鉄道ファンの中には、撮り鉄や乗り鉄、音鉄、模型鉄などいろんなタイプがいるが、廃止間近の駅や路線、引退が発表された車両を最後に一目見ようと訪れる“葬式鉄”と呼ばれる人たちもいる。
 筆者は鉄道ライターではなく、あくまで個人的な趣味でまわっているのだが、分類するなら乗り鉄。ただし、同時に変わった駅や田舎の秘境駅も好きな駅鉄で、さらに廃止間近の駅に足を運ぶ葬式鉄でもある。

 3月末には根室本線の富良野―新得間の81.7㎞の廃止に伴い、同区間にある7駅が営業終了となる。そこで休暇を利用して各駅を巡ってみることにした。

◆一部区間は16年の台風で不通のまま。以降は代行バスに

 ちなみにこの区間は、2016年8月の台風10号の影響により東鹿越―新得間が土砂流入や斜面崩壊などで不通となり、代行バスとなったまま。もともと利用客の少ない区間で、復旧されることなく昨年3月30日にJR北海道と沿線の4市町村の間で廃止・バス転換することが正式決定している。

 廃止は時間の問題とされていたため、それ自体に驚きはないが筆者にとっては小学校3年生の時、当時釧路に住んでいた叔父に会うために祖母と乗った思い出の路線。沿線の景色や雰囲気が好きで、大人になってからもたびたび沿線を訪れている(※参考記事『鉄道不通区間の[代行バス]に乗ってみた。日本最長116㎞の代行バス路線も』)。

 ただし、富良野―東鹿越間は上下線合わせて1日9本。東鹿越―新得の代行バスは4往復と極端に少なく、1日で沿線各駅を回るのは難しい。そこで数回に分けてそれぞれの駅を訪れることに。

◆布部駅

 富良野駅の隣にある廃止区間最初の「布部駅」(富良野市)。ここはドラマ『北の国から』の第1話の冒頭で、五郎と純、蛍の3人が降り立った駅。ファンの間では聖地として有名だ。駅前の大きな木の下には《北の国 此処から始まる》と書かれた脚本家・倉本聰氏直筆の木製の記念碑がある。

 週末だったせいか鉄道ファンだけでなく観光客の姿も。すでに夕方だったが筆者の滞在中にもひっきりなしに訪れては写真を撮ったり、待合室にあった同駅でのロケ当時のスチール写真を興味深そうに眺めていた。

 観光資源として活用できそうな気はするが維持費などの問題もあるらしい。富良野市の議会でも議論されているが駅廃止後の保存ついでは現時点では未定。個人的に好きな作品だったので何かしらの形で残してほしいところだが……。

◆山部駅

 布部駅を出ると、7分ほどで山部駅(富良野市)に到着。富良野盆地の南端に位置し、無人駅ながら周辺にはスーパーやコンビニ、複数の飲食店などがある。富良野にはオムレツにカレーをかけた『富良野オムカレー』という名物料理があり、駅の近くにこれを提供するお店があるのをネットで見つけたのだ。

 次の列車まで時間があったのでその間に食べようと店に向かうもこの日は生憎の定休日。仕方なく駅のベンチで時間を潰していたが、そこにはもう1人いかにも鉄道ファンっぽい男性が。

 休みを利用して関西から来たという30代の会社員で、「雪だらけでめっちゃ寒いし、ザ・田舎って感じですけど、それが逆にいいんですよ」とのこと。言い得て妙とはそのことで確かにその通りかもしれない。

◆下金山駅

 列車は富良野盆地を離れ、しばらくすると下金山駅(南富良野町)に。現在は単式ホーム1線のみだが国鉄時代は長編成の列車が停車していたため、ホーム自体は長い。しかも、当時は列車交換が行えるように1面2線の島式ホームになっており、これとは別に貨物用のホームも設置されていた。

 そのためか駅舎との間には少し距離があり、雪の上にはエゾジカと思われる複数の足跡が。駅周辺は集落になっているが駅の裏手には山が広がっているため、人里に下りてくることも多いのだろう。

