1983年から85年にかけて5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回と圧倒的な戦績を誇ったPL学園。その中心にいたのは1年生からエースと4番として活躍した桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”だった。高校野球史に残る“伝説の3年間”の軌跡をたどる。
 阿部珠樹氏のスポーツノンフィクション傑作選『神様は返事を書かない』(文藝春秋)より「KK、戦慄の記憶」の項を紹介します。<全3回の3回目/第1回、第2回へ>

PLに勝つチャンスがあるとすれば…

 高知商を6対3で下し、準決勝で甲西に15対2と大勝したPLは、3年つづけて夏の決勝に進んだ。相手は山口の宇部商業である。'83年夏にはベスト8まで進んだことがあったが、決勝進出ははじめてだった。宇部商は春の選抜と6月の練習試合で、2度PLと対戦していた。選抜は2対6とまずまずだったが、練習試合では3回降雨コールドゲームにもかかわらず、ダブルスコアで打ち込まれた。

 監督の玉国光男は力の差以上に選手たちの格の違いを痛感していた。

「選抜の開会式で、入場を待っている間に、ほかの学校の生徒がPLの選手にサインをもらっている。ウチも似たようなもので、対戦相手というよりもファンみたいなものでした」

 だが、玉国は決勝で当たるのは幸運だと考えていた。

「万が一、ウチがPLに勝つチャンスがあるとすれば、1回戦か決勝しかないと思っていました」

 1回戦はPLでも試合慣れしておらず、手探りの戦いになる。決勝なら、そこまでの疲労の蓄積で、乱打戦になる可能性がある。そうなったらチャンスはある。

「それにPLは準決勝で大勝していましたからね。大勝したつぎの試合はどうしても打者が大振りになる。そこにつけ込む余地もあるかなと」

「勝とうとか抑えてやろうという気持ちはなかった」

 宇部商はエースの田上昌徳ではなく2番手投手の古谷友宏が先発した。大会に入って田上が調子を崩し、準々決勝、準決勝と古谷のロングリリーフで勝ちあがってきた。そのリリーフを、監督の玉国は決勝の先発に起用した。

「夏は投手がふたりいないと勝てない。そう考えて古谷も育ててきました。それがうまく行きましたね」

 初の先発が決勝という特異な起用だったが、マウンドにあがる古谷に緊張はなかった。

「甲子園で投げることが目標で、勝とうとか抑えてやろうという気はなかった。自分の力がどれくらい通用するんだろうなって」

 球種はストレートとスライダーのふたつだけ。どんどん攻める。単純な方針が功を奏した。PLは最後の夏を取り逃がせないという緊張と、疲労の蓄積で本調子にはなかった。 特にエースの桑田はいつもの球威には程遠かった。その桑田を攻めて、宇部商が先制する。 四球で出た走者を盗塁、犠飛で還した。そつのない運びはPLのお株を奪うものだった。 4回に清原の本塁打で追いつかれ、5回には勝ち越されたが、6回表には内野安打と三塁打、犠飛で2点をあげて逆転した。

 先制のホームを踏み、6回には同点の三塁打を放った藤井進は、甲子園に来て4番に抜擢された選手だった。

「もともとぼくの定位置は8番。甲子園に来て調子がよくなったので、5番に起用されるようになりましたが、4番は決勝がはじめてでした」

清原を間近で見て「これがプロかって」

 本塁打といえば、県予選の決勝で打った1本しかなかった藤井だが、甲子園に来ると絶好調で、3回戦から3試合連続4本の本塁打を打ち、清原と肩を並べていた。決勝は「大会の4番」を決める場でもあったが、藤井に対抗意識はなかった。

「清原をはじめて間近で見たとき、これがプロかって思いました。大会のあと、手の大きさを比べたことがある。ぼくは普通の人よりかなり大きいんですが、清原はぼくより関節ひとつ分大きかった」

「ゴキッという聞いたことのない音」

 逆転されたPLだが、6回、再び清原の一打で追いつく。打たれた古谷は打球を振り返ることもしなかった。センターの頭上を越えてスタンドに飛び込む大本塁打だった。

「最初の打席でぼくの右を抜けるヒットを打たれたんですが、その速さが尋常じゃなかった。バットに当たったときの音も、ゴキッという聞いたことのない音で。だから6回には外角一辺倒で大きいのだけは打たれないようにと警戒していたんですが」

 そして9回裏には2死からサヨナラ安打を喫して宇部商は敗れた。

「負けたけど、清原以外にはほとんど打たれた気がしない。ベストは出せたと思います」

 決勝は清原の打棒ばかりがクローズアップされるが、藤井をはじめとする宇部商の勢いのある打線を3点で食い止めた桑田の投球もやはり最後を飾るにふさわしいものだった。

“一番風呂”と思って駆け込むと桑田が…

 大会のあと、親善試合のために全日本チームが結成された。清原、桑田も、藤井や古谷もメンバーになった。藤井はメンバーの合宿でひそかに誓いを立てた。

「どうせ野球じゃかなわない。それならせめて風呂に入る順番だけでも一番になろう。一番風呂は譲らないぞって考えたんです」

 練習が終わり、宿舎に戻る。走りながら服を脱ぐようにして風呂場に駆け込む。だがいつも先に入っている男がいた。桑田だった。

「遅いぞって声をかけられて。一番風呂の競争でもかなわなかったなあ」

文=阿部珠樹

photograph by SANKEI SHIMBUN