【日本の99%は山手線からは見えない 第10回】
地方の金融機関で課長を務めながら作家としても活動する猫山課長(46歳)。過疎化が進む現代の地方都市に根を張り、働き、家族を養い、生きる――。それがどういうことか。地方の中年サラリーマンが、「東京人は絶対に知らない、もうひとつのニホンの姿」を綴る。

◆自分の生まれ育った町には「何もない」

「もうここには帰ってこないと思う」

長女からの意思表示を聞いたのはこの間のお正月だったが、いまだにその言葉が忘れられない。

長女は2年前に18年間住んだ家を出て、兵庫県に進学して行った。私は中部地方に住んでいるので兵庫県は隣県ではなくそれなりに遠い土地であり、縁もゆかりもない場所だ。

アパートの下見や引越しなどで何度か行ってみたが、とても住みやすい街に感じた。大阪まで電車で数分、交通機関も充実している。近くに大型ショッピングセンターもある。正直、ここに住む長女が羨ましくなった。

2年も住んでいれば、自分の生まれ育った町がいかに不便で何もないかがクリアカットに見えてくるものだ。当たり前の話だが、長女は目が覚めたような感覚になったのだろう。それは自然なことだと思う。

長女が地元に帰ってこない。そのことに異議はない。私もそれを望んでいるからだ。しかし、忸怩たる思いは残る。

我々田舎モンは、毎年子どもを都会に”攫われている”のだ。

◆田舎は「職がない」わけではない

よく「田舎には職がない」と言われる。だが、それは間違っている。

私は金融機関に勤務し、人材系の業務も担当している。よって企業の人事担当者と面談することがよくあるが、ほぼ全員が「人がいない。特に若い人」とため息混じりで吐き出している。

過疎が進む田舎において若い労働力はまさに金の卵であり、もはや垂涎の的となっている。田舎には職がない、というのは完全に時代遅れだ。田舎には社員を求める企業ばかりが溢れている。

しかし、いくら職があるからといって若者が田舎に帰ってくるわけじゃない。もちろん都市部の企業と比較したら、年収や福利厚生の面で田舎の企業は劣っており、不利であるのは間違いないが、大学で学んだ知識や経験を活かすことができる企業が少ないほうが原因として大きいと感じる。

国立大学や有名私大を卒業した人物が、一社員としてその能力を発揮できる会社が多くあるかといえば、返答に困ってしまう。もちろん活躍できることに疑いはない。しかし、大企業に勤務した場合と比べて、より大きな価値を生み出すような活躍をし、さらに成長までできるかというと、もう勝負にならなくなってしまう。やりがいの格差はいかんともし難い。

自分の子どもが大学に進学し、より高度な人材となり、その能力を遺憾なく発揮してもらいたい。どの親もそう望むが、その先にあるのは片道切符を握って都会行きの列車に乗り込む、我が子の後ろ姿なのだ。

◆有能な子どもが出て行くのは、田舎に住む者の「常識」

先日、私の地元の中でもさらに奥地にある会社に勤務する人物とあった。話を聞くと、有名私大を卒業し、海外資本の会社に勤務したのちに帰郷したという。

「え? なんで帰ってきたんですか?」

思わず、失礼な言葉が口をついて出てしまった。そんな疑問を持ったことは一度や二度ではない。地元に住む我々でさえもが、都市部の大学に進学した後はもう帰ってこないと思い込んでしまっているのだ。

長い年月をかけて土地に染み込んだ「有能な子どもたちは流出する」という思い込みは、住む者たちの常識として根付いてしまっている。子どもに片道切符を握らせることに抵抗がなくなってきている。

しかし、それで本当にいいのだろうか。

次女は現在高校2年生であり、大学進学を希望している。他の同級生の進路状況を聞いてみると

「みんな大学進学するんじゃないかな。いきなり就職する子は少ないと思う」

との返事が返ってきた。

これはおそらく次女の感覚的な発言ではあるが、間接的に「田舎を出て都会に行くのは当たり前である」との認識が同級生の中にあることを感じさせる。

田舎を捨てて都会に行く。それは当然であると大人たちも思っているが、見方を変えれば都会による田舎の資産の強奪にほかならない。

人間は一人では大きくなれない。庇護者がそばにいなければ生きることさえできない。通常、それは親の役目になる。

◆子育ては約20年間のカネと時間を投下する一大事業

おしめの交換から食事の準備まで、大きくなったら塾や部活の送迎、そして金銭的負担など、親は気力も体力も財力も投下して子育てを行なっている。独り立ちが19歳か22歳かの差はあるとしても、約20年の時間を投下する人生の一大事業が子育てだ。

自分の子には幸せになってもらいたい。そんな願いから、多くの学習機会を与えることになる。塾に入れれば相当なコストになるが、子の人生のためにと思い支払いを続ける。その成果として、大学進学を勝ち取ることになる。

そして、田舎の子どもはそのまま帰ってこない可能性が高い。それはもちろん親としても望ましい状態だとわかっている。

しかし、人生の多くのリソースをかけて育て上げた人材が、都会で活躍し、都会に付加価値を付与していくのは釈然としない。それでは都会は美味しいところだけを掬い上げているだけであり、そんな人材の育成の過程を担当した田舎は、何の見返りもなくただ搾取されているだけにしか見えない。完成品に近くなったら、接収されてしまう。実感としては、もはや人攫いに近い。

手塩にかけた人材は、年頃になるとさっさと都会が攫っていってしまう。地元に残るのは、比較的コストをかけなかった、都会が欲しがらない人材だけなのだとしたら、田舎が「創生」するなど夢のまた夢だ。

◆低収入でなんとか教育を受けさせた子が攫われていく

これらは、何も私が住む僻地の田舎の話だけではない。「住民基本台帳人口移動報告」によると、2022年の調査において19〜30歳が転入超過となっている都道府県はわずか7都府県(東京、神奈川、大阪、埼玉、千葉、福岡、愛知)で、それ以外は全て転出超過となっている。なかでも東京都が圧倒的に1位(7万5651人)であり、2位の神奈川県(1万5108人)に大差をつけている。

大都市圏でない限り、土地が育んだ有能な人材は攫われていくことになる。わかりやすい田舎だけではなく、中途半端な地方都市でも状況は同じなのだ。

大都市は人攫いだ。特に東京はその”親玉”と言っていい。

田舎の民が、低い所得でなんとか教育を詰め込み、地域の支援も受けたうえで、やっと有能な人物に仕上がってきたと思ったら、あっさりと東京に攫われていく。

もちろん、攫われていくという表現は間違っている。子ども、そして親もそれを望んでいる場合がほとんどなのだから。

しかし、東京のもはや暴力的と言える転入超過数をみると、つい「人攫い!」と叫びたくもなる。

「その代わり東京都は交付金をもらってないだろうが!」

都民のあなたは、そう言うかもしれない。なら、人をカネで買う人身売買を認めたことになる。それは人攫いより少しマシな程度だ。

この3月にも多くの子どもたちが希望に胸を膨らませて攫われていく。田舎モンは、それをマヌケに見送っている。ツケは、徐々に積み重なっていく。



【猫山課長】
金融機関勤務の現役課長、46歳。本業に勤しみながら「半径5mの見え方を変えるnote作家」として執筆活動を行い、SNSで人気に。所属先金融機関では社員初の副業許可をとりつけ、不動産投資の会社も経営している。noteの投稿以外に音声プラットフォーム「voicy」でも配信を開始。初著書『銀行マンの凄すぎる掟 ―クソ環境サバイバル術』が発売中。Xアカウント (@nekoyamamanager)