ドミティッラのカタコンベ『説教師イエス』, Public domain, via Wikimedia Commons

「初期キリスト教美術」とは、迫害の時代からキリスト教寛容政策そして国教化という道をたどる中で成立した美術です。この記事では、ローマの大学院で美術史を専攻する筆者が、初期キリスト教美術を理解するために重要な3つの要素について解説します!

初期キリスト教美術を理解する鍵①:カタコンベ

Via Latina のカタコンベ『ラザロの復活』, Public domain, via Wikimedia Commons

「カタコンベ」は、初期キリスト教の美術が発展した最初の場所の1つです。「カタコンベ」とは地下に作られた共同埋葬地であり、もともとの起源はローマのアッピア街道沿いに作られた墓地にあります。

カタコンベはキリスト教独自の文化とみなされることがありますが、古代ローマではエトルリア人(ローマの民族)やユダヤ人も地下の共同墓地を利用していました。キリスト教のコンテクストで語られることが多いのは、初期キリスト教徒がカタコンベを中心としたカルトを形成したためでしょう。

カタコンベが初期キリスト教美術を理解するための重要な鍵となっているのは、内部にフレスコ画を中心として装飾が施されているためです。キリスト教がこの世に生まれてから、つまりイエスが誕生したとされる西暦1年から※、コンスタンティヌス帝が313年にキリスト教を公認するまで、キリスト教の美術は社会の表舞台に堂々と登場することはありませんでした。

とくにカタコンベにおける美術では、「墓地」という場所の性質上、救済をテーマにした図像が多く用いられます。『ノアの箱舟』『ヨナの生涯』など、旧約聖書の主題も人気がありました。

『ノアの箱舟』は、神に対する不義理を繰り返した人類を罰するために神が大洪水を起こすものの、善良なノアだけが動物のつがい(オスとメス)を連れて箱舟に乗って難を逃れるストーリーです。『ヨナの生涯』でヨナは、海獣に飲みこまれますが3日後に奇跡的に復活します。このように、カタコンベにおける初期キリスト教美術は、死後の救済への祈りをともに発展していきました。

※イエスの生誕年は諸説あり、現在では西暦1年ではなく数年あとだったとする説が有力です。

初期キリスト教美術を理解する鍵②:石棺

ジュニウス・バッススの石棺, Public domain, via Wikimedia Commons

石棺(せっかん)装飾は、カタコンベと同様に初期キリスト教美術を理解するための重要なポイントとなります。石棺とは大理石などで作った棺を指し、カタコンベと同様に復活や救済を重視した主題が好まれました。現在では、発掘された多くの初期キリスト教時代の石棺がヴァチカン美術館を中心に所蔵されています。

カタコンベと石棺装飾の大きな違いは、カタコンベが大衆に向けた「共同墓地」の装飾であったことに対し、石棺は個人使用を想定している点です。キリスト教は貧困層や社会的弱者を中心に広がった宗教でしたが、3-4世紀以降はローマの富裕層の間にも徐々に広まっていきました。人が1人入れるほどの大きさの大理石彫刻を作れるのは、財力のあるキリスト教徒に限られています。

石棺彫刻にもカタコンベと同じように「ノアの箱舟」や「ヨナの復活」など、復活をテーマにした旧約聖書の物語が多く描かれました。新約聖書からも、ペトロやイエスの奇蹟の物語が描かれています。石棺彫刻のなかには、持ち主の肖像を含めたものも登場します。

初期キリスト教美術を理解する鍵③:教会

H.W. Brewer (1836 – 1903), 改修前のサン・ピエトロ大聖堂, Public domain, via Wikimedia Commons

1〜3世紀のキリスト教美術は、カタコンベや石棺彫刻など葬儀・埋葬に関連した場所で生産されてきました。初期キリスト教美術がこのような限定的な場面でのみ発展したのは、古代ローマ帝国における迫害が原因であったことは言うまでもありません。

コンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令で信仰を認め迫害の時代に終止符を打っただけではなく、積極的なキリスト教モニュメントの建設に取り組みました。ローマやエルサレム、コンスタンティノープルには、コンスタンティヌス帝が建てた教会がいくつもあります。

ローマにおいては、ヴァチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂がコンスタンティヌス帝の建てた教会の1つです。サン・ピエトロ大聖堂は16-17世紀の改修工事により初代の建築構造は失われてしまいましたが、長さ最大119m×幅64mの巨大な建造物でした。

コンスタンティヌス帝時代の教会構造の特徴は、地味な外観と、荘厳な内観でした。少なくとも外観からは、宗教カルトの中心地とはわからないような単調な作りが特徴です。これは、自由な信仰を認めたあとも、コンスタンティヌス帝は慎重なキリスト教化を目指したためでした。

地味な外部装飾とは裏腹に、内観は見るものを圧倒する豪華な作りだったと言われています。残念ながら初期のサン・ピエトロ大聖堂の内部装飾は史料が少ないため、完全な再現は困難です。しかし、残された史料や同時代のほかの聖堂との比較によると、内部の側壁はモザイクで旧約聖書と新約聖書の物語が描かれていたと考えられます。

教会内部装飾に用いられた主題や図像はカタコンベや石棺装飾との共通点もあります。コンスタンティヌス帝キリスト教化政策は、数世紀にわたりひっそりと受け継がれてきたキリスト教美術の伝統が、公の場に応用されるきっかけとなりました。

社会と政治の変化のなかで発展した初期キリスト教美術は、ひそかに、しかし確実にキリスト教美術の土台を形成してきました。以上、初期キリスト教美術を理解するための3つのポイントについてでした!