農業が社会を変えると考える研究者は、経営学の世界にもいる。法政大学経営学部教授、木村純子さんはその一人だ。技法は学際的だ。日本におけるイタリア建築・都市史の第一人者である陣内秀信さん(法政大特任教授)との編著で連続刊行した「イタリアのテリトーリオ戦略」「南イタリアの食とテリトーリオ」では、グローバル化の大波に対抗するイタリアの農業生産者の姿を生き生きと描き、日本の農村再生に向けたヒントを提供した。【聞き手・三枝泰一】

 ――「テリトーリオ」という言葉が指すものは何ですか?

 ◆このイタリア語は「地域圏」と和訳されていますが、行政用語のイメージでくくられる言葉ではありません。人為的に分けられた行政区を超え、社会経済的、文化的アイデンティティーを共有する都市と農村、集落の総体と考えれば分かりやすいでしょう。「まとまり」と言い換えてもいい。地域の結びつきを表す社会システムの概念としても使われます。

 ――ご自身の意識に刺さった経緯は?

 ◆この言葉に最初に出合ったのは10年ほど前です。当時、私の専門分野であるPDO(原産地呼称保護)とPGI(地理的表示保護)の研究のためにイタリアで生活していたのですが、テレビの料理番組から農村の紹介、ワイン、パスタ、チーズ、オリーブオイルなどあらゆる食材の商品説明、そして政治家の演説にいたるまで、ありとあらゆる場面でこの言葉が使われていることを知りました。衰退していた農村が輝きを取り戻し続けているイタリアで、急速に広まっている言葉でした。当然、興味がわきますよね。

 ――PDOやPGIとの親和性が高い?

 ◆北米との貿易競争が過熱する中、1986年に始まったGATT(関税貿易一般協定)ウルグアイ・ラウンドの交渉の中で、欧州はGI(地理的表示)を知的財産権に位置付けるよう努めました。イタリアはPDO登録数が最も多い国です。チーズの「パルミジャーノ・レッジャーノ」が代表的ですね。

 政府当局者らは、PDOやPGIを裏付ける価値として、一種、戦略的に、テリトーリオの概念を使っています。規模と生産性では北米型の農業にかなわないからこそ、違う価値を追求するわけです。欧州連合(EU)のトップダウン政策と、地域からのボトムアップ。表裏一体の関係性が奏功しています。

 ――農業における「コモンズの精神」についても言及されていますね。

 ◆コモンズは、誰もが自由に利用できる空間や領域を指す概念です。農業は二重構造を持ちます。地域の人々が協働し、地域資源を「共有財」として活用し、それを守る。これが農業の基層で、まさにコモンズの精神を体現しています。そして上層にあるのが、市場経済との交渉におかれたビジネスの領域です。

 ――近著では、南イタリアにおけるさまざまなケーススタディーを紹介されています。

 ◆農業の機械化に適さない断崖絶壁の土地であっても、地中海沿岸の持つ景観的資源を保全する農法。ワイン製造では在来種のブドウにこだわり、伝統的栽培技法を徹底することで、人文的な価値を高める生産戦略。意識を共有する事業者らによるサプライチェーン(供給網)の構築……。コモンズの精神を持つ主体が活動し、協働的ネットワークを築き、経済価値と非経済価値のバランスを取り、農業の多様性によって地域のアイデンティティーを形成する。これがテリトーリオに根ざした農業の形です。他のどこにもない産品の競争優位性や、景観などの農業の多機能性が生まれます。国内外から多くの訪問客が絶えない南伊のアマルフィ海岸がその代表例です。農業が実現する豊かな社会の形でもあります。

 ――北米型の農業や食品に対する意識との対比も興味深いですね。

 ◆移民によって成り立っている米国では、例えば、欧州から彼らが一緒に持ってきたチーズの生産技術や名前をそのまま使い続けることにも違和感を持ちません。「どこで作っても、チーズは同じ」という意識なので、テリトーリオに根ざした農業という考え方は生まれにくい。また、独立意識の強い農家や市場主義を重視する企業にはコモンズの精神は育ちにくい。そこでは、「私有」と「所有」による利潤の拡大が目標になります。生産主体の大型化が進みます。

 ――それゆえ、グローバリズムや、大量生産・大量消費型のシステムとは合致するわけですね。

 ◆一方で、先に説明した農業の二重構造の基層の部分がなく、経済価値と非経済価値とのバランスを欠いています。地域や消費者とのコミュニティーを維持しようとするようなインセンティブは働きません。生産と消費の分断があり、テリトーリオから得られる多様性を欠いているので、どれも似たりよったりの特徴のないチーズしか作られないということにもなります。効率的に利潤を追求しているように見えて、実は非効率なのかもしれません。

 ――日本の農村再生のヒントになる?

