石川県小松市の酒蔵が2日に開放され、訪れた人たちが酒蔵の見学や新酒を買い求めていました。今年は能登半島地震で被災した輪島市の酒蔵も参加していて、再起と酒造りのはざまで揺れ動く被災地の杜氏の複雑な思いに迫りました。

小松市の酒蔵「オープンしまーす」

東酒造(石川・小松市)

小松市の東酒造で始まった酒蔵開放。地域の住民だけでなく、日本酒ファンへの感謝を込めて、施設を開放するイベントですがことしは、能登半島地震で被災した輪島市の中島酒造店も参加しています。

試飲として酒をふるまう中島さん

試飲した客「後味はサッってかんじ。」
客「やばい…」

蔵では中島酒造店の蔵元杜氏・中島遼太郎さんが、発売前の純米大吟醸を振る舞っていました。

客に説明する中島さん「僕はほんとに運よく東さんと出会わせていただいて、自分の所から助けられたお米をすべて受け入れてくれたので…」

中島遼太郎さん

訪れた人の注目を集めていたのが3月に完成した新酒「能登末廣(すえひろ)」。倒壊した蔵から掘り出された酒米を使い、東酒造の施設を借りながら杜氏自ら手掛けた品です。

そして、酒を買ってくれた客に粗品として用意されたお猪口は、ある思いを抱きながら輪島から運び込んだ品でした。

被災した蔵から持ち出した“おちょこ”

酒造りが落ち着いた3月の輪島市。帰郷した中島さんの姿がありました。

中島さん「おつかれさまです」
ボランティア「おかえりなさい」

留守を預かるボランティアと言葉を交わす中島さん

酒造りで不在にしていた間、わずかに残った建物で留守を預かっていたのは、ボランティアの人たち。倒壊した蔵から酒米を掘り出してもらったご縁です。

新酒に感激した様子のボランティア

新酒を受け取ったボランティアが「これも掘った米でしょ?」と尋ねると、中島さんが「そうです!」と力強く返答します。

しかし、地震で酒蔵が崩れたいま、倉庫に残るのは、被害を免れたわずかな酒と、製造元が輪島市と印刷され使えなくなった梱包用の箱でした。

中島さん「(時は)経ちましたけど、何も変わっていないですよ。何なら、これ全部使える物だったのが、一部でも使えるものを掘り出している、この状態がすごい虚しいですよ。お金をかけたけど使えないという」

倉庫で使えるものを探す中島さん

そんな中で見つかったのが能登末廣と書かれたお猪口。酒蔵再建の資金を集めるために販売するか無料で配るのかで迷っていました。

中島さん「もともと、僕の所のお酒は相当好きでないとわざわざ調べないところにあった酒蔵なので…。能登が被災したからどうのこうのじゃなくて…(買って)応援してくれるのはありがたいんですけど…できるだけこういう蔵があるよと言うのがわかってもらえたらいいなと思いますね。すごく長いスパンで、見てくれている人に対して、ちょっとしたお礼の気持ち、みたいな感じで、そういうのに使えたらなと」

倉庫で見つかったお猪口

蔵の復興について多くを語ろうとしない中島さん。その背景には奥能登がこれまで抱えてきた複雑な事情がありました。

道路には未だ“がれき”…地元出身の杜氏が語る“背景”

酒蔵の近所を歩きながら、中島さんは景色が変わらない現状を語ります。

中島さん「屋根の上をみんな何て言うんですか、おじいちゃんとかも危ないところを歩いていたのを道を開けて頂いたので…」

中島酒造店がある輪島市鳳至町。未だ、がれきが道路にまであふれています。

道路にはみ出たがれき(石川県輪島市・3月)

中島さん「鳳至というこの地区が、この通りを見渡してみても空き家だらけなんですよ。もともとが。なので、持ち主がいないので(解体が進まない)。やっぱり生まれ育った場所なので帰ってきたいと思うんですよ。僕もそうですし。でも、戻ってきても仮設住宅に住まないといけない。僕らの同世代の話をすると…収入がないんですよ。こっちに帰ってくると。もともと仕事がないという田舎の特有のはありますけど…地元の人がいない」

道路にはみ出たがれき(石川県輪島市・3月)

過疎化に高齢化、そして震災。加えて、能登を離れた避難者が戻るのか。課題は山積したままです。

「もっと外部支援を」酒米を掘り出したボランティアに“感謝の酒”

中島さんが帰郷した夜。

蔵に残る輪島塗の器には、掘り出した酒米から作られた新種が注がれます。周りからは「ひゃーおいしそうー」と嬉しそうな声。この日の夜、留守を預かってくれた人たちに中島さん自ら手がけた新酒を振る舞いました。

「能登末廣」の新酒

中島さん「これが皆さんに掘り出していただいたお米のお酒です。ありがとうございました」
ボランティア「かんぱーい」「うまい!」「おいしい!」

自然と拍手が沸き起こります。

一献を味わった直後に拍手が起こる

この日は酒米を掘り出してくれた人にも味わってもらうことができました。

ボランティア「胸ポケットには今も、その時の酒米が入っていて…掘り出しながら、実現してほしいな、お酒になってほしいなと言う思いで作業させてもらいました」

中島さんがボランティアに書いたメッセージ

Q.地震があった日からまちは変わったか
ボランティア「変わってないんですよね…今は行政さんも一生懸命頑張ってくれていると思うんですけども。みなさんほんまに被災して、疲弊しているなかで、一生懸命頑張っているので、やはり、もっと外部支援を入れて、やっぱりそこに力を入れるべきやと思っていますね」

年間の生産量が1万本ほどの小さな酒蔵を襲った能登半島地震。古くから多くの人に愛される姿は被災した今も変わりません。

ボランティアと語る中島さん(左)

中島さん「酒造り自体は好きなので、辞めたくはないですね。…ある程度、みんなが知ってもらえるお酒になった時に、ここに戻せればいいな、としか考えられていないですね。今は。」

酒仕込みに励む中島さん

自分の酒を知ってもらうためにも酒造りは辞めたくないと話す中島さん。先が見えない状況が続くなか、今は小松市の酒蔵から生まれ育った輪島を思い続けます。