今となっては意外かもしれないが、創設当初のNHKマイルCは「マル外ダービー」と呼ばれていた。それもそのはず、第1回から第6回までは外国産馬が勝利。外国産馬が日本ダービーに出られないことも相まって出走馬の過半数がマル外という状況が当たり前だったのだ。そんなレースに新たな意味合いを持たせ、結果的にレースの地位を向上させたのが松田国英調教師だった。

 元競馬専門紙記者という異色のキャリアを持っていた松田国英調教師は、考え方も一風変わっていた。重きを置いたのは「後世に血を残す」こと。したがって牡馬は種牡馬にすることを最大目標とした。また、種牡馬の価値を上げるために、「1600mと2400mのGIを勝つ」ことを重視。そこで生み出されたのが、3歳春に皐月賞からではなくNHKマイルCから日本ダービーに向かう「マツクニローテ」だった。

 最初にマツクニローテを歩んだのは01年のクロフネだった。NHKマイルCを単勝1.2倍の圧倒的1番人気で勝利。しかし、外国産馬開放初年度の日本ダービーではジャングルポケットの5着に敗退する。一方、翌02年のタニノギムレットは単勝1.5倍の1番人気に推されたNHKマイルCで厩舎の連覇を狙ったが、直線でスムーズさを欠いて3着。続く日本ダービーでは悲願のGI初制覇を果たしたものの、「2冠制覇」には届かなかった。

 タニノギムレットから2年、3頭目のチャレンジャーとなったのがキングカメハメハだった。キングマンボ(Kingmambo)産駒の持込馬。毎日杯で重賞初制覇を果たすと、皐月賞を見送ってNHKマイルCに参戦した。1番人気ではあったものの、シーキングザダイヤ、メイショウボーラー、コスモサンビームとの四つ巴ムードで迎えた一戦。しかし、レースでは驚くほどの強さを見せる。タイキバカラがつくった前半600m33秒9のハイペースを手応え良く中団追走。直線で外目に進路を取ると、安藤勝己騎手の叱咤に応えて後続を突き放し、2着のコスモサンビームに5馬身差の圧勝を収めたのだ。勝ちタイムの1分32秒5はレースレコード。そして5馬身差はレース史上最大着差だった。

 キングカメハメハは続く日本ダービーも制し、史上初の「マツクニ2冠」を達成した。引退後は種牡馬となり、ロードカナロアやドゥラメンテ、アパパネやホッコータルマエなど、数々の名馬を輩出。松田国英調教師の思い描いた通り、第二の馬生でも成功を収めた。ともすれば、ディープインパクトの1強になっていたかもしれない2010年代の競馬シーン。そこへ楔を打ち込んだキングカメハメハ、そして「生みの親」ともいえる松田国英調教師の功績は、いつまでも語り継がれていくことだろう。

 ちなみに歴代NHKマイルC勝ち馬で日本ダービーに出走したのはキングカメハメハを含めて7頭いるが、“マツクニローテ”で連勝を挙げたのはキングカメハメハを除くとディープスカイのみである。