岸田文雄・首相は支持率低迷のなか、1人4万円の定額減税のアピールに躍起だ。今月からは企業の給与明細に減税額の明記を義務化した。しかし、その裏では国民にとって大きな負担増につながりかねない議論が進められている。総理大臣が議長を務め、その諮問に応じて内閣の基本方針(骨太の方針)などを議論する「経済財政諮問会議」(5月23日)において、高齢者の定義を現在の「65歳以上」から「70歳以上」に引き上げる提案が行なわれたのだ。実際に引き上げられれば、国民生活に甚大な影響が出る可能性がある。

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 今回の提案は、同会議の民間人議員全員(十倉雅和・経団連会長、新浪剛史・経済同友会代表幹事、中空麻奈・BNPパリパ証券グローバルマーケット統括本部副会長、柳川範之・東大大学院教授)が連名で提出した資料のなか含まれるもので、「高齢者の健康寿命が延びる中で、高齢者の定義を5歳延ばすことを検討すべき」と述べられている。

経済財政諮問会議では「75歳以上」への引き上げにも言及

 5月23日の会議では、提出者の1人である中空氏がさらに、〈(同会議の資料に)生涯活躍を進める上で、高齢者の定義を5歳上げると記載しているが、思いきって10歳上げて、生産年齢人口と捉え直すのも1つの手だと思う〉(議事要旨より)と述べ、高齢者の定義を「75歳以上」に引き上げる可能性にまで踏み込んだ。

 基本的には人手不足のなかで全世代にリスキリングが必要、という文脈のなかで出ている話だが、高齢者の定義の引き上げとなれば、年金受給開始年齢をはじめ様々な社会保障制度に影響する可能性がある。

 しかも、今回たまたま民間人議員が言い出したという話ではなく、政府はこれまでも、内閣府による国民意識調査の結果などを持ち出しては、高齢社会白書で〈高齢者を65歳より高い年齢とするとらえ方が幅広く支持されており〉と書くなどしてきた。

 年金財政の逼迫、社会保障費の膨張を考えれば、政府は「高齢者の定義」の見直しを虎視眈々と狙ってきたとみていい。では、「高齢者の定義」が70歳以上、あるいは中空氏の言うように「75歳以上」になると、高齢者の給付や負担はどう変わるのか。

年金給付は「70歳以上」なら夫婦で1380万円減、「75歳以上」なら同2760万円減

 ベテラン社労士が解説する。

「現行制度では年金は原則として『65歳受給開始』となっています。モデル世帯の年金額は月額約23万円(令和6年度)という水準です。平均的な収入で40年勤めた会社員と専業主婦の2人というのがモデル世帯の想定で、元会社員の厚生年金が月額約16.2万円、妻の国民年金が月額約6.8万円という設定です。

 これが仮に『70歳受給開始』になると、5年分がまるまる受け取れなくなるので、夫婦で約1380万円の“年金損失”になる。元会社員の単身世帯だとしても、約972万円の年金給付が消失することになります。すでに企業に対しては、希望する社員に70歳までの雇用を提供することが“努力義務”になっていますが、長く働かせて年金の支給総額を減らしたい、という政府の意図は鮮明に感じられます」

 いきなりは考えにくいが、仮に「75歳受給開始」になれば、夫婦で失う年金額は前述の数字の2倍にあたる約2760万円になるのだ。

国民年金保険料「70歳まで支払い」なら夫婦で約408万円負担増

 しかも、年金受給開始の年齢が引き上げられるなら、年金保険料を支払う期間も延びると考えるのが自然だ。前出・ベテラン社労士が言う。

「今年は5年に一度の公的年金の財政検証があり、その内容を踏まえた年金制度改正が来年に迫っています。ここまでの議論のなかですでに、国民年金保険料を支払う加入期間を40年(20歳以上60歳未満)から、45年(20歳以上65歳未満)に延長する案が出ています。保険料は月額1万6980円(令和6年度)なので、加入期間の5年延長で支払う保険料は約102万円増える。これが『高齢者は70歳以上』となって加入期間が10年延長(20歳以上70歳未満の50年)という話になると、1人あたり約204万円、夫婦で約408万円の負担増になります」

 夫が60歳まで40年間会社勤めをしてリタイアするモデル世帯の夫婦を考えると、支給減の1380万円と負担増の408万円を合わせて、1800万円近い老後資産が失われることになる。「国民年金保険料を長く払う場合、国民年金の給付は増えますが、10年延長で年20万円程度の増額といった水準にとどまる」(前出・ベテラン社労士)ので、負担増のインパクトのほうが大きい。

 岸田文雄・首相は「増税メガネ」などと揶揄されてきたイメージを払拭するために、1人4万円の定額減税を印象づけることに躍起となっているが、「高齢者の定義」の見直しは今回の減税が“焼け石に水”となるレベルでの負担増につながりかねない。政府がどのように議論を進めていくのか、注視していく必要がある。