5月3日〜5日、東京都にある東京国際フォーラムでクラシックの祭典「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024」(LA FOLLE JOURNEE TOKYO)が開幕する。1公演45分、約1500円〜と低価格で朝から晩まで楽しむことができるスタイルで人気となり、東京でのイベントは2005年から2023年で延べ884万人が来場し、世界最大級の音楽イベントとなっている。

 Appleは同イベントとコラボレーションをしており、「Apple Music」アプリでプレイリストを提供している他、4月25日には同イベントで2公演を行う日本のトップトロンボーン奏者で、作曲も行う中川英二郎氏と音楽ジャーナリストの田中泰氏をゲストに迎えたイベント「Today at Apple:中川英二郎と田中泰が探る、音楽の起源と進化する楽しみ方」を開催した。

●中川英二郎氏の音楽的オリジンとは

 2024年1月のリリース以来、Appleが力を入れているiPhone/iPadそしてAndroidにも対応したクラシック音楽を楽しむためのアプリ/サービス「Apple Music Classical」。LA FOLLE JOURNEE TOKYOが同サービスの公式キュレーターの1つになっていることから、イベント会場である東京国際フォーラムにも近いApple 丸の内で今回のイベントが開かれることとなった。

 イベントは、音楽ジャーナリストの田中泰氏がラ・フォル・ジュルネの概要を紹介して幕を開けた。本国のフランスでは1995年に始まった音楽の祭典で、2024年はフランスで30回目、2005年にスタートした日本でのイベント(当時の名称はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン)として20回目の開催ということもあり、今回は「ORIGINES(オリジン)ーすべてはここからはじまった」がテーマだという。

 Today at Appleのイベントに登場した中川英二郎氏は、「新しい物好き」を自称し、Apple直営店にはニューヨークに住んでいた頃から新製品を見によく訪れていたというが、Apple 丸の内は今回のイベントで初めて訪れたという。

 店内の周囲を竹で囲い、中央に吹き抜けがある開放的な空間を気に入ったようで、このストアの空間に合った3曲を選んで演奏した。オリジナル曲の「Boot City」と「Rodeo Clown」、そして「Czardas」(チャルデイッシュ/ヴィットーリオ・モンティ作曲)の3曲だ。2曲目のRodeo Clownは、準備中にApple 丸の内スタッフの1人がトランペット奏者だったことが分かり、急きょ共演する形となった。

 演奏後は、田中氏との2人によるトークが始まった。中川氏はそもそも、なぜトロンボーンを吹き始めたのか。音楽一家に生まれた中川氏の家にはトランペット奏者である父、中川喜弘氏が吹くトランペットはもちろん、あらゆる楽器があったという。

 幼稚園の頃にはアルトサックスをプレゼントしてもらい、小さい頃はドラムに興味を示していたというが、たまたま親が友達に貸していてトロンボーンがなかった。父のバンドがベニーグッドマンの「Sing Sing Sing」を演奏するのを見て、妙に伸び縮みする楽器に衝撃を受け、親に「あれをやる」と言ったのがトロンボーンの道を進む最初のきっかけだったという。

 20代後半の4年間は一度、自分を見つめ直す意味を含めて演奏を離れ、ニューヨークに住んで作曲家を目指した時期もあったという。しかし、その間に改めてトロンボーンの魅力に気がつき、30代に入ってからは自分の人生の核となる「侍BRASS」などのグループ活動を始めたそうだ。

 そんな中川氏の音楽的オリジンは、ディキシーランドジャズだという。

 「アメリカで生まれたジャズですが、その中でもルーツと言われるのがディキシーランドジャズです。ニューオリンズの発祥で、奴隷解放後のアメリカで4分の3拍子のアフリカのリズムと西洋の12音階が結びつく形で生み出された(中略)。どんどん速くなっていくスイングや人々が踊りたくなるような躍動感がジャズの1番の醍醐味」だという。

●音楽は常にテクノロジーと共に進化を続けている

 クラシックとジャズ、2つのジャンルを行ったり来たりする中川氏だが、最もアナログな楽器の1つであるトロンボーンと、最新テクノロジーを同時に愛する人物でもある。

 新しいもの好きでiPhoneも毎年買い替え、「これからAIが広まって、世の中が大きく変わる瞬間を見極めるのも楽しみにしている」と語る。

 プライベートでも常に音楽を聞く機会の多い中川氏だが、Apple MusicやApple Music Classicalは、自身がさまざまな演奏を聞き比べるのに使うだけでなく、子供たちとの交流にも活用しているそうだ。

