学校創立は江戸時代――今春のセンバツ甲子園への出場が決まった「超伝統校」耐久高校。智弁和歌山や市立和歌山といった強豪ひしめく和歌山で、なぜ“快進撃”を遂げられたのか。現地を訪ねた。(全2回の2回目)

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 和歌山県立耐久高校がある和歌山県有田郡湯浅町は、日本の醤油発祥の地である。そんな予備知識とともにJR湯浅駅を降り、学校まで8分の距離を歩くと、どことなく醤油の香りが漂ってくるように感じるから不思議だ。事実、耐久高校のグラウンドの左中間の後方には、醤油会社の醸造場も見える。

 この日、耐久高校のグラウンドには白い雪が舞っていた。気温が0度に迫るなか、「耐久」の名を背負う硬式野球部の19人の選手は、寒さに耐えて早朝から汗を流していた。

「毎年、人数集めには苦労していまして…」

 自身も同校のOBであり、指揮官となって5年目となる井原正善監督(39歳)が話す。

「毎年、人数集めには苦労していまして、卒業を控える3年生は6人でした。新3年生となる今の代は、前チームから試合に出ていた選手が7人いて、ポジションもバッテリーやショート、センターと守りの要となるところばかり。ですから、新チームがスタートした時に、秋季大会ベスト4を目標に掲げていたんです。ところが初の公式戦となる新人戦は、準々決勝で日高高校に負けてしまった。もう一度、気持ちを引き締めて臨んだ秋の県大会準々決勝で、再び日高高校と対戦し、リベンジを果たせた。そこで勢いに乗ったと思います」

 これまでも県大会のベスト4まで勝ち進んだことはある。3年前には、県ベスト8ながら和歌山県の21世紀枠推薦校になったこともある。指揮官の心中に、だんだんと甲子園に近づいている実感はあった。だが、必ず智弁和歌山や市立和歌山、和歌山東に甲子園の道は阻まれてきた。

「市立和歌山や和歌山東とは、毎年、必ず練習試合を組んで胸を借りています。ようやく準決勝で和歌山東の壁を打ち破り、40年ぶり(3回目)の秋季近畿大会出場が果たせました」

部員全員が“通い”、エースの名は「冷水孝輔」

 2018年夏に中谷仁監督が就任した智弁和歌山は県外の生徒も幅広く受け入れている。また、2021年に松川虎生(千葉ロッテ)と小園健太(横浜DeNA)というふたりのドラフト1位選手を輩出した市立和歌山も、近年スカウティングを強化している。そうした事情から、和歌山県内の有望選手は他府県の学校に進学するケースが目立つという。だが、耐久の19人は全員が和歌山県内の球児であり、ほとんどが有田郡市で暮らし、全員が通いの生徒だ。

 和歌山東戦の初回に3ランを放った1年生の白井颯悟もそのひとりで、彼は地元も地元の湯浅中出身。耐久を選んだ理由は「近いから」。また、有田シニアや由良シニアなど中学時代に硬式野球に励んだ球児が多い中、チームのムードメーカーである彼は軟式野球あがりだ。

 そして数少ない有田郡市以外の出身者がエース右腕の冷水(しみず)孝輔(海南市出身)である。耐久ナインの体格は近畿圏の強豪校の選手と比べればどうしても見劣りしてしまうものの、冷水の太ももの分厚さは引けをとらない。MAX143キロを誇る冷水こそが耐久の大黒柱であり、秋の県大会準決勝で和歌山東の強力打線を零封した。

 続く決勝の相手は、準々決勝で市立和歌山を、準決勝で県の高校野球をリードしてきた智弁和歌山を下すという、ジャイアントキリングを二度も達成した田辺高校だった。同じ公立校で、やはり100年以上の歴史を持つ学校である。

強豪ズラリ…どう勝ち上がった?

 監督やナインは、決勝に進出して近畿出場を果たしたことで、「21世紀枠」が脳裏に浮かんだ。だが、田辺高校も1995年夏の甲子園に出ているとはいえ、21世紀枠の候補校になり得る学校だ。冷水が正直な感情を吐露する。

「(先に決勝進出を決めた段階で)決勝の相手が智弁和歌山となれば、圧倒的な差で負けて心が折れることを危惧していた。でも、田辺が相手となり、ラッキーと思う気持ちがあった。でも、智弁和歌山を倒すということは、力があるに決まっています。公立校同士で、練習環境も変わらない。絶対に負けたくなかった」

