オーバーツーリズムのリスクと対策

 新型コロナウイルス感染拡大による規制が緩和された2023年以降、訪日観光客は順調な回復を見せている。

 日本政府観光局の「訪日外客統計」によると、2023年12月には273万4000人、2024年1月は268万8100人、2月は278万8000人と推移し、2023年12月には2019年度比で8.2%増のプラスに転じ、2024年2月も7.1%増となった。インバウンド(訪日外国人)需要の活発化とともに、再びオーバーツーリズム(観光公害)に対する対策が求められる状況になっている。

 京都が特に有名だろう。フリージャーナリストの高田泰氏が当媒体に書いた「「もう我慢の限界」 春の京都“観光公害”で地元民うんざり、迷惑行為に「ここはテーマパークじゃない」の声 もはや規制手段しかないのか」(2024年4月10日配信)を読んでもわかるとおり、現地は

「我慢の限界」

なのである。日本の他の都市が“京都化”する前に、私たちは将来について真剣に考えなければならない。

 オーバーツーリズムとは、2010年代後半から世界で使われ始めた造語で、今や観光を語る上で広く使われている言葉だ。急激な観光客の量的増加にともない、観光地の受容限度を超える観光客が押し寄せることを指す。言葉の定義は研究者によって差異があるものの、観光客に起因する街と公共交通機関の混雑や交通渋滞、ゴミ騒音などにより、地域住民が被害に遭っている状況を意味する言葉として使われている。

 オーバーツーリズムを防ぐもっとも単純な方法は

「観光客を抑制する」

ことである。しかし、観光によって産業が成立している地域で観光客を削減することは容易ではない。

 九州国際大学の崔錦珍(チェ・クムジン)氏は、論文「オーバーツーリズムの発生と持続可能な観光発展の課題」(『九州国際大学国際・経済論集』5号)のなかで、オーバーツーリズムがもたらすさまざまな問題について、複数の事例を取り上げながら詳細に分析している。

 スペインのバルセロナは、1992年のオリンピック開催を機に観光振興に力を入れた結果、2007年には宿泊観光客数が1992年の3.5倍に当たる1400万人に達した。しかし、居住人口の20倍を超える観光客の急増は、

・市内の混雑
・騒音
・ゴミ問題
・物価上昇
・都心部の居住環境悪化
・モラルの低下
・不動産価格の高騰

など、さまざまな弊害をもたらした。

 これに対し、市民の間では観光客排斥を訴えるビラまきやデモが起こるようになり、市当局は2015年からオーバーツーリズム対策に乗り出すことになった。対策として、バルセロナでは市中心部での

・観光関連施設の新規開設禁止
・ホテル建設の中止
・超過観光税の導入

などの措置が行われた。

 この措置を解説した上で、崔氏はバルセロナのでは観光収入が国内総生産(GDP)の14%、スペイン全体では12%を占め、バルセロナだけでも

「12万人の雇用」

を生み出していることにも触れている。つまり、観光客の減少が地域経済に影響を与える可能性があるのだ。

ボラカイ島(画像:OpenStreetMap)

困難すぎる課題解決

 もうひとつ崔氏が取り上げているフィリピン中部のボラカイ島での事例は、オーバーツーリズム対策が経済に深刻な影響を及ぼした典型例である。

 この島では、2012年に世界的な旅行雑誌で「世界最高の観光地」に選ばれたことがきっかけとなり観光客が殺到した。2017年には観光客数が200万人に達し、島の観光収入は

「560億ペソ(約1120億円)」

に上った。一方で海や砂浜の汚染が深刻化し、観光地としての魅力は失われていった。このため、2018年4月、ドゥテルテ大統領は環境保護のため、最大6か月間の観光客立ち入り禁止を決定した。

 しかし、観光に依存していた島の経済は大打撃を受け、3万6000人が職を失い、経済損失は200億ペソ(約400億円)に上ると推定された。政府は失業者支援に2900億ペソ(約580億円)の予算を投じ、5000人分の雇用を確保した。6か月後に観光客の受け入れは再開されたが、1日当たりの観光客数は大幅に制限されることになった。

 崔氏は、これらの事例を通じて、

・オーバーツーリズム対策
・経済活動

のバランスを取ることの難しさを浮き彫りにしている。これは多くの観光地に共通する課題であり、簡単な解決策はないというわけだ。こうした事例を示した上で、崔氏はオーバーツーリズムの普遍的な対策として

