三豊市)生まれ。29歳。小学1年で競技を始め、福島・富岡一中、富岡高へ進み、3年時の2012年世界ジュニア選手権で優勝。13年にNTT東日本入社。15年世界選手権で銅メダル。18、19年世界選手権で2連覇。初出場した21年東京五輪は1次リーグ敗退。全日本総合選手権は6度制覇。座右の銘は「感謝」175センチ。左利き。