南伊豆町災害ボランティアコーディネートの会が6月22日、「伊豆半島沖地震から50年、その記憶と今後の防災を考える」をテーマにした防災講座「The 防災in南伊豆」を南伊豆町役場湯けむりホールで開いた。(伊豆下田経済新聞)

 能登半島地震で緊急消防救助隊として派遣された下田消防署の正木紀行さん

 同講座には町内から約100人が参加。伊豆半島沖地震の被災者の体験談と、能登半島地震の被災地で救援活動を行った下田消防署員の話を聞いた後、防災用品の使い方などの説明を受け、災害への備えについて考えた。

 同講座では、50年前の1974(昭和49)年5月9日に起きた伊豆半島沖地震で父親と2歳の長男を亡くしながらも、消防団員として救助や消火活動を行った萩原作之さんが被災体験を語った。中木地区の城畑山が崩れて土砂が集落を襲った状況を説明し「空からマーガレット畑が降ってきたようだった。ぼうぜんとしながらも同僚の消防団員と2人で『助かる命があるかもしれない』と思い、必死に叫びながら土砂の上を歩いて捜索を続けた」と振り返った。

 次に、今年1月の能登半島地震の発生直後に緊急消防救助隊として石川県珠洲市に派遣された下田消防署の正木紀行さんが、救助活動や被災地の状況を説明。正木さんは「最も苦労したのは道路事情。道のあちこちに亀裂があり、マンホールが飛び出し、倒壊した建物が道を塞いでメイン道路を走れなかった。情報がない中、自分たちで迂回(うかい)を繰り返しながら1月1日に出発して、4日にようやく珠洲市に入れた」と話し、「能登半島と伊豆半島は地形や道路事情が似ている。伊豆半島で同規模の地震が起きれば天城峠や伊豆縦貫道でも同じことが容易に想像できる。道路整備が簡単にはできない中、できる限り自助、共助を高めてほしい」と訴えた。

 来場者からは能登半島地震による建物の倒壊状況に関する質問や、町内の古い家屋の耐震化が進まない現状に行政の支援を求める声も上がった。

 講演後、同会メンバーが災害発生時の断水、停電を想定して折り畳み式のウオータータンクや簡易トイレなどの防災用品の使い方を実演を交えて紹介した。

 同会代表の清水和子さんは「町内6カ所の避難所には簡易ベッドや段ボールの間仕切りなどの備品はあるが、今後起こりうる災害に備えて各自が最低3日分の水と食糧を準備しておくことが必要」と参加者に呼びかけた。