今季、箱根駅伝など学生三大駅伝すべてに出場した創価大学。その駅伝強豪校で出雲駅伝の準優勝に貢献したケニア人留学生が、「ドーピング違反」となったことが2月15日に発表された。学生長距離界でドーピング対策はこれまでどのようになされてきたのか。箱根駅伝に出場した元ランナーの筆者がドーピング対策の歴史と“抜け穴”について考えた。

3年間の資格停止&創価大は出雲駅伝の記録取り消し

 学生三大駅伝で初めて“アンチ・ドーピング違反者”が出てしまった。

 日本アンチ・ドーピング機構(JADA)はリーキー・カミナ(創価大3年)に「アンチ・ドーピング違反」があり、3年間の「資格停止処分」を科したと発表したのだ。

 カミナは昨年9月16日の日本インカレ男子5000m後に受けた尿検査で筋肉増強作用のある「ナンドロロン」が検出されたという。資格停止の期間は検査結果が本人に通知された2023年10月12日からで、10月9日に行われた出雲駅伝の記録も失効した。

 創価大によると、カミナは7月下旬から9月上旬まで母国・ケニアでトレーニングをしていたが、「強い倦怠感の症状」が続いたため、友人に薬の購入を依頼。受け取った薬の成分を確認しないまま、「10日間」に渡って服用したという。その市販薬のなかに禁止成分が含まれていたようだ。

 チームは全部員に対してアンチ・ドーピングに関する知識を理解する研修をこれまで行ってきた。サプリメントや薬を服用する際には必ず成分を確認するように指導していたが、カミナはそれを怠ったかたちになり、今回の“悲劇”を生んだ。

 創価大は出雲駅伝で過去最高の2位に入ったが、チーム記録および出場選手すべての個人記録が消滅。そのため、4区山森龍暁(4年)と5区吉田響(3年)の区間賞も幻となった。本人も3年間の資格停止ということで、創価大の選手として活動していくのは難しくなったといえるだろう。

スプリンターはステロイドだが…

 陸上界のドーピングといえば、1988年のソウル五輪男子100mでのベン・ジョンソンの筋肉増強剤が有名だ。レース後のドーピング検査で陽性反応が出て、世界記録と金メダルが剥奪された。

 その後もリンフォード・クリスティ、ジャスティン・ガトリン、ヨハン・ブレイク、タイソン・ゲイ、アサファ・パウエルという世界大会で金メダルに輝いたスプリンターが陽性反応を示して、資格停止処分を受けている。大半は筋肉増強効果のあるステロイド系物質だ。

長距離ランナーに多い「EPO」

 一方、長距離ランナーでも近年はアンチ・ドーピング違反が増えている。使用していた物質はエリスロポエチン(EPO)が多い。ツール・ド・フランスで7連覇(後にタイトル剥奪)したランス・アームストロングが常用していたことで有名だ。EPOは腎臓で分泌されるホルモンで、骨の臓器(骨髄)に働きかけて赤血球を増やす作用があるため持久力向上が期待できる。リオ五輪女子マラソンの金メダリスト(ジェミマ・スムゴング)と銀メダリスト(ユニス・ジェプキルイ・キルワ)も後にEPO製剤の使用が発覚して、資格停止処分になっている。

 カミナの場合、検出されたのが長距離で効果を発揮するEPOではなかったことを考えると、単なる「うっかりミス」だったといえるだろう。しかし、その代償はあまりにも大きい。

大学駅伝界のドーピング検査の歴史

 ベン・ジョンソン騒動で「ドーピング」という言葉が日本でも広く知られるようになったが、国内の大会でドーピング検査が本格導入されるようになったのは、この20年ほどだ。

 学生長距離界でいうと、1980年代には状態の良いときの血液を採取しておき、試合前に体内へ戻す「血液ドーピング」を実施していた大学もあった。箱根駅伝や日本インカレに出場するなど長距離の選手だった筆者も学生だった1990年代後半、現在ならアウトとなる市販の栄養ドリンクを飲んでレースに臨んだことがある。それほど当時はドーピングの認識は希薄だった。

 それが1999年に世界ドーピング防止機構(WADA)が設立されると、国内の大会でも徐々にドーピング検査が行われるようになった。箱根駅伝でいうと、2002年の第78回大会からドーピング検査が実施されている。

箱根駅伝の検査体制「出場者全員ではない」

 主要大会といえども、ドーピング検査は出場者全員に行われるわけではない。予算の問題もあり、箱根駅伝の場合は例年「10人」だ。上位10位に入ったチームから1名ずつ選ばれるのが慣例化している(今年はシード権獲得校でも検査を受けなかったチームがあるなど、例年と少し違った)。

 日本アンチ・ドーピング機構(JADA)によると、日本国内におけるドーピング検査件数は2022年度の1年間に6,210件あったという。ドーピング検査には競技終了後に行われる「競技会(時)検査」と、競技会とは関係なく行われる「競技会外検査」(いわゆる「抜き打ち検査」)がある。

 後者の場合、検査員が予告なしに訪れるため、一定レベル以上の選手は居場所情報の提出が義務づけられている。指定した60分間に対象選手に出会うことができない場合、「検査未了」という扱いになり、これが12か月で3回発生すると、意図的に検査を逃れたと見なされて規則違反となる。

