【大友信彦のもっとラグビー】

 「フミの会見はYouTubeで見てました。あの小さな体で、日本ラグビーを何とかしたいという思いでニュージーランド(NZ)へも行って頑張った。とんでもない人やったけど、お疲れさまと言いたいです」

 4月27日の熊谷ラグビー場。本拠地で最後の試合となる花園戦を終えた埼玉の堀江翔太(38)は、その3日前に現役引退を発表した「フミ」こと元日本代表SH田中史朗(39)=東葛=についてコメントした。

 田中と堀江は2012年に日本人最初のスーパーラグビー選手を目指して共にNZへ渡り、ダニーデンのクラブとオタゴ代表でプレー。田中はそのままオタゴ拠点のハイランダーズと13年から契約したが、堀江はNZチームでの契約はかなわず、田中よりも約1カ月遅れてオーストラリアのレベルズと契約。公式戦デビューも、時差の関係で田中が数時間先んじ「日本人第1号」の栄誉は田中が手にした。

 「フミの方がとんとん拍子でうまくいきましたよね。デビューもほとんど一緒なのに、なんか僕は二番煎じみたいで」

 堀江は苦笑して「やっぱり日本のSHは世界で評価されるんだなあと思いました」と続けた。そこには、フィジカルの強さが求められるFWの最前列で世界に挑んだという誇りものぞいた。

 27日の花園戦は堀江にとって、チームのカウントによる公式戦200試合目という節目の試合だった。試合後は今季の本拠地最終戦に加え、ともに今季で引退する堀江とSH内田啓介の送別セレモニーが行われ、ロビー・ディーンズ監督は「偉大な記録だ。能力はオールラウンドだし、チームでも日本代表でも周りの選手にも良い影響を与える。こんな素晴らしい選手と一緒に仕事ができたことはコーチとして幸せだ」と堀江を称賛した。

 もっとも「200」という数字も堀江の業績を語るには不十分だ。スーパーラグビーでは前述のレベルズで2シーズン19試合、初代主将を務めたサンウルブズでは4シーズン26試合。日本代表ではW杯4大会など歴代6位の76キャップのほかマオリ・オールブラックスやフレンチ・バーバリアンズなどと対戦したノンキャップ試合が10。合わせれば約16年で330試合を超えている。

 「そんなにですか。いっぱい試合しましたね。そりゃ経験つきますよ」と笑った堀江は「でも、試合する気持ちはいつも変わりません」と言った。日本ラグビー史に輝く名フッカーの姿を国内で見られるのはあと最大で3試合だ。