 この試合でも冷水は3失点完投し、耐久は初めて和歌山の頂点に立った。

「強さは本物」40年ぶり近畿大会でも…

 秋季近畿大会は翌々週末に大阪シティ信用金庫スタジアムで開幕し、3週にわたってセンバツ切符は争われる。ところが、和歌山1位の耐久は第1週に試合がなく、第2週に連戦を強いられる組み合わせとなった。

 再び井原監督が振り返る。

「この空いた時間の使い方には神経を使いました。もう一度、練習で身体を追い込み、試合のなかった第1週には、舞洲まで選手を引きつれて行って、球場の雰囲気や舞洲に吹き荒れる風の確認もできた。そして試合当日は、早朝に学校に集まって、バッティング練習をしてから会場に乗り込んだ。大阪とはいえ、学校から1時間ほどで到着するんです。大阪のホテルには泊まらず、一度、和歌山に戻って、また翌日、同じことを繰り返した。和歌山大会からのルーティンを崩さなかったことが好結果につながったような気がします」

 初戦の社(兵庫)戦では7回までに2対3とリードされていた。だが、8回表に1死満塁から4番岡川翔建(センター)の走者一掃の二塁打が飛び出し、試合をひっくり返した。

 岡川にとっては会心の一打だった。

「耐久はいっぱい打つチームではないので、チャンスが少ない。だからこそ、チャンスで打席に立った時が大事になる。あの二塁打は最高に気持ち良かったです。でも、甲子園で打てたらもっと気持ち良いんじゃないかと思っています」

グラウンド共有、ゆるい上下関係…髪型は?

 耐久には19人の選手しかいない。グラウンドも軟式野球部やサッカー部などと共有だ。だが、デメリットばかりではない。大所帯のチームと同じ時間を練習するとして、少人数の方が密度が濃くなるのは当然であり、他の部が練習をしていない早朝などに耐久のナインは集まって自主練習も行ってきた。

 また、ひとりでも人数が欠けたら大きな戦力ダウンとなるため、伝統校にいまだ残る上下関係もゆるく、練習を眺めていても仲の良さが伝わってくる。

 大きな特徴はその髪型だ。高校野球は全員が坊主頭か、昨夏に全国制覇を果たした慶應義塾や花巻東のように全員が長髪かの両極端であるケースがほとんどだが、耐久の場合は半数が坊主、残りの半数が髪を伸ばしている。高校野球の定型にこだわらず、紀州に生まれ育った純朴な球児が一致団結して、昨秋の快進撃は生まれた。

冷水「自分がしっかりしないと戦っていけない」

 勝てばセンバツが当確となる準々決勝の相手は好投手のいる須磨翔風(兵庫)だった。初回に1点を奪い合うと、中盤まで展開が膠着。耐久は5回表に敵失で勝ち越し、8回にも2点を追加して、4対1で勝利した。この試合でも光ったのは冷水の快投だ。冷水は新人戦のコールド勝利を挙げた試合の1イニングを除き、和歌山大会、近畿大会とひとりで投げ抜いてきた。

 冷水は小学1年生の時に3歳上の兄・秀輔(現・中部学院大2年。昨秋の明治神宮大会でも登板した)が所属した加茂仲良しクラブで野球を始め、中学時代には有田リトルシニアに在籍し、県内外の複数の高校から勧誘を受ける逸材だった。

「耐久を選んだのは、やっぱりここのOBである兄の影響です。昔から仲が良くて、兄と同じユニフォームを着て、甲子園を目指したかった。このチームは自分がしっかりしないと戦っていけない。前チームからエースナンバーをつけさせてもらっているので、マウンドに上がったら簡単には降りたくないです」

「強い学校とやる方が、力を発揮できる」

 耐久ナインの中には、高校卒業後は野球から離れることを決めている選手も多いが、冷水は大学を経てプロ野球選手になることを夢見ている。

「すべては自分の頑張り次第。たとえプロに届かなくても、社会人まで野球は続けていきたい。仮に引退することになったら、野球をやっている人をサポートできるような仕事に就きたいと思っています」

 かくして耐久高校のセンバツ出場は決まった。

「正直、1回、勝ちたいです。初戦で神宮大会で優勝した星稜(石川)とやれたら、たとえ負けたとしてもチームとしての現状がわかると思うし、勝てたら大きな自信になる。自分は強い学校とやる方が、力を発揮できるということを近畿大会で学びました」

 耐えて久しく、我慢の果てに、ナインは聖地・甲子園で躍動する。

文=柳川悠二

photograph by Yuji Yanagawa