各国で宇宙開発が進み、欧州宇宙機関(ESA)でも月や火星を含む多くの天体への探査が活発化している。その中でもESAに加盟するスイスの技術はプロジェクトを支える縁の下の力持ちであり、宇宙関連企業だけでなく、大学での研究開発も宇宙機の開発につながっている。宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携も強く、今後の日本の宇宙開発を促進する上でも重要なパートナーとなる。(飯田真美子)

JAXAと太陽観測衛星で協力 水星探査では大学参画

スイスでは量子技術や人工知能(AI)など先端技術の研究が進む中、宇宙分野に関する取り組みはあまり知られていない。自国発の宇宙プロジェクトなどはないが、国際的な大型プロジェクトへ学術界を中心にESAに参画する一国として欧州や他国に技術提供するという形で携わってきた。物理学者のアルベルト・アインシュタイン博士が学んだチューリヒ工科大学をはじめとした世界ランキング上位の大学や、最新の設備・環境が整う研究機関が点在し、優秀な人材が集まるスイスならではの宇宙開発を展開している。

ベルン大の工作室。宇宙関連の部品を研究者らが自作している

主にESAのプロジェクトに関わることが多いものの、日本との連携も強く、JAXA主導のプロジェクトにも参画している。チューリヒ工科大は歴代の太陽観測衛星の開発や科学観測に20年以上携わり、次期太陽観測衛星「ソーラーC」の開発にも注力する。現在はソーラーCに載せる太陽からの紫外線(UV)を測定する装置を開発中で、2025年夏にも日本に届ける予定。同大のルイーズ・ハラ教授は「現行の太陽観測衛星よりも観測精度が7倍良くなる。ソーラーCで実際に太陽を観測するのが楽しみ」と期待する。

ベルン大の工作室で作られた宇宙部品。さまざまな宇宙ミッションに使われている

このほか、日本やESA、米航空宇宙局(NASA)などの国際プロジェクトには主にベルン大学が参画しており、国際水星探査計画「ベピコロンボ」や木星氷衛星探査計画「ジュース」、次世代金星探査機の開発に技術を提供する。具体的には搭載する装置や部品を作製し、旋盤やボールミルといった機械がそろう同大の工作室で研究者が手作業で作っている。さらに振動などの耐性を調べる試験装置も設置され、部品や装置の試作段階から宇宙空間での実用レベルまで大学内で完成できる。こうした仕組みはスイスの持つ時計の技術にルーツがあるとされる。日本と同様にモノづくりの重要性が現在にも継承されているからこそ、最先端の科学技術の一つである宇宙開発にも貢献できている。

現地企業の「職人技」で高品質 「H3」フェアリングに採用

ビヨンド・グラビティーが開発したH3ロケットのフェアリング

大学だけでなく、スイスには衛星やロケット開発に欠かせない宇宙企業がある。ビヨンド・グラビティーは日本の大型基幹ロケット「H3」や欧州の新型ロケット「アリアン6」などの先端部分であるフェアリングを開発する。H3のフェアリングは川崎重工業がメーンで作り、新型の補給船「HTV―X」専用のフェアリングはビヨンド・グラビティーが担当する。ほとんどの開発工程はロボットを中心とした流れ作業だが、先端の尖った部分などはすべて手作業で加工する。作業が自動化されている中でもより良い製品づくりには職人の技が重要となる。同社のサム・ノイザー博士は「H3のフェアリングはすでに2セットできており、いつでも搬送できる。アリアン6のフェアリングも完成済みだが、開発の遅れで倉庫に保管している」と現状を説明する。スイスの技術がHTV―Xを打ち上げ時の振動などから守り、国際宇宙ステーション(ISS)に届ける一端を担う。

ユングフラウヨッホ高地研究所のスフィンクス天文台。現在は天文台としての機能はなく、気象データの観測などの拠点になっている

工学系の開発ではなく、天文学にも貢献していた歴史がある。スイスには標高の高い山脈が多く、山頂は天体の観測に適した環境だ。ユングフラウヨッホにあるスフィンクス天文台(ユングフラウヨッホ高地研究所)は欧州で最も高い標高3572メートルに位置する天文台の一つ。口径76センチメートルの望遠鏡や太陽分光計による天体や太陽の観測・研究が行われていた。しかし、現在は天文台としての機能はなく、温室効果ガスやエアロゾルの観測をはじめとした気象学の研究施設として使われている。天文台の時代から欧州を中心に世界各国の研究者が訪れていたため、宿泊施設があり、小規模な実験室も完備されている。当時の施設を生かし、他分野の研究所として今も最新成果の創出に貢献している。

気候変動など国際連携、国が後押し

宇宙開発は通信や天気予報などのサービス提供だけでなく、気候変動の研究やデジタル化の促進、安全保障の向上といった国民の生活の質向上や科学技術の促進につながる分野だ。そのため、スイス政府も重要技術に位置付け、23年にスイス独自の宇宙政策を策定した。同政策は国際パートナーとの協力は重要であるため、スイスを拠点とするESA関連機関や将来の入札募集に向けて支援することで宇宙機に搭載されたスイス製機器の運用につながる方針を示している。スイス教育・研究・イノベーション庁(SERI)宇宙部門のデイビッド・ブラム責任者は「スイス国内外で宇宙開発に関わる研究者は増えている。政府としても同政策を通じて国際連携への支援を推し進めたい」と意気込む。

ただ各国が宇宙開発を加速させる中、今後はスイスも自国で大型の宇宙プロジェクトを立ち上げるなど自主的な動きを求められる可能性は高い。チューリヒ工科大ではスイスの宇宙開発を先導するため、同大宇宙システム専攻長に元NASAの科学担当副長官のトーマス・ツルブッヘン氏が就任した。ツルブッヘン氏は「宇宙は平等な場所であり、多くの国が宇宙開発に参加するべきだ。スイスの宇宙開発はまだ始まったばかり。これからが重要だろう」と強調する。

4月にはNASAが米主導のアルテミス計画の協定にスイスが同意したと発表。新たな風がスイスの宇宙開発の流れを変えるきっかけになるかもしれない。