・分散
・課金
・規制

の三つがあることを提示する。しかし、それらには、以下のような問題があるとする。

「しかし、以上のような対応である程度の効果は挙げていても解決が難しい問題点も多数残る。分散の場合、季節限定の見ごろや雨季、時間分散による住民生活へのダメージ等の問題があるし、課金の場合は、料金に見合ったサービスの提供問題や観光客ではない一般の参加者に対する無差別的な課税などは観光地としての名声を毀損する恐れがある。規制方法の場合も禁止や制約、義務を直接課するため観光客に悪いイメージを抱かせ、悪い評判につながる恐れもあると指摘されている」

 確かに、これらの対策はオーバーツーリズムの抑制に一定の効果が期待できるものの、新たな問題を引き起こす可能性もはらんでいる。分散策では、住民生活への影響が懸念され、課金策では観光客の不満を招きかねない。規制策に至っては、観光地のイメージダウンにつながりかねない。まさに、崔氏が指摘するように、オーバーツーリズム対策は

「もろ刃の剣」

なのだ。

湯布院町(画像:写真AC)

湯布院の成功事例

 では、オーバーツーリズムの効果的な対策とはなんだろうか。

 日本国内でオーバーツーリズムの抑制に成功した事例としては、大分県の温泉地・湯布院が挙げられる。湯布院は地域人口に対して観光客が非常に多い観光地だ。旧湯布院町(現由布市湯布院町)の人口約1万人に対し、観光客数は年間約380万人で推移している。ほぼ毎日、地元住民と同数の観光客が訪れている計算だ。

 そんな湯布院の街づくりの基本は、常に地元主導で行われてきた。

 湯布院では、1990(平成2)年9月に早くも開発を抑制する「潤いのある町づくり条例」が制定されている。同条例では、大規模な開発事業について、都市計画区域内外にわたり、高さ、空地率、緑地率等の基準を定めるとともに、近隣関係者や関係自治区の理解の確保、市への事前協議、審議会諮問、勧告等の手続きが定められ、一定の調整機能を果たすこととなった。しかし、魅力的な観光地であった湯布院は、山腹への開発が進み、ホテルや旅館が止めどなく増え、新たな問題となった。

 そうした状況を踏まえ、2009年3月に策定された「由布市景観マスタープラン」において、自然環境の保全と大規模施設の開発抑制の方針が示された。湯布院地域北部の山腹や山すそについては、必要に応じて森林の伐採や建築物の高さ、色彩などについての基準を定められた。さらに同じ2009年には「由布市景観マスタープラン」も策定され、旅館やホテルの増加による大規模開発を抑制し、眺望が阻害されることによる魅力の低下も防いでいる。

 このほかにも、湯布院では、法的に拘束力のないものも含めて開発や建物の色彩など多岐にわたるルールが定められてきた。例えば、2000年には旧湯布院町と地域住民の協議会において、「ゆふいん建築・環境デザインガイドブック」が作成された。さらに、2008年10月には、湯布院地域の目抜き通りとなった湯の坪街道周辺地区において景観計画が施行され、建築物の高さ、色彩等が定められたほか、景観協定として、陳列、照明等に関する商い協定や、看板協定等が制定されている。

由布岳登山・由布岳山頂から望む湯布院方面(画像:写真AC)

持続的な発展への取り組み

 また、2017年4月には「由布市中小企業振興基本条例」が制定されている。

 この条例では、中小企業団体が作成した地域経済の持続的な発展等を推進するための地域計画が、市の総合計画の基本理念に沿っているときは、当該地域計画を認定できるとした。その上で、認定された計画の対象地域に事務所等を有する事業者は、計画を尊重して事業活動を行うこととされた。

 さらに、2018年には外部の事業者が増加し、目指すべき方向性が共有できていないことを踏まえて、新たに「新・由布院温泉観光基本計画」が制定されている。ここでは、今後の方向性として、環境の変化を踏まえ受け入れ体制を強化するとともに、目指すべき方向性を確認し地域で共有すること、持続的発展のために地域のルールを再構築すること等が挙げられており、「由布院観光の理念」として、次の3項目が掲げられている。

・由布院の観光を支える大きな柱は『自然』であり、『環境』『景観』が最大の観光資源
・程よい大きさの由布院盆地の中で、生活のスケールに合った心地よさと生活を豊かにする小味で多様な魅力が安らぎの空間と個性あるまちを創る
・1人ひとりの顔が見える交流が、生活を豊かにし、魅力あるものが創造されていく

さらに、この理念を将来にわたって継承するため、基本計画では開発規模について次のような考え方を示している。

・宿泊施設や物販・飲食施設といった観光関連施設の開発規模については、周辺店舗や地域全体に溶け込めるよう延床面積3000平方メートル以下を基本とする
・宿泊施設については由布院観光の持続可能性を考慮し、15室程度(最大で30室程度)とすることを基本とする