 82年に無人駅化されたが、窓口は今もそのまま残されている。このスペースが駅待合室として使われ、広さは4畳半ほどしかないがゴミひとつ落ちておらず、清掃がかなり行き届いている様子。3人掛けの椅子に手作りの座布団が敷かれているのも地味にありがたい。

◆金山駅

 下金山駅の南約7㎞の場所にある金山駅(南富良野町)は、今回の廃止区間の中では山部駅と並んでもっとも古い1900年の開業。豪雪地帯らしくトタン屋根が大量の雪で覆われた平屋の木造駅舎は、昔ながらの北海道の田舎駅といった雰囲気だ。

 ここには冬季は線路や駅などの除雪業務を担う保線作業の基地が置かれている。隣には2階建ての事務所があり、駅舎よりもずっと大きい。駅周辺で作業員たちが除雪作業をしていたが、それでもこの冬は大雪で運休になる日も珍しくなかった。

 真冬でもこうして来ることができたのは極寒の中、作業を続ける彼らのおかげでもあり、そう考えると頭の下がる思いだ。

◆東鹿越駅

 金山駅を過ぎると、列車は大きな人造湖かなやま湖に沿って終点の東鹿越駅(南富良野町)を目指す。ちなみに真冬の時期は湖が厚い氷で覆われ、沿線の車窓の中でも見どころとなっている。

 湖畔に建つこの駅は、戦時中近くの石灰石鉱山からの運搬用に根室本線と分岐する信号場が設けられ、仮乗降場を経て1946年に正式な駅に昇格。しかし、11〜15年の1日の平均乗車人数は1人以下。当初は17年3月で廃止となる可能性もあったが、16年8月の台風で同駅から先の区間が不通となったことで列車と代行バスの発着駅という重要な存在となった。

 駅周辺には何もないため、下車する乗客は基本的に全員が代行バスに乗車。休日や平日昼間だと鉄道ファンばかりだが、この日は平日朝の始発便だったので途中にある高校に通う学生の姿も。鉄道ファンの利用しかない路線だと思い込んでいたが、地元の人にとっても貴重な足になっていたことを改めて知った。

◆幾寅駅

 代行バスは8分ほどで最初の幾度駅(南富良野町)に到着。ここは高倉健晩年の代表作『鉄道員』(99年公開)の舞台となった駅で、昔ながらの木造の駅舎には劇中で使われた“幌舞駅”の看板がそのまま残されている。

 駅構内の待合室以外の部分は「ロケーション記念展示コーナー」として撮影で実際に使用された駅事務室のセットが当時のまま保存されており、ほかにも撮影で使用された衣装や小道具、出演者たちの直筆サインなどが飾られている。

 列車が来なくなって久しいので線路は雪でまったく見えなかったが、雪が舞う中ホームに立てば気分は健さん。幾寅駅を訪れる前、久々に鉄道員を観たこともあり、テンションが上がってしまった。

◆落合駅

 そして、廃止区間でもっとも新得寄りに位置する最後の駅が落合駅(南富良野町)。この先には北海道でも有数の峠として知られる狩勝峠があり、もともとはそれを越えるために機関車が多く配置されていた根室本線の重要駅だった。

 不通になった16年以降は、ホームや跨線橋などへの立ち入りは禁止(※待合室のみ利用可)。だが、駅前からでも外観は十分に堪能できるので特に問題はなさそうだ。

 調べたところ、この駅は00年に日本でヒット曲を連発した韓国人女性歌手BoAの代表曲『メリクリ』のPV撮影に使われた場所らしい。後で映像を見たが、できれば列車が運行している頃にもう一度来たかったものだ。

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 以上の根室本線の廃止区間の7駅は、列車と代行バスが運行される31日まで訪問可能。列車だけで一度に複数の駅を訪れるのは難しいが、旭川―帯広を結ぶ都市間バスのノースライナーやふらののバス西達布線、占冠村村営バスを上手く活用することで効率よく回ることができる。

 春休みを利用して、まだ雪深い北海道のローカル線と駅に最後の別れを告げるのもいいかもしれない。

<TEXT/高島昌俊>



【高島昌俊】
フリーライター。鉄道や飛行機をはじめ、旅モノ全般に広く精通。3度の世界一周経験を持ち、これまで訪問した国は50か国以上。現在は東京と北海道で二拠点生活を送る。