天国から地獄、とはこのことか。わずか1年、波乱の運命である。

 2023年3月21日、米マイアミのローンデポ・パーク。クローザーとして登板した大谷翔平がそのグラブを空高く放り投げると、彼は思わず駆け出していた。野球日本代表「侍ジャパン」がWBC決勝でアメリカを破り、3大会ぶり3度目の頂点に立った。マウンドに駆け寄るチームメートと共に、ベンチから飛び出したのは水原一平通訳その人。しかし、数秒後には踵を返した。栗山英樹監督はじめコーチ陣、裏方はベンチにとどまっているのを見て逆戻りしたという、何とも微笑ましい歓喜の一コマだった。

1年前の発言「自分の人生で一番楽しい」

 セレモニー後、水原氏はスポーツ紙の取材にこう話している。

「自分の人生の中でも一番くらい楽しい思い出でした。翔平もあんなに楽しく野球をしているのは初めて見たのでめちゃくちゃいい経験でした」

 それからちょうど1年。2024年3月21日、韓国・ソウルの高尺スカイドームで行われたドジャース対パドレスの開幕シリーズ第2戦のベンチに、水原通訳の姿はなかった。米国時間20日付で、ドジャースを解雇されていたからだ。違法賭博に関与し大谷の資金から「少なくとも450万ドル(約6億8000万円)という巨額の窃盗をした疑い」というショッキングなニュースが日米韓を駆け巡った。

「まさか、あの一平さんが……」

 驚きの声に混じって、現地の報道関係者の間では「でも、言われてみれば……」という言葉も囁かれていた。

発覚前の印象「激ヤセしていて驚きました」

「ここ数日、なんだか気もそぞろだった」

「ロッカーでの囲み取材の時、うつろな表情だったのが気になった」

 実は記者も前日の開幕戦の試合前練習中にスポーツ紙の担当記者と「一平さん、激痩せしてない?」という会話を交わしていた。生でその姿を見るのが昨春のWBC以来だったこともあり、元々丸顔のイメージから一転、げっそりとこけた頬が気になった。「エンゼルスからドジャースという新天地に移り、水原通訳の業務内容がどう変化したのか」をテーマに取材を進める予定だったこともあり、東京の編集者にこんなメッセージを送っていた。

「激痩せしていて驚きました。多忙で体を壊していないといいけど……」

 今思えばやつれた面差しのその陰に、絶望と苦悩を隠していたのか。

11年前に大谷と出会い…「最優秀通訳」「WBC帯同」

 大谷と水原通訳の縁は、日本ハムに“同期入団”した2013年から始まっている。花巻東高時代からメジャー志向が強かった大谷は、ブランドン・レアードら外国人選手をサポートしていた水原通訳と当時から親しかった。MLB挑戦を見据えて、空いた時間には水原氏から英会話を習っているという話も伝わっていた。

 2017年オフ、エンゼルス入りした大谷とともに退団し、渡米。以降の公私にわたる献身的なサポートは言うまでもなく、その価値は2021年シーズンに大谷がアメリカンリーグのMVPを獲得した際、エンゼルスが球団独自の賞として「MVI」(最優秀通訳)を贈ったことに表れている。通訳のみならず、スタジアムへの送迎や生活面のサポート、キャッチボールやトレーニングの練習パートナーまで完璧にこなし、次第に大谷自身の動作分析や、対戦相手のデータ分析までカバーするようになった。

 昨年のWBCで日本代表に帯同したのは、大谷の意向を汲み取った栗山監督が強く要望したためだった。表向きは「ラーズ・ヌートバーの通訳」という立場でベンチ入りしていたが、実際には「二刀流」の複雑な調整を必要とする大谷のサポートがメイン。さらにチーム内ではメジャーに関係する選手を中心に対戦相手の分析や、大会を運営する主催者側との折衝など重要な役割も担っていた。栗山監督以下、白井一幸ヘッドコーチや投手コーチを務めた吉井理人(ロッテ監督)ら、日本ハムに関わっていたことがある首脳陣がほとんどだったこともあり元同僚の「一平」として相談を受け、頼りにされていたのだ。

 実は大会前からヌートバーの招集にも一役買っており、大会中は大谷をサポートし二刀流でフル稼働する活躍を引き出した。

「一平が本当に頑張ってくれた」

 大会後、栗山監督が口にしたこの言葉は心からの思いだっただろう。

「口の堅さ」で信頼…超多忙だった仕事内容

 大谷との“唯一無二”の関係性において、その信頼を勝ち取った大きな要因の一つが「口の堅さ」だったように思う。メジャー移籍後から、水原通訳は大谷翔平というスーパースターの「マネージャー兼広報」としての役割も担っていた。メディアとの日々のやりとりから、インタビューや撮影などの取材依頼への対応、スポンサー関連の仕事の日程調整などを一手に引き受けていた。メディアに対し取材対応の段取りをしたり、必要な情報を提供したりと手綱を上手くさばきつつ、知られたくない情報についてはどんな些細なヒントも与えないという姿勢は一貫していた。

 怪我や手術の詳細、毎年のように騒がれていた契約問題、ドジャースへの大型移籍、そして結婚……メジャー生活の節目において、メディア報道が先行することなく、情報統制できていたことは水原通訳の力も大きいだろう。番記者には毎日顔を合わせる気安さから、選手の関係者は、思わず愚痴を言ったり雑談の中で選手のプライベートな部分を仄めかしてしまうものだが、そこで完璧に線を引いてきたことがミステリアスなスーパースターの私生活を守っていたとも言える。

「水原通訳頼み」の実情

 一方で大谷と外部との窓口が、水原通訳“だけ”に集約されていたことも事実だろう。ありとあらゆる情報を一手に引き受けていたということは、裏を返せば大谷に伝える情報もコントロールできる立場にあったと言える。記者会見で水原氏はよく、大谷の言葉を一言一句違わず直訳するのではなく、米メディアに馴染む表現に換える当意即妙な通訳を見せていた。これも逆に言えば大谷に「伝える」言葉と「伝えない」言葉を選別できたということに……。難解な契約書の詳細や、金融機関での取引の場面ならなおさら、全てが水原通訳頼みだったに違いない。

 水原氏のいない第2戦の試合後、ロッカールームの大谷は不思議な空気を纏っていた。山本由伸の通訳である園田芳大氏が手を貸し、隣のロッカーのテオスカー・ヘルナンデスが何やら声をかける。さらに約35人の報道陣が二重になって取り囲む真ん中で、事件の主役は泰然と帰り支度を進めた。黒いキャップを被りリュックを背負うと、濡れた前髪の間から目をのぞかせ記者たちに「お疲れ様でした」と声をかけロッカーから去る。その口元にわずかに浮かんだ笑みは、どこかニヒルさをも感じさせるものだった。

文=佐藤春佳

photograph by Nanae Suzuki