卓球女子で五輪2大会連続メダリストの福原愛さんが20日、都内で日本スポーツ学会が主催する「スポーツを語り合う会」にゲスト参加した。福原さんは04年アテネ五輪女子代表監督の西村卓二氏と登壇。2003年世界選手権で当時14歳だった自身を抜てきした恩師と、現役時代の思い出や日本卓球界の進化の歴史を振り返り、今後についても言及した。

 3歳で競技を始め、幼少期から「泣き虫愛ちゃん」としてメディアを通じ、国民的な注目を浴びてきた福原さん。小4で宮城から大阪に拠点を移した際には、転校先で初日からクラスメートや保護者全員が自身を知っていたことに驚き「私は名前を呼べなくて、連れてこられた宇宙人みたいな感覚でした」と、戸惑うことも多かったという。

 5歳から小学生以下の全日本選手権でバンビ・カブ・ホープスの部を7連覇したことでも知られるが、小4の時には入場の際、近くにいた男子選手に「愛ちゃん、どうせ優勝でしょ」と声をかけられた。「これは優勝しないとダメなんだ」と感じ、その後は「全ての大会で結果が出るほど、もう負けられない。次負けたら『福原はもう終わりだ。終わったんだ』と言われるんじゃないかという恐怖があった」と、幼少期から重圧と戦ってきたことを明かした。

 世界に初めて存在感を示したのは、03年にパリで行われた世界選手権だった。14歳6か月で代表となり、当時世界ランク12位のリ・ジャウェイ(シンガポール)らを破って日本勢唯一の8強。大会序盤は「練習場に雑誌で見る選手がいっぱいいて、朝から晩までいろんな選手が来るから帰りたくなかった」と懐かしみ、大会後には「海外の選手に名前を知っていただいて、終わった時にはみなさんにハイタッチしてもらって、すごくうれしかったのを覚えています」と振り返った。

 質疑応答では敗戦の後でどう自身を鼓舞していたかを聞かれ「悔しいって思えてるうちはまだいいなと思っていた。試合で負けたり、うまくいかなくて悩んだり、人生をトータルで見た時に、好きなことで悩めているのはすごく幸せなことだなと思っていた」という。

 自身は2018年10月に29歳で現役引退を表明。16年リオ五輪でともに戦った12歳下の伊藤美誠ら若手が台頭する中で「年を重ねるごとに諦めやすくなったり、泣けなくなってしまった時に、もうそろそろ引退しないといけないのかなって。伊藤美誠選手が出てきた時に、勝ちたいライバルと思えなかった。『美誠、頑張れ』って思った自分を感じた時に、私はもう成長できないかなと思った」。引き際の決断の裏にあった心境の変化を打ち明けた。

 今後の活動についても言及。「私はスポーツとおいしいものは、国をまたぐ力があると思っています。今は日中友好のことをやっていたり、卓球は初めてお会いした方でもちょっとラリーして一瞬で仲良くなることができる。そういった魅力を伝えていくことができれば」と思いを語った。