大河ドラマ「光る君へ」で注目を集める平安時代。大河ドラマといえば時代は、戦国、江戸、幕末、テーマも武将や智将の「合戦」が中心でした。

なぜ今、平安なのか。

「光る君へ」の時代考証を務める倉本一宏氏は「平安時代はもっと注目されてほしいし、されていい時代。人間の本質を知ることができます」と語ります。

その倉本氏は5月21日に、平安京に生きた面白い人々の実像を綴った『平安貴族列伝』を上梓。

日本の正史である六国史に載せられた個人の伝記「薨卒伝(こうそつでん)」から、藤原氏などの有名貴族からあまり知られていない人物まで、その生涯を紹介しています。

今回はその著者の倉本一宏氏に、改めて平安時代とはどんな時代だったのか?お伺いしました。

貴族は「転職」できない?

——当時官人の仕事はどんなものだったのか?どれくらい忙しかったのか教えていただけますでしょうか?

 所属する官司によって、何をやって、何をやってはいけないか、仕事が決められています。もうちょっと後、藤原道長の時代になると、わりと自由裁量ができるようになるんですけれど。公卿と呼ばれる人は国家政策を決めるわけですが、その下に実務官人がいっぱいいて、手伝いといいますか、いろんな資料を揃えます。さらにその下、六位以下の下級官人たちが彼らの雑用をする。ということで、身分によって、職種によってきっちりと決められています。

 問題なのは、今と違って仕事が公務員しかないこと。僕らだったら、この会社が嫌だなと思ったら違う会社に移れますし、あるいは自分で会社を作ることもできますが、彼らは官人しかない。貴族に生まれたら貴族しかやる職業がないんです。

 もうひとつは、ちょっとでも没落すると子供が親よりも出世するということはほぼない。要するにちょっとでもいいから上に行っておかないと、子供は没落してしまう。特に藤原氏はものすごい数になります。平安初期でも五位以上の藤原氏は100人や200人じゃなかったと思います。最初は4人しかいなかった藤原氏が、だんだん世代ごとにねずみ算的に増えていったわけです。

 藤原氏というのは不比等が作った蔭位の制度で、ほとんどが五位以上になることに決まっています。ほぼ全員貴族になるんですが、貴族のやる官職は数が限られています。公卿というのはどんなに多くても20人足らずしかなれません。八省の卿が8人、大宰の帥とか中宮大夫などの長官を含めても、せいぜい3、40人ぐらいしかいない。五位以上の藤原氏が増えても、就ける官職は増えませんから。そうすると、ほとんどの人はそれに就けない。親父さんが上級官人でも子供は中級官人、親が中級官人でも子供は下級官人になることはよくあるんです。

 藤原氏ですらそうなので、まして他の氏族、大伴氏とか紀氏とか阿倍氏とかたくさんいますが、その人たちは高い位ももらえなくなるんです。不比等が藤原氏だけが高い位につけるような制度を作ったために、他の氏族は没落していくのは決まっていたことなんです。