大河ドラマ『光る君へ』(NHK総合、毎週日曜日よる8時放送)主演の吉高由里子が、第17回の放送で最終出演となる井浦新を「国民的保護者」とSNS上で形容していた。

 『光る君へ』より© NHK それに対して井浦もユニークにコメントしていたが、いやはや井浦が同作で演じた関白・藤原道隆役はそんな形容に相応しい大役だった。

 イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、『光る君へ』の藤原道隆役が井浦新にしか演じられない理由を解説する。

井浦新がカッコいい理由

『光る君へ』より© NHK 井浦新とはつまり、言行一致の人ではないだろうか? 俳優としてはもちろんだけれど、何より正真正銘、ひとりの人間として。

 その存在感、身体、演技を通じて、人間・三島由紀夫の最期の声を俳優・井浦新が演じる。『英霊の聲』を著した戦後最大の作家の声が静かに、重く聞こえてきた瞬間にはぞくっとした……。

「静粛に聞け(!)。男一匹が命を懸けて諸君に訴えているんだぞ」

 1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立つ三島由紀夫が、野次を飛ばす聴衆に言い放った。自衛隊員に向かって決起を叫んだこの言葉は、今でもズシンとくるものがある。

 若松孝二監督の『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2012年)に主演した井浦が、三島由紀夫を演じることで21世紀に生々しく再現したあの決起の響き(聲)。

 4月21日に行われた『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』(2024年)舞台挨拶に登壇した井浦は、「映画は時代を映すもの。権力側ではなく弱者の目線で表現しなければいけないと若松監督から学び、共鳴して自分たちの表現に生かしている」と若松監督の意志を継いでいることを再表明した。

 言ってることとやってることに矛盾がない。素直に、当たり前にカッコいい。

道隆役に「弱者の視点」はあるのか

『光る君へ』より© NHK そんな不退転の気持ちを踏まえると、『光る君へ』で井浦がタイムリーに演じているのが藤原道隆であることがすごく興味深い。

 平安時代中期に栄華を極めた藤原氏の時の長である関白・道隆を演じる上で「弱者の視点」に立つことはどういうことだろうかと。

「男一匹」で決死の覚悟、日本の未来を本気で憂えた三島に対して、極端な身内びいきで公卿たちの反感と失笑を買う道隆の独裁は、国民のことなど考えていない。第16回は、為政者としてあるまじき傍観者的態度を露呈した。

 平安京に蔓延する疫病。桓武天皇が幾度の困難を経て遷都し、平安を込めた都であっても例外ではない。弟の藤原道長(柄本佑)が、どれほど早急な対応を求めても、道隆は頑として「疫病は自然におさまる。これまでもそうであった」 というばかり。



つややかな視線をたぐるカメラ移動

『光る君へ』より© NHK 994年に内大臣まで出世させた息子・藤原伊周(三浦翔平)を溺愛するあまり、目が曇ったか。かつての可愛い弟の助言は届かない。

 それどころか、中宮大夫の職の職責が不十分だと指摘し、道長の顎に扇子をあてて「さがれ」と一言。

 にしてもその距離が近い……。田中圭主演の『おっさんずラブ-リターンズ-』(テレビ朝日、2024年)では、井浦と三浦翔平がラブダイナマイトなカップル役を熱演しただけに、やたらと色っぽく写る。第11回、伊周が初登場する場面でもそうだった。

 安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に伊周を紹介するとき、道隆役の井浦のつややかな視線をたぐるようにカメラが上手に移動し、元服まもない若貴族を35歳の三浦翔平が演じるという荒業に結びつけた。

人工楽園の幻想

『光る君へ』より© NHK『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』冒頭、自宅で歓談する三島が、「軍人として鍛え直そうと思ってるんだ」という印象的な台詞がある。

 最終的に自決を遂げた人の、その笑顔が対照的に晴れやかだったことを井浦の演技がふるわせていた。

 平安時代の東国では、その後の源頼朝に続く源氏が、武芸に優れた軍人貴族と呼ばれていた。道長は軍人貴族をうまく使って東国を統治するのだが、道隆は武人のイメージからはあまりに遠い。

 軍人でも武人でもない道隆を演じるのならば、この際、人工楽園ともいえる平安京の中で、風雅な佇まいを徹底的に極めてやろう。昼から酒を飲む盃の上下、日差しに目を細める刹那の瞬間さえ、雅に。

 疫病で疲弊する都内を道隆が通過する場面があるが、牛車に揺られ、ちょっと隙間から見るだけ。中関白家が支配するこの人工楽園で、こんなけがれの風景が広がるはずないという幻想に道隆は取り憑かれていたのかもしれない。



段田安則から引き継いだ色っぽさ

『光る君へ』より© NHK 幻想はやがて狂気に変わる。でも狂気に変わる直前はことのほか、美しい。とでもいいたげ。

 それもそのはず。井浦扮する道隆が全編を通じて体現する色っぽさは、道隆の父である兼家を演じた段田安則から役柄を超えて引き継いだものだからだ。

 となるとこれは責任重大。誰よりもつやっぽく、色っぽくいる必要がある。大河ドラマ史上初の本格的な平安時代ともなると、イケてる男性貴族たちがひしめく。

 その中でひときわ色つやともに抜きん出ていたのが、若いイケメンではなく、むしろイケオジ代表の段田だった。

 その後、息子・道長の代に摂関政治の全盛期を迎える礎を用意したのが、兼家。威厳ある佇まいを体現する段田をに対して、カメラが他の俳優よりも明らかに色っぽく写るようにワンショットを抜く。

 兼家のあと、関白になった道隆を演じる井浦は、段田の余韻をまといながら、独自の風雅を発している。

 大の酒好きで、冗談で周囲を笑わせてばかりいたらしい。清少納言は、『枕草子』の中で、笑い過ぎて「あやうく打橋から落ちるほどであった」(田中澄江現代語訳)と書いている。

井浦新にしか演じられない大役

『光る君へ』より© NHK 疫病の蔓延とともに平安の人工的な美しさのメッキがはがれ、その幻想を体現する道隆の狂気がにじみ出す。第17回冒頭、喉が渇いたといって道隆は、しきりに水を飲む。龍笛もうまく吹けない。一条天皇(塩野瑛久)の御前で演奏中、一瞬宙を舞ったあと、ドタリと床に倒れてしまう。

 病に臥せる道隆に明らかな変化があるのは、顔色の悪さだけではない。それまで常に日の光を浴び続けていた関白の顔に物理的なかげりが見えるようになるのだ。

 最初に臥せった夜はまだ月明かりが照らしていたが、弟・道兼(玉置玲央)を呼ぶ場面では、部屋に入り込む光が道隆の顔を全然照らさない。

 それでも入内すると一応チラチラ光は当たる。生来の光の男は病身でもすごいパワーではある。そのあと、確認する限り、明らかに日が差さないのは、御簾が下ろされた室内で中宮・定子(高畑充希)に迫る場面のみ。

 たっぷりの日差しの中で表舞台を生きた道隆が、わずかに見出した陰の世界……。

『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』でノーベル文学賞候補者として名前があがった谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』。同著で語られる陰翳の花鳥風月をはからずも実践する、藤原道隆役は井浦新にしか演じられない大役だった。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu