商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社、兵庫県の西宮神社で1月10日、恒例の「開門神事福男選び」が行われる。早朝6時の大太鼓の合図とともに本殿参拝の一番乗りを競う江戸時代から続く神事で、上位3人がその年の「福男」になる。果たして「福男」は幸運に満ちた一年を過ごせるのか――。昨年「一番福」を勝ち取った社会人野球・JR西日本の植本亮太選手に“1年後の答え”を聞いた。

幸運の兆し

 幸運の女神には前髪しかない。そんな言葉通り、“兆し”は不意に現れた。

 昨年1月10日前夜、当時、大阪商業大学4年生だった植本さんはふと、「福男選び」の参加を思い立ったという。

「これといった準備は全くしていなかったです。以前にも参加したことはあったんですが、最初のくじ引きに当たらなかった。滑らないようにと新しいランニングシューズを履いたのと、もしいい位置が取れたら目立つように、とソフトバンクのユニフォームだけ持っていきました」

絶好のスタート位置

 コロナ禍を経て3年ぶりの開催となった昨年は、開門に先立ち参加者の中から先着1200人がくじ引きを行い、門に一番近い先頭グループの108人を選んだ。植本さんが引いた番号は「5」。これが勝利を引き寄せた。

「5番は最前列の真ん中あたり。その時点でこれはいけるかもしれない、と思いました」

 門は観音開きになっているため、中央から人がどっと押し出される。同じ最前列でも左右の位置だとむしろスタートが遅れ、後ろからの圧で転倒する危険性もはらんでいるのだ。

「本殿までのコースも事前に調べていたわけではなく、YouTubeでちょっと見たことがあったくらいでした。だからいざ走り出したらどこで曲がるのか分からなくて、キョロキョロしてしまって……」

神主さんに抱きかかえられていた

 一番の難所と言われる最初の右カーブをクリアし、直線で加速するとこの時点で先頭に立った。左カーブを曲がり、最後は右直角に折れて本殿へ駆け抜ける。

「本殿に入ったところがちょっと段差になっているのでそこで躓きかけたんです。でも気がついたら神主さんに抱きかかえられていた。まさか自分が一番福になるなんて思ってもみなかったので、マジか! という思いでしたね」

何サボっとんじゃ!

 スタートから1分と経たぬうちに周囲の景色は激変する。待ち構えていたのは生中継のテレビカメラ。各局のインタビューに答え、記者の囲み取材にも次々と応じる。気づけば真っ暗だった空に太陽がのぼり、スマホには恐ろしい数のメッセージが届いていた。大商大野球部の富山陽一監督の着信に恐る恐る折り返すと、「何サボっとんじゃ!」。そう、朝9時スタートの野球部の練習はとっくに始まっていた。

「でも監督は本当に喜んでくれて、お祝いにアップルウォッチを頂いたんです。午後になっても大学に取材が来て、LINEやInstagramへのメッセージは200件以上。段々実感が湧いてきました」

「ロト6の数字を予想してください」という依頼も

 反響の大きさは、想像以上のものだった。当日から、植本さんの携帯には見知らぬ番号から続々と着信が入る。

「なんで番号を知っているのか分からないんですけど電話は一応全部出ていました。あとはインスタのメッセージで『ロト6を買いたいので数字を予想してください』とか、運が必要なことにまつわるお願いごとも結構ありましたね」

阪神・小野寺から「お前、阪神ファンやんけ!」

 球界からの反応も大きかった。植本さんは明石商業高校3年生だった2018年夏に、第100回の記念大会だった甲子園に出場している。同世代の仲間や出身校の先輩・後輩から祝福が相次ぎ、プロ野球選手からも連絡が入った。総じてツッコミが入ったのは、福男選びの際に着ていたソフトバンクのユニフォーム。実は、兵庫県出身の植本さんは阪神ファンだったからだ。

「大学の先輩にあたる阪神の小野寺(暖)選手からは『お前、阪神ファンやんけ!』って。他にも(当時)オリックスの近藤(大亮)投手などから沢山連絡をいただいて嬉しかったです」

