集団発熱、まさかのシード落ち……今年の箱根駅伝、優勝候補の一角と見られていた中央大学。13位に終わったチームに何が起きていたのか? 藤原正和監督がNumberWebに明かす。【全2回の後編/前編から続く】

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「それって……」

 藤原正和監督の「進退問題」という言葉を聞き、私は監督が辞める覚悟をしたのかと、慄いた。

 2016年の予選会敗退からここまで這い上がって来られたのは、監督がいなければ成し遂げられなかっただろう。藤原監督はうつむき加減で言葉をつぐ。

「狙った大会で、こんな結果しか残せず、学生に申し訳ないです。本当に、申し訳ないです。8年間指導して、土台がしっかりしてきたという手ごたえはあります。ひょっとして、指導陣に新しい風が吹いた方が、優勝に近づけるんじゃないかと思います」

 それ以上の言葉をかけることはできなかった。

 これだけの痛みに対して、外部の人間は有効な言葉を持たない。いや、持てない。

「10日ほど、ほぼ眠れませんでした」

 1月下旬。

 箱根駅伝から3週間が経った。

 日野市にある中大の合宿所に向かい、藤原監督を取材することになった。卒業を控えた4年生が引っ越しの準備に追われていた。

 私はまず、1月3日に進退問題について言及した後、藤原監督はどんな時間を過ごしたのか聞くことから始めた。

「3日には毎年、4年生の慰労会があります。その場では4年生に頭を下げるしかありませんでした。正直なところ、私自身、疲労困憊という状態でした。ショックでしたね。ターゲットとしてきた第100回箱根駅伝なのに、わずか10日間の出来事で、すべてが崩れてしまったので……」

 1月4日の朝も、早く目覚めてしまった。それでも安堵があったという。

「それまでの10日ほど、ほとんど眠れませんでした。眠りが浅く、朝になると体調不良の連絡が来てるんじゃないかと、不安で仕方ありませんでした。4日の朝になり、『ああ、もう選手たちの体調を気にしなくていいのか。LINEのアプリを開くのに怖がる必要はないんだ』とホッとしました」

 藤原監督にとっての「地獄の10日間」は終わりを告げていた。

「青学大を抜く、幻のレースプラン」

 それから数日の休みがあったが、とにかく眠りに眠った。「5日、6日は昼近くまで眠り続けました」。すると、少し気力が湧いてきて、「箱根を振り返ってみるか……」と思い立ち、レースの映像を見た。

「青学さん、圧倒的に強かったです。特に2区の黒田朝日君、3区の太田蒼生君のパンチ力は強烈でした。12月、われわれがターゲットとしていたのは駒澤さんで、優勝タイムは10時間43分くらいと想定していましたが、青学さんは10時間41分まで伸ばしてきましたからね。ウチが万全だったら、どれだけ勝負出来たか……それを見たかったという思いに駆られました」

 箱根駅伝を振り返り、中大が万全だったらどんなレース展開になっただろう。藤原監督は想像をめぐらせた。

 1区溜池一太は、飛び出した駿河台大のレマイヤンを駒大の篠原倖太朗、青学大の荒巻朋熙らと一緒に追走する。悪くとも、30秒差でたすきを2区の吉居大和にはつなげただろう。これは青学大の荒巻とほぼ同等であることを意味する。

 そして吉居が絶好調であれば、駒大の鈴木芽吹には追いついた可能性がある。きっと、気持ちのリミッターを外せる大和なら、そうしたはずだ。そして3区中野翔太が駒大の佐藤圭汰と牽制し合い、そこに青学大の太田が絡んでくるかもしれない。しかし、中央には4区に湯浅仁がいる。湯浅が青学大と先頭を争っただろう。そして5区は耐える。

「うまく流れていれば、青学さんから1分から1分半ほどで2位というイメージでした」

 復路は追いかける展開になるが、7区の吉居駿恭で先頭が見える位置にまで追い上げられれば、8区の阿部陽樹が首位に立つ――。

「たられば」を言っても仕方がない。それでも、この中央のレース展開だけは見たかった。

「絶対に証明したいこと」

 藤原監督はレースを振り返ったことで、少し気持ちが上向きになったという。

「いま、活動している学生は自分が勧誘してきた選手たちですし、彼らをこのまま手放してしまうわけにはいかないと思いました。この経験は、なにかの意味を持つはずだろう。この地獄を味わったからこそ、優勝できたんだ、と言えるようにしなければならないと考えました」

 そしてもうひとつ、レースを振り返ったうえで、藤原監督には絶対に証明したいことがあった。

「いま、大学の長距離界にはいろいろなアプローチがあります。駅伝を重視する戦い方もあれば、駒澤さんのようにトップの選手たちは大八木総監督と世界を視野に入れた強化を進めています。中央も、世界を意識しています。トラックでしっかり勝負をしたうえで、秋からの駅伝でも結果を出す。駅伝はあくまで“強化のツール”であることを証明したいと思いました」

 かつて、世界陸上のマラソン代表だった藤原監督らしい考えだ。駅伝がすべてではない。世界を狙える選手であれば、志を高く持って欲しい。

「体調不良は防げたのか?」

 一方で、「体調不良は防げたのか?」という疑問も湧いてきた。藤原監督は自問自答を繰り返した。

「陸上部では常々、体温、脈拍、血圧の測定をしています。体調が悪くなる兆候として、血圧の幅が乱れてきます。そのサインを見逃してしまったかもしれません。いまはデータで数値を管理していますが、以前のように手書きのままだったら、早めに気づきがあったんじゃないかとか」