 現在、2人の子供のために家や車の中で音楽を聞かせるべくプレイリストをいくつも作っているという。子供たちが小さい頃は、童謡などを入れたプレイリストを作って聞かせていたが、その後、だんだんアニメの曲などが増えていった。最近は子供たちが音楽会でカルメンを演奏することになり、子供たちもそのメロディーを口ずさんだりするようになったことがあったので、「これがカルメンだよ」とApple Musicでいくつかの演奏を聞かせたと話す。

 有名な曲だから、いろいろなジャンルのさまざまな人が演奏している。子供たちも「これが面白い」「いや、これが面白い」「こっちは速い」「こっちは遅い」といった具合で楽しみ始めた。

 こうやってプレイリストを作り続けていると、しばらくしてから「あー、数年前はこんなのを聞いていたんだ」といった再発見も多いのだと振り返る。

 こうしたテクノロジーの普及によって「音楽の間口は広くなっています」と中川氏。Apple Musicのようなサブスクリプション型音楽配信サービスを利用していれば「好きな音楽をどんどん耳にするばかりか、知らない音楽もどんどんレコメンドしてくれます。自分が好きな音楽のルーツなども、かなりたどりやすくなっていると思います」と指摘する。

 そんな中川氏だが、当然ながら仕事においてもテクノロジーのことは常に意識してきた。

 彼がプロとして活動をし始めたのは、まだギリギリ、アナログで録音が行われていた時代。オープンリールのテープにまだ24チャンネルしか録音ができなかったものが、しばらくするとソニーからデジタル・マルチトラック・レコーダー(PCM-3348)が出てきて、2分の1インチ幅(12.7mm)のテープに48チャンネルもの録音できるようになった。

 「音のクオリティーなど、デジタル化による弊害みたいなものはもちろんあります。それに拒絶反応を示す人もいたし、新しいものをどんどん使っていこうという人もいました」と当時を振り返る。だが中川氏は、常に新しいものを受け入れて使っていく側だったという。

 オーディオの作成/録音/編集/ミックスを行うソフト「Pro Tools」に関しても同様で、「2000年代前半は日本では受け入れられていなかったけれど、ニューヨークのスタジオとかも当たり前に入り始めていたし、絶対に入ってくるよね」と思っていたら、案の定そうなっていく様子を楽しみながら見届けてきた。

 同じ家族でも兄(作曲家/編曲家の中川幸太郎氏)は全く逆の性格で、自分が新しい製品の初期不良などと苦闘している姿を横で笑いながら見届け、しばらく時間が経ってそれでも使い続けたものだけを後から使い始めるというタイプだという。

●音楽家にとってテクノロジーは敵か味方か

 音楽家としての中川氏が、テクノロジーに一番救われたのはコロナ禍かもしれない。直前までニューヨークで録音をしていた中川氏だが、本格的にコロナ禍に入ってからは公演などが全てキャンセルになった。

 時間が止まったようなコロナ禍で、当初中川氏は子供たちとボールで遊んだり、バドミントンをしたりと、まるで夏休みのような時間を過ごしていたという。そこまで「ポジティブ」に受け止められたのは「子供たちがいたおかげ」だと振り返る。

 しかし、時間が経つと「やはり音楽活動をスタートさせたい」という思いが大きくなってきた。そんな時、役に立ったのがデジタルテクノロジーだった。

 デジタル技術の活用について音楽仲間たち皆が模索し、情報を共有しあったという。家の録音環境を充実させた。家で録音した演奏をデータで送るということは以前から行っていたが、コロナ禍そうしたやりとりは確実に増えたと語る。

 特に多かったのが、ライブハウスやコンサートホールなどからの演奏の配信だ。インスタライブで演奏を配信したり、みんなでバラバラに演奏の映像を撮って、それを1つに繋げてYouTubeで公開したりといったことも行った。自体が少し落ち着いてから行った、BLUE NOTEでのライブも生演奏と配信を同時に提供したという。

 後に状況が落ち着いてから地方公演などにいくと「その時の配信を聞いていた」という声をよく耳にしたという中川氏だが、コロナ禍があったからこそ「ライブで繋がれることの大切さやありがたみを感じました」と主張する。

