来春のセンバツ出場権がかかった秋大会が終わり、全国の強豪校の勢力図が少しずつ見えてきた高校野球界。そんな中、かつて名門校を率いた2人の名伯楽が、新天地で新たな活躍を見せている。これまでの経験はもちろんのこと、令和の新時代に求められる指導への変化も含め、名将たちの“第二幕”を追った。(前後編の後編/前編<元東海大相模高・門馬監督編>を読む)

 神戸の市街地を見下ろせる神戸市北区の高台に、彩星工科高校の「神戸アスリートベース」がある。

 サッカー部、ラグビー部、テニス部などの運動部のグラウンドが集結する施設で、甲子園と同じ黒土を用いた両翼100m、中堅122mの広大な野球場や室内練習場も含まれる。

「来年の2月ごろに、寮が完成するんです。これだけの施設を揃えていただいて本当にありがたいですね」

 野球場の左翼側に建設中の建物に目をやって発した平田徹監督の声が、時折吹く強い秋風の音と重なった。

「神戸はすごく住みやすいですね。緑が多くて山と海が近い。都会ですし、どこにでも行きやすいです」

 ゆったりとした口調で現状を明かす。22年4月に村野工業(当時)に野球部顧問として赴任し、同年7月に野球部監督に就任した。

名門・横浜高監督として甲子園に連続出場も…

 平田監督は横浜高校OBで大学を卒業後、コーチを経て10年に部長、15年から監督を務めてきた。

 16年から3年連続で母校を夏の甲子園に導くも、19年9月にパワハラ指導があったとして監督を解任されている。

 それから約2年半の時を経て、現場復帰した経緯を平田監督はこう明かす。

「横浜高校時代の同級生で法大からJR東日本に進んだ松浦(健介)っていうのがいて、大学在学中に助監督を務めていたのが、今、彩星工科野球部の総監督の田中英樹だったんです。僕が横浜高校を解任されてから、何とか高校野球界に戻したいと松浦がアンテナを張ってくれて、大学時代の師弟関係の田中総監督と僕が繋がることができたんです。そこで、村野工業高校が野球部を強化するということで声を掛けてもらったんです」

 もちろん、母校の監督を解任された直後は心的なダメージはあった。だが、現場を離れている間は自分を見つめ直す時間に充てた。

「立ち止まって学び直したり、整理したり……これまでの経験を分析したりしました。体系化と言ったらおかしいかもしれませんが、現場にずっと立っていると走りっぱなしで立ち止まって検証したり、振り返って反省したりすることも少なかったので。そういうことをじっくりすることはできました」

指導の場から離れた期間はYouTubeで動画制作も…! 

 教え子に頼まれてYouTubeの動画制作にも携わった。指導の場から離れ、違う角度から野球を見つめることで、様々なものの見方ができるようになったという。

「勉強するってインプットするイメージがあると思うんですけれど、YouTubeは野球に詳しい人だけでなく、詳しくない人も含めた不特定多数の人が見るので、誰が見ても分かりやすく作り上げて出さないといけないんです。普段、グラウンドにいる時は“こんなこと言わなくても分かるだろう”と、細かいところをぼやかしていることが多いですけれど、実はそれは良くなくて、“これはどういう意味があってやるんですか”って聞かれた時に、“こういう理由でやるんだよ”って僕が言えたら選手はちゃんと頑張ってくれる。

 ぼんやりしていたものをくっきりさせる、感覚的に理解していたものを言語化する。それを多くの方に見てもらっても『ん?』ってならないように、整理してブラッシュアップしてネットにアップすることを1年以上やっていたので、インプットもさることながら、アウトプットに力を入れてきたことは大きかったですね」

 そうした作業を重ねる傍ら、平田にはもし現場に復帰できるとしたら、新設校、もしくは長年低迷していた学校で指導してみたいという願望があった。その矢先に舞い込んできた村野工業の話だった。村野工業は92年センバツを最後に聖地から遠ざかっており、23年4月から彩星工科に校名変更することが決まっていた。

「神戸に行くことに抵抗はなく、むしろワクワクしました。関東を離れることに違和感もなかったし、今までのしがらみもなくなりますから」

 23年春から強化クラブになったとはいえ、平田が監督に就いた昨秋当時に在籍していたのは、スポーツ制度が整備される前に入学した一般入部の生徒ばかりで、ほとんどが軟式野球部出身だった。監督に就任する前、4月から7月の顧問だった期間は「前監督の手前もあるので」と、グラウンドには顔を出さず、近畿圏の中学生を見て回った。

「兵庫県では他県に流出している選手が多いようですが、神戸近郊でも素晴らしいチームや選手はたくさんいて、そういう選手を地元に残したいと思っています。だから(今までの人脈のある)関東までわざわざ声を掛けに行くつもりはありません。それに、遠方となると親御さんの経済的な負担も大きくなる。応援に行くにもすぐに行けないでしょう。最近だとコロナで移動しづらい時期もありましたので、遠くに行かなくても地元にいい学校があるよ、と、ウチでプレーしたいと思われる野球部を作りたいんです」

 神奈川県と同じように150校以上の高校が集う激戦地でもある兵庫県。ただ、兵庫県は投手を中心にした守りの野球を徹底した学校が多く目につく。

「ロースコアの試合が多いですし、ノックを見て、そこまで印象に残らない学校でもいいピッチャーが必ずいる。あと、神戸地区は強豪校が固まっていて、僕らの所属する地区(神戸C地区)は滝川二もいて、いきなり地区大会で対戦することがあって大変です」