 なお昨年のアンチ・ドーピング違反者は4名。うち3名が陸上競技の選手で、カミナとジョセフ・カランジャ(愛知製鋼)。もう1名は未成年のため、名前は公表されていない。

各大学のドーピング対策

 では、各校はどれだけドーピング対策を行っているのか。今年の箱根駅伝に出場したある大学の監督は、「JADAが出している冊子を選手全員に渡していますし、ミーティング時に、何度もアナウンスしています。特に12月初め、箱根駅伝のエントリー前には徹底していますね。チームだけの問題ではなく、箱根駅伝自体の権威も失うことになりますから。風邪薬だけじゃなく、漢方薬も絶対ダメなので、迷ったら相談するように言い聞かせています」と教えてくれた。

 一方で、ドーピングへの認識が甘いチームも少なくない。

 前出の監督は、「他大学がどこまでの対策をしているのかちょっと分からないですけど、この程度なら大丈夫だろう、と(栄養ドリンクなどを)飲んでいる子がいる大学もあると聞いています。特に高校駅伝は鉄剤注射を使用しているチームがまだあるようなので、非常に危惧していますね。研修会などを実施して、指導者がもう少し認識を高めないといけないと思います」と話している。

元選手が語るドーピング対策の実態

 選手はどう考えているのか。高校、大学、実業団で全国区の駅伝に出場した元選手(30代女性)のAさんにもドーピングの実態について聞いてみた。

 Aさんは現役時代に国内大会で2度、国際大会で1度の「競技会(時)検査」を受けたことがあるという。いずれも尿検査だった。

「検査は上位に入ったときに行われました。書類に数週間以内に摂取した薬、サプリメント、栄養剤などを全部書きました。国際大会は暑い地域だったので、夜遅くまでかかって大変だった記憶があります」

 いずれも本人は検査結果を聞いていないという。では、チーム内でドーピングについてのレクチャーはあったのか。

「国際大会に出るときはありました。薬、サプリメント、栄養ドリンクだけでなく、湿布や虫刺されの薬を使用する場合は、チームドクターに確認するように言われました。一方で高校、大学、実業団ではチーム内の説明は特にありませんでしたね。当時の監督・コーチ自身もドーピングの知識がなかったんじゃないかなと思います。それどころか、大学ではドーピングに近いことをしていましたから」

女子長距離界の鉄剤注射

 ケニアではEPOが蔓延していると言われるが、日本長距離界も一部で似たような“物質”を体内に取り入れている。それが「鉄剤注射」だ。鉄剤は鉄の不足を補う薬で、ヘモグロビンの合成を助け貧血の治療にも用いられている。

「高校時代は貧血になった選手が使用していたんですけど、本当に別人になるんですよ。ガンダムでいうと強化人間になっちゃうくらい違いますね(笑)。2週間前の試合では3000mが10分30秒ぐらいかかっていた子が、大事な試合の時には9分20秒ぐらいで走っちゃうんです」

 貧血の場合、ヘモグロビンの数値が一気に増えて、高地トレーニングをした後のような状態になるという。Aさんは貧血気味ではなかったため高校時代に鉄剤注射を使用する機会はほとんどなかったが、大学ではほぼ強制のようなかたちで鉄剤を注入されたという。

体がむくんで、血尿も止まらなかった

「駅伝メンバーだけが大会の1カ月前から週に1回打ちにいくんです。私は必要ない、と言えませんでした。恩恵を受けた選手は結構いますが、私はマイナスでしかなかった。肝臓や腎臓に負担がかかり、体がむくんで、血尿も止まらなかったんです。当時どのような種類のものを打っていたのかわからないですけど、注射器で直接打つものと、点滴でブドウ糖とビタミン剤と造血剤のようなものを混ぜて打っていたように思います」

 国立スポーツ科学センターで得られた血液検査結果によると、陸上競技者のヘモグロビン正常下限値は男子が14.0g/dL、女子が12.0g/dLと考えられるという。Aさんは15.0g/dLを越えており、貧血といえる状況ではなかったのだ。

スポーツ庁、陸連も動き出す

 その結果、Aさんは年々体調が悪化していき、実業団では思うような活躍ができずに引退した。鉄を過剰摂取すると、肝臓などの機能障害を起こすだけでなく、正常でない状況が数年間続く場合がある。Aさんにもその影響があったと考えられる。

 2019年、スポーツ庁は「不適切な鉄剤の静脈内注射の防止について(依頼)」として不適切な鉄剤の利用実態に言及した上で、各スポーツ団体に鉄剤の危険性を注意喚起。日本陸連も同年に「不適切な鉄剤注射の防止に関するガイドライン」を発行。貧血への処置としての安易な鉄剤注射が人体に危険なことを説明したうえで、全国高校駅伝では全出場校に選手の血液検査などの結果提出を義務化した。しかし、不適切な鉄剤注射が根絶したわけではない。いまだに“犠牲”になっている女子選手がいるようだ。

鉄剤注射はWADAの禁止物質になっていないが…

「女子は男子より体重制限や食事制限も厳しい。それで貧血になっちゃって、鉄剤注射や造血剤を打つ子が多かったと思います。それらに頼っている子は疲労骨折が多かった印象ですね。強豪チームほど監督に従わなきゃいけない雰囲気があるので、自分をしっかり持っていないとなかなか『NO』とは言えません……。そういう闇の部分を知っているから、これから競技をしたいという子にも心から『やってみたら』と押せない部分があります」

 鉄剤注射はWADAの禁止物質になっていないが、造血剤と呼ばれるものにはEPOも含まれており、アンチ・ドーピング違反となる可能性はある。「知らなかった」では済まされない時代になっているだけに、指導者だけでなく、選手自身もドーピングに関する知識をアップデートしていかないといけないだろう。

 ドーピングは一発アウトが基本。選手のキャリアを考えても、日本のスポーツ界が「クリーン」であり続けることを祈りたい。

文=酒井政人

photograph by Tamon Matsuzono