 そんな中川氏だが「演奏家としての自分を見ると、テクノロジーは敵になる可能性もあります」とも語っている。

 例えば、役者の演技に合わせての生演奏をつけるのが当たり前のミュージカル劇の世界では、昔は曲を演奏するのに必要な奏者全員がそろえられた。しかし、シンセサイザーのようなテクノロジーが普及してきたことによって、もっと少ない奏者でも済むようになった。今ではコンピューターに曲を演奏させ、リアルタイムでテンポを変えるといったこともできる。

 「ゼロではないけれど、僕たち(奏者)の席数が減ってきているのは事実としてあります。トロンボーンも3人いたのが1人しかいなくなってしまうというのは今後あるかもしれない。でも、この流れを僕が止めるということにはならないし、自分はテクノロジー好きだから、それはそうだよなと思います」と、冷静にことを受け止めている。

 「宮大工がなくならないのと同じように、究極の職人、究極の音楽家、究極のアーティストというものは、やはりなくならないと思います。中途半端なものは機械に置き換えられてしまうかもしれないけど、一部のものは生き残ります」という。

 「どこまで許容するかは人それぞれです。アナログこそが最高と言うのは、それはそれで1つの考え方でしょう。でも、自分はデジタルの時代の中でも、楽しくやっていける方法というのは必ずあると思っています」と述べる中川氏。

 そんな中で、中川氏がテクノロジーが奪えない人の役割について「もしかしたら、今日の(Apple 丸の内での)演奏で初めてトロンボーンの音を聞いたという人もいるかもしれません。それで音楽っていいなと思って、トロンボーンを始めたいと思う人がいるかもしれません。そういうことは、人間の生の演奏でしかできない部分だと思っています」と語る。

●新しい掛け合わせの中から次の時代が生まれる

 Apple Music Classicalで「中川英二郎」を検索すると、アーティストでトロンボーン奏者としての中川氏と、作曲者としての中川氏の2つの候補が出る。これは中川氏が日本のトロンボーン奏者としては珍しい存在であることを物語っている。

 そんな中川氏のもう1つの顔である作曲家としての側面から見ても、テクノロジー好きは変わらないようだ。

 常に「新しいものが生まれている瞬間に触れていたい」と言う中川氏だが、「それは作曲にも通じる感覚」だと語っている。「作曲というのは、ある部分では新しいものを作り出していますが、ある部分では(既存の)何かと何かを掛け合わせているみたいなところがあります。その繋ぎがうまくいくと、何かすごく新しいのに親しみがあるものが生まれます。だからゼロから1を生み出しているような新しい物に心を引かれるし、常にそういうものに囲まれていたいと思っています」と語る。

 何かと何かを掛け合わせ、新しいものを生み出すことは人類の歴史の中で常に繰り返されてきた。中川氏自身が自らのルーツだと語るディキシーランドジャズも、奴隷解放から時間が経ち、ヨーロッパ人とアフリカ系の人たちの混血化が進むフランス領のルイジアナをアメリカが買収し、蓄音機などの新しいテクノロジーが生み出されていた大変革の時代に異なる文化を掛け合わせて誕生した。その新しい音楽が100年近い時間を経て中川氏のようなデジタルテクノロジーとジャズ、クラシックを掛け合わせた音楽家を生み出していると思うと、感慨深いものがある。

 なお、5月3日から始まるラ・フォル・ジュルネ TOKYOにおいて、中川氏は5月3日(金・祝)と4日(土・祝)に公演を行う。

 3日の公演は中川氏自身のオリジンをたどる「名匠たちによるノリノリ愉快なディキシーランド・ジャズ!」(公演番号:123)にて、父で伝説のトランぺッターである中川喜弘氏を含む「中川英二郎 TRAD JAZZ COMPANY」としてディキシーランドジャズを演奏予定だ。

 4日の「スターたちによる愉悦の音楽!」(公演番号:215)では、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」とラヴェルの「ボレロ」をSUPER BRASS STARS LFJスペシャルバージョンでお届けする予定だ。

 ラ・フォル・ジュルネ TOKYOのWebサイトでタイムテーブルを見てもらうと分かるが、文字通り東京国際フォーラムは3日間、朝から晩まで“クラシック漬け”のフェス状態になる。パスポート券で満喫するも良し、1500円〜となる個別のコンサートを見るも良し、さらには無料のコンサートや講演会、イベントを回るのも良しと、さまざまな楽しみ方ができる。

 予習や復習は手元のApple Music Classicalから行い、本イベントのテーマである音楽のオリジン(起源、ルーツ)とじっくりと向き合うのも一興だろう。