 ディフェンス面重視の学校が多い中、平田は打撃を鍛え上げた攻撃型の野球を目指している。それは決して守りを疎かにする訳ではなく「僕が唯一長所を挙げるとしたら(指導において)打撃力を伸ばせるところかなと自分で思っているんです」と理由を明かす。

 平田は周囲よりもまずは自チームを整備することに注視している。

「ウチはまだスタートアップの時期なので……。周りを気にするよりは内側をひとつひとつ整備して、積み上げていかないといけないんです。来年の夏を狙うには、よそのチームよりも伸び率で凌駕しないとダメと選手にはよく言っています。夏の覇権はシーズンオフの伸び率で決まると言っても過言ではないと思っています」

スタメンは1年生だけ。悪い面は目をつぶり、のびのびと…

 “強化クラブ元年”の今春入学してきた1年生が、この秋はそのままスタメンを占めた。本来なら入学してから体作り、技術指導とやるべきことは山積みだったが、悪い面は目をつぶり、夏休みはのびのびと力強くバットを振らせることにした。

「秋の(地区)大会がすぐ来るので(8月中旬から)、子供たちの発揮能力をどう引き出すかをずっと念頭に置いてやってきました。端的に言えば叱るより褒める、認める。良いところを積極的に認めて自信を持たせる。そちらが先決でしたね」

 地区大会では初戦で滝川二を接戦で下し、県大会出場を決めた。県大会3回戦では最速152km右腕の村上泰斗擁する神戸弘陵と対戦。初回に先制を許したものの、4回に突如制球を乱した村上から1点を奪って同点に。村上投手を降板させ、さらに6回に3点を加えて逆転勝ちした。

「村上君のボールは速かったですよ。でも、当てに行かず積極的に打ちに行くようにとは言っていました。徹底させたのは低めを狙うこと、ゾーンを下げること。ワンバンのスライダーは振ってもいいよ、と」

 高校に入学してまだ半年しか経っていない選手たちは、平田監督の指示を冷静に受け止め、対処していた。試合中、指揮官はほとんどベンチから動かず、イニングの合間もベンチ前での円陣はほとんど組まない。選手間で徹底すべきことを確認し合い、遂行していた。

「ゲーム中に逐一確認しなくてもいいように、日頃の練習でそういう感覚を身につけておくことが大事だと思っています。試合中に色々言わないといけないということは、普段からそういうことを浸透できていないから。

 この秋は1年生ばかりだったので、まだ教えられていないことや浸透させられていないことがたくさんあったのですが、とりあえずあの時の完成度で戦うしかなかったんです。それに、試合中にあれこれ言うことは選手の発揮能力を下げることになるので」

 準々決勝で須磨翔風に1−3で敗れたが、8回まで1−1と互角の勝負を演じた。近畿大会出場切符は手にできず、県8強という結果に終わったが「周囲から評価していただける声をたくさん頂きまた。2年生は7人しかいないのですが、拗ねたり卑屈にならずにちゃんとついてきてくれました。ちゃんと野球になってきた感はあるし、今年、経験値を積めたことは大きいです」と指揮官は頷く。

 そして“伸び率”が問われる冬の練習はもう始まっている。平田監督は「冬の練習は萎縮させず、ワクワクした気持ちを選手に持たせたい」としつつ、こう続けた。

「よそのチームの成長曲線よりもウチが(急勾配の曲線で)上がっていかないと。そうするためのポイントは質。質は何によって担保されるかと言うと、理解して正しくやれるか。いい加減なやり方、間違ったやり方で1万回やると1万回ヘタになってしまう。ちゃんと理解して正しくやれば結果がついてくるので、正しい取り組みをすることが大事です。数を問うのはその後から。

 選手は受け身でなく、どういう目的かを理解してやれるようにしてほしいですね。例えば1000スイングやるとなると、その数字だけに目がいって流したりしてしまう。1本のスイングをしっかり振れれば50本でもいいというくらい、質を大事にしたいです。そもそも高校野球は量という部分で見れば多すぎるんです。オーバーワークでケガをすることは一番あってはならないこと。子供らが自分の上達を実感できるかが大事で、実感すればどんどんうまくなるんです」

来年の夏は「本気で狙います」 

 来夏の県の覇権を「本気で狙います」と平田監督は断言する。特に間木歩、今朝丸裕喜と投手の2本柱がしっかりしている報徳学園の戦いぶりは今秋最も目に止まったといい「やはりレベルが高い。小手先の対策ではなく、ガチンコ勝負でも振り負けないようにこの冬は振る力をつけていかないと」と闘志を燃やす。

「校名変更、新校舎の建設、学科再編、クラブの強化の見直しも進んで私学の生き残りをかける学校改革の中で、野球部の指導をさせてもらえるのは大きなやりがいを感じています。横浜高校の時にはなかった充実感を、今味わえています」と平田監督。

 自身が「大ファンなんです」と言うイチロー選手が所属したマイアミ・マーリンズをモチーフにしたユニフォームが、イチローを育てた地・兵庫県で躍動する日は、そう遠くはないかもしれない。

<「元東海大相模高・門馬監督編」に続く>

文=沢井史

photograph by Fumi Sawai