◆プロボクシング ▽WBA、WBC、IBF、WBO世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)タイトルマッチ12回戦 王者・井上尚弥―ルイス・ネリ ▽WBA世界バンタム級(53・5キロ以下)タイトルマッチ12回戦 王者・井上拓真―石田匠 ▽WBA世界フライ級(50・8キロ以下)タイトルマッチ12回戦 王者・ユーリ阿久井政悟―同級3位・桑原拓 ▽WBO世界バンタム級タイトルマッチ12回戦 王者ジェイソン・モロニー―同級10位・武居由樹 ▽(5月6日、東京ドーム)

 34年ぶりのプロボクシング興行を6日の東京ドームで主催するプロモーターの大橋ジムの大橋秀行会長(59)が3日までにスポーツ報知の単独取材に応じ、スポーツ史に残るメガファイトへの思いを熱く語った。世界王者として目撃した1990年2月の東京ドームから34年。現役時代に描いた夢を現実へと導いた“モンスター”井上尚弥(31)との出会いなど、歴史的興行への道のりを「運命」と語った。

 東京ドーム大会のプロモーターである大橋会長は今回の興行を「運命です」と言い切る。

 1990年2月7日、WBC世界ストロー級(現ミニマム級)王者となった大橋秀行は4日後の2月11日、東京ドームにいた。一つ目の運命。それは、5万1600人の大観衆に沸いたマイク・タイソンとジェームス・ダグラスの試合を現地で目撃したことだ。当時の後楽園ホールは2000人の超満員で熱量も高かった。それでも、ドームの光景、雰囲気、すべてが違った。

 世界戦で日本人が21連敗を喫し、「冬の時代」と言われていた。その中で、大橋会長が1年3か月ぶりの日本人世界王者となった。後楽園とドーム。ストロー級とヘビー級の違いに衝撃を受け、「いつか、ここで試合をしたい」と夢を描き、実現するのに「あれから34年かかりました」と話した。

 自身が描いたボクサーの理想像があった。アマチュアではインターハイと全日本選手権優勝。プロでは3階級制覇にパウンド・フォー・パウンド(全階級を通しての最強ランキング)の1位。そして、東京ドームで戦うこと。かなったのは横浜高2年時のインターハイ優勝だけだった。

 今回の興行でメインを務める井上尚は、ボクサー・大橋の引退のきっかけとなった93年2月10日のチャナ・ポーパオイン(タイ)戦の2か月後、4月10日に生まれた。自身がかなえられなかった夢を次々とかなえていく天才を、「自分の生まれ変わりではないか」と考えるようになった。今年は大橋ジムの設立30周年の節目。そして、分身と入れ込む井上尚との出会いがあったからこそ、34年間、誰もなしえなかった興行開催へと舵を切った。「東京ドームの試合が決まったときには、運命としか思えませんでした」

 大橋ジムからはこれまで4人の世界王者が出ている。最も記憶に残るボクサーは元WBC世界スーパーフライ級王者の川嶋勝重だ。「21歳での入門希望。始めるには遅すぎると2度断りました」。プロテストに合格はしたが、到底大成するようには感じなかった。

 それでも、愚直なまでに努力を続けた。迎えた2度目の世界挑戦。04年6月のWBC世界スーパーフライ級タイトルマッチにおいて現役時代「150年に一人の天才」と言われた大橋会長の目の前で、川嶋は「150年に一度の奇跡」を起こした。8連続防衛中の絶対王者・徳山昌守(金沢)に1回TKO勝ちしたのだ。

 世界王者は天賦の才を持った選手だけがなれるものだと思っていた考え方をひっくり返された。大橋会長は「チャンピオンはね、育て上げられるんですよ」今は自信を持ってそう明言する。

 現トレーナーで元世界3階級制覇王者の八重樫東は川嶋の背中、ひたむきさを見てきた。同じように井上尚、井上拓の兄弟は八重樫の姿を見てきた。たすきリレーのように受け継がれる伝統。最初の世界王者が才能だけの選手だったら、ジムの未来は違ったものになっていたと強く感じている。

 今回の大イベントは生粋のボクシングファンではない層からも大きな注目を浴びている。「これをきっかけにボクシングを知ってもらいたい。今回の興行の大きな役割です」と真剣な表情を見せた大橋会長。

 そして、もう一つ。周囲からは井上尚のような選手はもう出てこないと言われる。しかし、「私は絶対出てくると信じています。今回の興行を見た子供たちの中からとんでもない選手が出てきてほしい。東京ドーム大会は集大成ではない。スタートなのです」。2日後、運命のゴングが鳴る。(戸田 幸治)=おわり=

 ◆大橋 秀行(おおはし・ひでゆき)1965年3月8日、横浜市生まれ。59歳。中学時代からボクシングを始め、横浜高から専大に進む。85年2月にヨネクラジムからプロデビュー。「150年に一人の天才」と言われ、90年、3度目の世界挑戦でWBC世界ストロー級(現ミニマム級)王座を奪取し、1度防衛。92年、WBA世界ストロー級王座を獲得。94年に現役を引退し、大橋ジムを開設。戦績は19勝(12KO)5敗。

 ◆4大世界戦で達成の可能性がある記録

 ▽世界戦4試合 同一興行では日本史上初。3試合は1998年8月、横浜アリーナでのロッキー・リン(ロッキー)、坂本博之(角海老宝石)、辰吉丈一郎(大阪帝拳)など

 ▽日本人メインでの最多観衆 これまでは52年5月、初めて日本人世界王者が誕生したダド・マリノ―白井義男戦(後楽園球場)の4万5000人が最多

 ▽世界王者4人在籍 井上尚弥、井上拓真が王座防衛し、武居由樹、桑原拓が王座奪取すれば、帝拳ジムが3度記録した同一ジム同時世界王者在籍4人の最多記録タイ

 ▽井上尚弥の世界戦勝利数 勝てば、自身の持つ日本記録を更新する22連勝。世界戦通算22勝の井岡一翔(志成)の日本人通算最多勝利に並ぶ

 ▽兄弟同日世界王座防衛 13年2月の亀田大毅、和毅(ともに当時、亀田)、23年10月の重岡優大、銀次朗に続く3例目。ともにKO勝利での防衛なら日本史上初

 ▽K―1との2冠 キックボクシングの元K―1王者、武居が王座奪取すれば史上初

 ▽日本ジム所属100人目の世界王者 4日のIBF世界バンタム級タイトルマッチで西田凌佑(六島)が勝った場合、桑原が王座奪取ならば日本ボクシングコミッション(JBC)が認定する100人目。西田が王座奪取できなかった場合、桑原が勝ち、武居も勝てば100人目となる。