まさかの始球式に登板

 そのソフトバンクからもサプライズが届く。見知らぬ番号からの着信に恐る恐る出ると、球団からの始球式のオファーだった。あれよあれよと企画が進み3月19日、DeNAとのオープン戦のセレモニアルピッチで気付けばpaypayドームのマウンドに立っていた。

「すごく嬉しかったですね。甲子園とはまた違った特別感がありました」

 1月10日を境に嬉しい出来事がどんどん舞い込んできた植本さん。では、“本業”の方はどうだったのか。卒業前の1月下旬から広島市に本拠地を置くJR西日本の練習に合流。新社会人としては、「中国統括本部駅業務部」に配属され、広島駅や山口駅など主に新幹線の停車駅での業務に取り組んだ。“福男効果”はここでも現れた。

あだ名が「福」に

「野球部でもみんな『福男』のことを知っていてすごく歓迎してもらいました。名前は植本なのに『フク(福)』って呼んでもらって(笑)。新しい環境でも苦労したことは特になかったです」

 実戦では主にDHで起用され、3月下旬に行われた広島県野球連盟の全チームが集結する大会ではいきなり「敢闘」賞を受賞。8月に行われたJRグループの大会では7打数4安打と活躍して首位打者となった。極めつけは、社会人野球の二大大会である7月の都市対抗野球大会。初戦のパナソニック戦で「5番・DH」で先発に抜てきされ、3点を追う9回2死走者なしの場面ではセンター前ヒットを放つなど奮闘した。

「スタメンで使っていただいたことが本当に嬉しかったし、大舞台で1本ヒットを打てたことも自信につながりました。今年は特にバッティングが良くて、練習でも低くて強い打球を打つこと、常にヒット性の打撃を意識して練習に励むことができたと思います」

脚ではなく…バッティングで成果が出た

 その韋駄天で「一番福」を勝ち取った植本さんだが、意外にも今シーズンの公式戦での盗塁数は「2」。選手としては俊足が一番の売り、と言うわけではないのだという。

「常に盗塁は狙うようにはしているんですけど、ランナーが詰まっていたりして機会も少なかったのであまり走れていないです。それよりも今年はバッティングで成果が出たという感じで……」

「福男」は脚よりも打撃術でその道を切り開いていた。

プロ野球選手からバットのプレゼントが

 順風満帆を絵に描いたような船出。「不運だったことは何もないです」とキッパリ言い切った植本さんに、この1年間で「ラッキーだったこと」を聞いてみた。

「自動販売機で“当たり”が出たりはしましたね。あと、『福男』になってから関西の会社の社長さんと交流する機会があってお知り合いができたんです。フルーツ会社の方がダンボールで寮にたくさんフルーツを送っていただいたり、お米を送ってくださったり。サポートしてくれる方が増えたことがラッキーかもしれません。あ、それから、プロアマ交流戦でカープの二軍と試合をした時に小園(海斗)選手や野間(峻祥)選手からバットを頂きました! 『福男』になったことも知っていてくれて。福を分けて、みたいな……。ファンだった阪神の優勝も嬉しかったです。ラッキーなこと、沢山ありましたね」

目指すのは「プロ入り」

 人生が一変してしまうような幸運ではなく、ちょっとした喜びが次々と訪れる幸せ。何より憂き目に遭わず健康で過ごせたことが一番の「ラッキー」なのかもしれない。

「『福男』になって本当によかった」と振り返る植本さん。大卒2年目となる2024年は、プロ野球の指名解禁対象となる。同学年でもある小園らといつかプロの舞台で共演するためにも、さらなる飛躍を期している。

「来年は走攻守の全てにおいて他の選手より目立たないといけない。盗塁もどんどんして、バッティングも長打をアピールしたいですね。公式戦は全試合に出て、2大大会(都市対抗と日本選手権)でも結果を出してプロに行けるような選手になりたいです!」

『福』も味方に、さらに大きな夢へと駆ける1年が始まる。

文=佐藤春佳

photograph by JIJI PRESS