世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
思春期に、あるいは若かりし頃に聴いた曲たち。その理由をうまく言葉に表すことはできないのだけど、なぜだか自分の心に響いてしまい、もはや自分のための曲なのではないかと思うような、そんな音楽があなたにもあるのではないだろうか。それはある種の衝動であり、自らを突き動かしていたその原理=理屈が理解できるのは、ある程度時間がたってからになる。
クワハリ(原作)・出内テツオ(漫画)『ふつうの軽音部』(集英社)を読んだ私は、大学時代にandymoriを何十曲もコピーしていたことを思い出したのだった。その詞が、メロディが、ライブでのメンバーの様子が、なぜかはわからないが私のためにあるように思えたのだ。いつしか聴くだけでは何かが足りなくなり、自分で演奏し歌うようになっていた。あの時間は、確かに私に必要なものだったのだ。
本書の主人公・鳩野ちひろは高校一年生。高校入学を機にギターを買い(向井秀徳も愛用していたフェンダー・テレキャスターの赤だ)、軽音部に入部する。自分の下手さにショックを受け、経験者の上手さに尻込みする。ゆえに部内でのコミュニケーションですら、自信のないままに交わされる。そもそも、クラスでの友人づくりもどこかぎこちない。しかしそれでもほとばしる音楽への情熱があり、鳩野はギターの練習を始める。
バンドを組んで練習をする。新入生ライブをどうにかやりきる。いつの間にか退部していく同級生たち。恋愛のもつれ。恋愛のもつれ。恋愛のもつれ。そう、これは「ふつうの軽音部」の物語なのだ。楽器初心者が陥るつまずき、軽音部あるあると言ってもよい部内恋愛のいざこざ……etc。軽音部経験者はもちろんのこと、未経験者にもわかる、つまり思春期特有の葛藤と格闘がここには描かれている。しかし「ふつう」と言いつつ「ふつう」ではない登場人物たちのすったもんだが、少しのほろ苦さとともに笑いを運んでくる本書は、端的に言ってとてもおもしろい。
とはいえ、ここでタイトルに付与された「ふつう」についても考察しないわけにはいかないだろう。
私たちは「ふつう」というものを意識してしまう生きものだ。特に思春期はその傾向が強く、自意識過剰により挙動不審になったり、意図せず他者を傷つける言動をしてしまったりする。そうして悩み、不安になり、いっそうコミュニケーションに難が生じてしまう、負の循環に陥ることになる。それは換言すれば、自らを「ふつう」ではないと認識し、そのズレをおそれるがゆえに生じる事態なのだ。
本書の軽音部内には、同性愛者と思われる副部長・たまきと、恋愛をしない/必要としないアロマンティック(アセクシュアル)と思われる同級生・桃もいる。桃に関しては、その「ズレ」が原因もしくは遠因となって引き起こされる不和に直面する様子が描かれもする。1巻の時点ではわかりやすい描写はないが、鳩野自身もなんらかの生きづらさを生じさせる属性を持っているのかもしれない。
つまりこれはマイノリティの物語である。と、言ってしまいたくなるのだが、きっとそれだけでは不十分だ。「ふつう」を求めるのはマジョリティも同じだし、マイノリティは「ふつう」であることを求めているのではなく「求めさせられている」のだから(マジョリティが「ふつう」を求めるからこそ、マイノリティへの差別が生じるのだ)。
ゆえに私はこのように言い表したい。『ふつうの軽音部』で描かれるのは、「ふつう」を求める「ふつう」の私たちの物語である、と(さらに言うならば、私たちが気がつかないだけでマイノリティはどこにでも「ふつう」にいるのだ)。
誰もが皆、自分が居心地よく過ごせる環境を望んでいる。しかし他者の望むそれが自分と同じとは限らない。ゆえにそこに衝突が生じる。そのうえ、自分が何者であるかがわからない状態であるならば、なおさら不和は生じやすいだろう。
しかし音楽がそうであるのと同様に、私たち自身についてもまた、「いまならその理由がわかる」ことがあったりする。あの頃感じていた居心地の悪さ、まったくもって理解できなかった友人の言動。大人になる途上、つまり自分探し的な模索と試行錯誤のなかで、自分にとって「ふつう」ではない存在。他者のみならず、自分自身をそう感じてしまうこともある。しかもその理由がわからないのだ。
しかし、いや、だからこそ、そんなときにこそ音楽が支えになったのだろう。うまく言葉にできない不安や怒りを、うまく言葉にできないが私のためにあると感じる音楽が、そういった感情を持つことを否定することなくただただ包み込んでくれたのだ。
誰もいない夜の教室、弾けないギターを掻き鳴らしandymoriの「everything is my guitar」を熱唱する鳩野が抱える過去と、それでもなお抱く未来への期待は、誰でも同じように経験するものではない(前述の桃が直面している状況も同様だろう)。しかし私たちはこの場面に、自分自身の過去や現在を投影することになるはずだ。
ぼやけた自分自身の輪郭と、それゆえに理解できなかった他者の振る舞い。「ふつう」という幻影に無自覚に翻弄されていた日々。それらを思い出しながら、本書を読んでみてほしい。誰にも言えない、言うことはない、と思っていたあれこれを、そのときようやく誰かに伝えることができるようになるのかもしれない。わかりあえやしないと思っていた存在との物語が始まるのは、青春時代を生きる者だけの特権ではないのだ。わけもわからずandymoriの曲を掻き鳴らしていた私の物語もまた、始まるかもしれない気がしてきた。
評者/関口竜平
1993年2月26日生まれ。法政大学文学部英文学科、同大学院人文科学研究科英文学専攻(修士課程)修了ののち、本屋lighthouseを立ち上げる。著書『ユートピアとしての本屋 暗闇のなかの確かな場所』(大月書店)。将来の夢は首位打者(草野球)。特技は二度寝
―[書店員の書評]―
思春期特有の葛藤と格闘――それは「ふつう」を求める「ふつう」の私たちの物語だ/『ふつうの軽音部 ①』書評
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