宝福寺(総社市井尻野)の禅堂保存修理現場が5月25日・26日、一般公開される。(岡山経済新聞)

 桔木を止める金具に鎌を使っている様子

 宝福寺は臨済宗東福寺派の寺院で、雪舟が幼少時代に涙でネズミの絵を描いたという逸話が伝わる。山門・仏殿・法堂・庫裏・禅堂・浴室・東司の7つの建物を配する七堂伽藍(がらん)の様式として1232年に鈍庵和尚が建立した。戦国時代の1575年に備中兵乱で三重塔以外のほとんどの建物が焼失し、再建築された時期は定かではない。

 禅堂は、かつては同時に30人の修行僧が寝食を共にしながら座禅できる集団生活の場だった。現在は一般開放し、企業や団体など予約制の座禅体験などを開いている。解体調査を進めるに当たり、垂木を支える部材の「母屋(もや)」に江戸時代に使われていた角釘(くぎ)の跡があるが、多くの部分は丸釘が打たれていることがわかった。1814年の日付が書かれた棟札と1906(明治39)年の日付が書かれた札があり、現在の建物は一部の部材を除いて明治時代に再建された可能性が高い。

 近年、老朽化で数カ所の雨漏りが発生。昨年から3年間にわたり、屋根のふき替え修理を行うことになった。国登録有形文化財に指定されている同建物は、昨年は、修理前の屋根と屋根瓦を外した2回の見学会を行った。瓦の解体調査では、北面の鬼瓦に「備中都窪郡常磐村大字三輪 中村久三郎」の文字があり、現在はこれが記された1906年に再建されたと推測されている。南面の鬼瓦には「明和三年(1766年) 井手村 小倉」の文字があり、別の建物で使われていた鬼瓦を転用したと考えられている。

 今回の一般公開では、寺院などでしか見ることのできない長い軒をてこの原理で上から引き上げる「桔木(はねぎ)」が見られるほか、桔木を止める金物に草を刈る鎌を代用している様子など、工事を担当する新東住建工業の説明と併せて見学することができる。

 小鍛治一圭(こかじいっけい)住職は「解体調査をとおして、時代や寺の歴史が見えてくる。瓦を取ってみると、比較的安かったであろうトガの木が使われていた。一部残っていた古い部材は杉の木を使っていることから、明治期はおそらく財政難だったことが分かる。今回載せる瓦には寄付者の名前を書いてもらう。100年後、屋根の修理時に寄付者の名前を目にすることになる。文化財を守るというだけでなく、未来へつなげる行為として寄付をお願いできれば」と呼びかける。

 開催時間は、10時〜12時、13時〜15時。見学会では、新設する約2000枚の瓦の寄付を募る。寄付者は当日、瓦に自身の名前を書くことができる。