 体調不良者が出てからの処置を、専門家の先生にもレビューしてもらったが、対応の仕方としてはこれ以上のことは出来ないでしょう、という言葉はもらった。防ぐ手段はなかった。ただ、発症のタイミングが成績に直結した。

 実際、今回は各大学で感染症が蔓延した。青学は12月上旬に強化合宿に参加していた16名中10名がインフルエンザに罹患した。神奈川大では12月中旬、胃腸炎が広がり、体調が回復しないまま本番を迎えた選手が多かった。

 ある大学の監督は、こう話す。

「コロナ禍の期間中、衛生管理を徹底していたので、学生たちは風邪をひくこともほとんどなかったんです。ひょっとして、そのために自然免疫を獲得していなかった気がするんです。そのツケが各大学で一気に襲ってきたんじゃないでしょうか」

「駅伝シーズン全体の反省があります」

 藤原監督は、よりマクロ的な視点で今回の出来事を捉えている。

「12月に限ったことではなく、駅伝シーズン全体の反省があります。出雲で7位、全日本でも4位に終わってしまい、チームとして勢いを出せませんでした。そこで選手たちに自信を持たせるため、練習の質、強度を高めに設定したんです。これだけ出来るんだから、自信を持っていいんだと。実際、12月上旬の合宿ではハーフの距離をビルドアップ(注・だんだんペースを上げていく手法)で64分台で走る練習も組み込みました。選手たち、こなせていました。ただ、それによって体に負担がかかり、免疫力が低下していた可能性はゼロではありません。私のマネージメント力が不足していた部分だと思っています」

 原因を追究していくと、キリがないのだ。

 藤原監督が話す通り、シーズン全体の流れ、合宿中のメニューの強度によって、チームの状態は変わる。それほど、陸上長距離は繊細な世界だといえる。

理事会「今回のことは事故だと思って…」

 レースや強化過程を振り返りながら、藤原監督には試練となる場があった。

 中央大の理事たちを前に、レース結果を報告しなければならないのだ。

「毎年、箱根駅伝のあとには中央大学の理事会、理事懇談会といった、いくつか報告の場があります。去年、一昨年は結果が良かったこともあり、意気揚々と向かいましたが、今年はクビだと言われても仕方がない。その覚悟で臨みました」

 藤原監督は年末の状態を包み隠さず報告し、こうした結果になってしまったことを理事たちの前で詫びた。

「ある理事の方から、『状況は分かりました。もう一度、こういうことがあったらクビです。が、そういうことはないでしょう。今回のことは事故だと思って……今後とも強化を進めてください』というお言葉をいただきました。物事をハッキリと言ってくださる方なので、ありがたいと思いました」

 理事会で続投が決まったのである。

「私以上に4年生がつらいでしょう…」

 実は過去に一度、藤原監督は理事会で「針の筵」に座る思いをしたことがあった。

 2016年10月の箱根駅伝予選会で、予選落ちしてしまった時だ。そのときもクビになる覚悟で臨んだ。

「当時、箱根で戦うためには、これだけの合宿期間、そして予算が必要ですと話した記憶があります。たとえ、私がいなくなったとしても、後任の指導者のバックアップをお願いしますと頭を下げました」

 藤原監督が続投したことで、2023年大会では2位まで躍進した。吉居大和、中野翔太、湯浅仁の三本柱が最終学年を迎えた今年、是が非でも優勝するのが藤原監督の願いだった。「彼らを男にして卒業させたいです」と話していたが、それは幻に終わってしまった。

「私以上にいまの4年生がつらいでしょうし、彼らに背負わせなくていいものを背負わせてしまったという思いがあります。湯浅、吉居、そして中野は将来的にはオリンピック、世界選手権を目指せる選手たちです。今度の結果を将来につなげて欲しい。それだけを願っています」

『駅伝が怖くなりました』

 中大にとって、新しいシーズンはもう始まっている。しかし、今回の箱根の結果は、学生たちに様々な影響を残している。

「8区を走った阿部陽樹は、『駅伝が怖くなりました』と話していました。そのあと、都道府県対抗駅伝の山口県チームに帯同して、また前向きになってくれたようで安心しましたが」

 この言葉は私に衝撃を与えた。以前、阿部を取材した際、「駅伝が大好きです。中大の4年間、すべての駅伝で走りたいです(笑)」と話すほど、駅伝への忠誠が高い選手だったからだ。それだけ、箱根駅伝での走りがメンタルに及ぼす影響は大きい。

 藤原監督は新しい幹部たちと、目標設定に関して、話し合いを重ねている。

「いまの3年生は、4年生が華々しい学年だったこともあり、どちらかといえば控えめな学年ではあります。新幹部とミーティングをしましたが、最初に目標としてあがってきたのが『箱根駅伝予選会トップ通過、62分台5人、63分台5人』というものでして……これ、いまでも実現できるんです(笑)。私からは『もっと夢のある目標を立ててもいいんじゃないかな』と話しました」

 箱根の結果を受け、3年生たちは慎重になっているのかもしれない。藤原監督は学生たちに「予選会から這い上がり、どこまで行けるのか楽しんでほしい」と願っている。

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 箱根駅伝は、そこに関わる人たちの人生を大きく左右する。

 今回の出来事にも意味はあったと、藤原監督が感じる時がいつか来るだろう。

 時は流れる。それでも「C」の文字を胸に付けた青年たちは、走り続ける。

 いつか「優勝」がやってくると信じて。

<前編から続く>

文=生島淳

photograph by Wataru Sato