【小池百合子と学歴詐称】#3

 国際政治学者・舛添要一(上)

 2人は浅からぬ間柄だ。因縁と言ったほうがいいかもしれない。国際政治学者の舛添要一氏と東京都の小池百合子知事は1980年代に知り合い、熱愛がウワサされたこともある。舛添氏は「政治とカネ」で2016年に都知事を辞職。後釜に座った女帝は舛添都政をことごとく否定した。中東の地域大国エジプトを巻き込んだ壮大な学歴詐称疑惑をどう見ているのか。

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「初めて会ったのは1983年。私はフランスで社会党のミッテラン大統領が誕生したのがきっかけでテレビに出るようになり、彼女は『竹村健一の世相講談』(日本テレビ)のアシスタントをしていた。名刺代わりというのか、サイン入りの本をもらったんですよ」

 そう言って差し出したのは、小池の著書「3日でおぼえるアラビア語」(83年出版)。カバーの著者略歴には〈カイロ大学文学部社会学科を日本人で2人目、女性としては初めて、しかも首席で卒業〉と記されている。

「私はパリ大学の研究所など、欧州に都合5年ほど留学しました。仏語が母語ではない日本人の学生は逆立ちしても首席で卒業なんてできない。そんな経験から〈すごいねえ、一体どうやって?〉と聞いたら、〈学生が1人しかいなかったからよ。首席でもあるし、ビリでもあるのよ〉と笑いながら答えたのを鮮明に覚えています。エジプトの事情に疎かったので、そんなものなのかと。37年間、見事にだまされていました。前回の選挙(20年の都知事選)の直前に大騒ぎになるまで。彼女は一時、名前の表記を『小池ユリ子』にしていた。理由を聞くと、〈吉永小百合とゴッチャにされて、小池小百合と書く人がいるから嫌になっちゃうのよ〉って。とにかく上昇志向が強い人ですよ」

 舛添氏も寄稿した共著「外国語をどう学んだか」(92年出版)に、「小池ユリ子」は〈19歳の夢はカイロ大学〉という文章を寄せている。

欧米外交団に猛烈食い込み

 30代の小池が「結婚を望んだ相手」と報じられたことがある。

「私が所有していた北海道・白老町の別荘で週末を過ごしていたと書かれましたが、事実無根です。時系列から考えて、当時は別荘を手に入れる前。笑っちゃいましたけどね。駐日大使館のレセプションに何度か連れて行ったから、誤解されたのか。彼女を在東京の欧米外交団に紹介したのは私なんですよ。英独仏、そしてスイスや米国でも研究生活を送った関係で各国大使館の会食によく呼ばれ、当時は独身でしたから、配偶者やパートナー同伴が多いレセプションに2人で参加していました。なんせカイロ大を首席で卒業した才媛だし、英語も話せて如才なく立ち回るので。彼女は食い込みがメチャクチャ早くて、スッポンと同じで離さない。米国大使館の幹部に取り入るわ、仏語は話せないのに仏政府から勲章までもらいましたから」

 小池は衆院議員だった16年、日仏議連副会長としてレジオン・ドヌール勲章オフィシエ(5段階の4等)を受章した。

「私が受章したのはコマンドゥール(3等)。下だったら、これまた踏みつけられるところでした。英語を話せる、各国大使とも親しい。そういうことも肥やしにし、ひけらかして政界入りしたのか、と思わなくもないですね。初めて選挙に出るときは、どんな気持ちだったのか。もっとも、エジプトに大きな借りをつくった以上、政治家を続ける資格はありません」 =つづく 

(坂本千晶/日刊ゲンダイ)

▽舛添要一(ますぞえ・よういち) 1948年、福岡県生まれ。東大法学部政治学科卒。東大教養学部政治学助教授などを経て、舛添政治経済研究所を設立。国政では参院議員2期、厚労相を務めた。2014年に都知事就任、16年辞職。