 ◆地方の方に呼んでいただいて、講演することも多いのですが、皆さん、「我が意を得たり」という表情で聞いてくださいます。方向は一致していると思います。

 違いを挙げるならば、イタリアの場合は、所与としてテリトーリオが存在しているのに対し、日本では新たにつくり出していく必要があるということでしょうか。土地の利用に関して言えば、日本では高度成長期における開発圧力が強かったこともあり、イタリアのような農村空間の合理的な利用ができなかった。壊したものや、忘れていた地域資源を呼び起こす、と言い換えてもいい。

 米国型グローバリズム一辺倒のフードシステムは、日本には相いれません。脱却すべきでしょう。広大な農地を有する北米大陸とは条件が違う。経済価値と非経済価値のバランスをとり、零細や小規模の生産者が「食料主権」を取り戻すにはどうすればよいかを考える必要があります。

 ――具体的には?

 ◆産品の高付加価値化(深化)と、事業の拡張を目指すべきであることはイタリアと同じです。ただ、イタリアでは1次産業の農家自身に力があり、2次産業(加工)から3次産業(流通)まで自分で手がける事例が多いのですが、日本の農家にはその余力がない場合もあるようです。カギを握るのは食品加工会社のような地域の2次産業と、3次産業です。テリトーリオの意識を共有する「同志」として、1次産業の生産現場に入り込んで、生産者の自律を支援するような形をつくりたい。

 ここでは、鹿児島県鹿屋市の大隅産ウナギのブランド化のお話をしましょう。1次産業の生産者、2次産業の養鰻(ようまん)組合、3次産業の日本生活協同組合の協働です。養鰻組合は生産者のためになるべく多くウナギの池上げができるように努めるのと同時に、「いつ、どこで、だれによって作られたのか」を追跡可能にするトレーサビリティーを、生産者との協力で確立しました。生協は、このトレーサビリティーを強みとした販売努力で消費拡大につなぎ、生産者を支えています。需給調整につながるフード・バリューチェーンが築かれました。

 こうしたケースは酪農と中小乳業会社との関係でもみられます。高知県のある乳業会社は、必ずしも利益が大きいとはいえない地域の学校給食用牛乳供給事業(学乳)を維持し、その過程の中で青汁のヒット商品を開発。その利益で学乳を支えています。「地域の持続可能性が、我が社の持続可能性」というテリトーリオに根付いた企業理念があります。実現する価値を「食育」に広げ、生産者だけでなく地域の自律性をも回復していこうという意思が伝わります。

 ――イタリアとは違い、日本では活動のプロセスの中でテリトーリオの意識を獲得していく必要がある、とも言われました。

 ◆日本では人と人との結びつきがより強いように思いますし、これは強みでしょう。イタリアでは、ワインを造るブドウ農家は、容器のアンフォラ一つとっても納得いくまで自分で探し、人任せにはしません。人同士がぶつかりあうことも普通にあります。一方、日本には、地域のインフォーマルな関係を活用するという文化があるようです。信頼関係が基底にあり、これは「支えつつ、支えられる」という互酬関係で成り立っていた日本の農村秩序に起因するのかもしれません。こうした関係性で、テリトーリオをつくりあげていくことです。先にお話しした「忘れていた地域資源」とは、このことを指します。

 きむら・じゅんこ 大阪府出身。神戸女学院大文学部卒。米ニューヨーク州立大修士課程修了。神戸大経営学研究科博士後期課程修了。博士(商学)。伊ベネチア大学客員教授などを歴任。農林水産省・GI保護に関する学識経験者の総合検討委員、財務省・国税審議会酒類分科会委員など。編著書に「南イタリアの食とテリトーリオ」「イタリアのテリトーリオ戦略」(いずれも白桃書房)、「持続可能な酪農」(中央法規出版)など。

 2024年(第52回)毎日農業記録賞の作文を募集しています。9月4日締め切り。詳細はホームページ(https://www.mainichi.co.jp/event/aw/mainou/guide.html)。