由布院駅(画像:写真AC)

地域主導の有効性

 この「新・由布院温泉観光基本計画」は、湯布院における観光開発の規模や方向性を明確に示したものであり、地域の特性を生かした持続可能な観光地づくりを目指す上で重要な指針となっている。

 計画では、自然環境や景観の保全を最優先とし、地域の生活スケールに合った適度な規模の開発を基本とすることが強調されている。また、観光関連施設の延床面積や宿泊施設の客室数に具体的な上限を設けることで、大規模な開発を抑制し、地域の環境容量に見合った観光地づくりを進める方針が明確に打ち出されている。

 特筆すべきは、この計画が湯布院温泉観光協会など、地域住民主導で策定されたことである。外部の事業者が増加し、湯布院の目指す観光地像が揺らぎつつあるなかで、地域住民自らが危機感を抱き、自分たちの手で観光まちづくりの方向性を定めたのだ。この地域主導のアプローチこそが、湯布院の観光まちづくりの根幹をなすものといえる。この計画の策定により、湯布院では地域主導の観光まちづくりに向けた体制がさらに強化されたといえる。

 日本交通公社観光研究部主任研究員の後藤健太郎氏は、地域が主導して開発や人流を抑制し、観光地の魅力を保護してきた動きを、こう評している。

「今後もさまざまな問題、想定の範囲を超える問題が発生する可能性があるが、まずは由布院のように、地域住民自らが主体性を持って、地域内外に意志を明示し、生活と観光のバランスも意識しながら、地域を創り管理していくことが重要だろう。今ある由布院の姿は、自然に生まれた姿ではなく、長年地域がまちづくりを行ってきた結果なのである」(『観光文化』240号)

 後藤氏の指摘は、オーバーツーリズム対策における地域主導の重要性を見事に示している。観光客の急増がもたらすさまざまな問題に直面したとき、受け身ではなく、住民自らが主体的に行動することが求められる。地域の将来像を描き、観光客を受け入れるための方針を打ち出し、具体的な対策を講じていく。こうした地域住民の積極的な取り組みこそが、持続可能な観光地づくりのカギとなるのだ。湯布院のケースは、オーバーツーリズム対策に

「地域主導のアプローチ」

が有効であることを示す好例である。

湯布院町(画像:写真AC)

観光地化“拒否”という別手段

 さて、これから先のインバウンド需要の増加で危惧されるオーバーツーリズムに対して、観光庁では2023年10月に「オーバーツーリズムの未然防止・抑制に向けた対策パッケージ」を決定しモデル地区の選定を実施している。3月に選定されたのは「先駆モデル地域型」20地域および「一般型」51件である。

 この対策パッケージは次のように定義されている。

「観光客の受け入れと住民の生活の質の確保を両立しつつ、持続可能な観光地域づくりを実現するためには、地域自身があるべき姿を描いて、地域の実情に応じた具体策を講じることが有効であり、国としてこうした取組に対し総合的な支援を行う」

 この施策は、具体的には次のような対策に関して、住民を含めた地域の関係者による協議の場の設置、協議に基づく計画策定や取り組みに対して包括的な支援を実施するというものだ。

・エコツーリズム推進法や自然公園法に基づく入域規制やガイド同伴の義務化(沖縄・西表島等)
・混雑状況を考慮した空いている観光ルート等の提案による誘導(本年度、箱根・秩父エリアで実証等)
・看板・デジタルサイネージ等の設置支援、多言語での情報提供(京都市・美瑛町等)

現在、観光庁の対策パッケージに選ばれた地域の取り組みを見ると、増加する観光客をいかに受け入れ、地域社会と調和させるかに主眼が置かれているように見える。これは、観光客の満足度を維持しつつ、地域の生活環境を保全することを目的とした取り組みといえる。

 これからのオーバーツーリズム対策において重要なことは、

・地域住民が主体となって
・自分たちの地域をどのような場所にしたいのかを議論し
・合意形成していく

ことである。観光客の増加は地域の発展につながるのか、それとも地域の価値を損なうのか。短期的な経済効果と長期的な持続可能性のバランスをどうとるのか。こうした点について、地域の様々なステークホルダー(利害関係者)が率直に意見を交換し、共通の方向性を共有することが重要である。

 全ての土地が観光地になる必要はない。過度な観光客の流入が地域環境や地域住民の生活を脅かすのであれば、観光地としての開発を見送るという選択肢もある。オーバーツーリズムへの対策として、あえて

「観光地化を拒否する」

道を選ぶことも、地域によっては許容されるのかもしれない。